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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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浅間山 (第五編 浅間山の地質及び岩石)

第二章 全山の地質及び岩石(上)  信越線小諸停車場で下車すると、その付近は火山灰土の地質から成り、
パスファインダー (昔の旅人)

旅人 善光寺道名所図会、木曽路名所 図会、木曽街道六十九次、道中続膝栗毛、方言修業金草鞋 犀川通船 信越線,著者名 堀内千万蔵/著 雑誌名 信濃  出版年 1932.8 巻号頁数 No1 8号 3 論題名 鉄道信越線
パスファインダー (信州の「道」)

塩の道・飛騨鰤 の道、戸隠信仰の道、善光寺街道、中山道、東山道、信越線等の歴史 と未来を考える。,・飛騨鰤の道、森林鉄道、信濃の峠、戸隠信仰の 道、善光寺街道、中山道、東山道、修学旅行、千曲川通船、信越線
浅間山 (第二編 浅間山)

信越線の開通によって、三宿が衰退したことがわかりますが、外国人の避暑地として夏季だけはにぎわっていたことがわかります
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (2.本書の概況と特徴)

そして、修学旅行に参加した生徒は軍事教練のような出で立ちで、開通後間もない信越線、東海道線の汽車及び天竜川舟行以外
パスファインダー (下村亀三郎)

上田 蚕糸専門学校、丸子小学校、依田窪教育会、丸子農商学校、上田蚕糸専 門学校、信濃絹糸紡績、大屋駅、信越線
諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

碓氷峠の登り口として栄えた軽井沢宿は明治維新期には衰微しはじめ、碓氷新道の開鑿、信越線の全通によりすっかりさびれた
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([解説])

「既往80年」は、明治初年から明治20年代にかけて、塾や学校について、大学進学を目指し信越線開通以前の
上田案内 ([解説])

〇鉄道  信越線の上田停車場(駅)は「毎日上下各七十八回の旅客車と数回の貨物を発し、乗客の群聚と貨物
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

     岡谷停車場より約十町  同  会社上田支店 長野県小県郡上田町 (電話 二○番)      信越線上田停車場前, 同  会社野沢支店 長野県南佐久郡野沢町(電話 長一九番)      信越線御代田駅より約三里
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

(注2)長野停車場  信越線は、明治21年8月15日に長野-上田間、同年12月1日に上田-軽井沢間が
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