機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 56件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(1.修学旅行の始まり)
長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況 / 1.
修
学
旅
行
の始まり [目録] 長野県図書館協会 宮下明彦
修
学
旅
行
という用語が法令上初めて現,その前年の明治20年に、長野県尋常師範
学
校長浅岡一は師範
学
校の
修
学
旅
行
を始めました。,この
修
学
旅
行
は夏休みを利用して
行
われ、遠く関東京浜・濃尾方面に及び、1年生から4年生の男子生徒約100,師範
学
校にならって、県内の中
学
や小
学
校でも
修
学
旅
行
を始めるようになるのである。」,(中村一雄『信州近代の教師群像』) 本書は明治25年の第6次
修
学
旅
行
概況であり、同
行
した長野師範
学
校教諭浅井洌 / 1.
修
学
旅
行
の始まり
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況 / 長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況[全文] 浅井洌 2 明治廿五年七月廿九日(金曜日)早天猛雨,道路は、昨日と同しく、開
修
工事最中 (改頁) なれは、所々
行
歩に艱(くるし)む所多,
修
学
旅
行
は、既に本日を以て終り たれは、明朝一同整列の上、解散を逹し、且告別すへきなれとも、遠方の者,(注1)
修
学
旅
行
参加者数 明治23年に
行
われた「第4次
修
学
旅
行
概況」には、参加者は教職員が教頭松井元次郎,1艘乗客凡20人とあり、明治25年の
修
学
旅
行
参加者は約100名だったと思われる。 / 長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況[全文]
木曾山林学校
(修学旅行)
木曾山林
学
校 /
修
学
旅
行
6 芋 井 史 生 待ちに待ちたる本校
修
学
旅
行
も愈々(いよいよ)来,3
学
年生は恒例の通り関東方面なり。,2
学
年生は新家、小松両教諭に引率せられ、名古屋を経て奈良に1泊。,(注58)を視察して下市に入り、翌日農林
学
校を視察して五條より汽車にて高野口に入る。,翌日高野山に参拝、次で九度山官
行
伐木所を視察し、粉川より汽車にて和歌山に至り、和歌山より大坂に入り、造幣局 /
修
学
旅
行
木曾山林学校
(13.修学旅行)
木曾山林
学
校 / 13.
修
学
旅
行
37
修
学
旅
行
は
学
則第13条に示せるが如く、本校の重きを置く所なるを以て之を免ることを,(日光参拝・植物研究)、足尾(坑道木・煙害・鉄索)、浅間(落葉松林)に、5月上旬を以て往復約2週間の
旅
行
,(4)第1、2、3
学
年は御嶽山・駒ケ嶽(植物帯・地質・植物採集)に、往復2日間の
旅
行
をなし、
旅
費金10,故に時代ある林業の発達せる地方に
旅
行
を企て
学
理と実際との調節を図るの必要あり。,をして実際に適合せしめ、軈(やが)て卒業生をして社会に出でゝ後、健闘の準備を与ふる所以(ゆえん)にして、
修
学
旅
行
/ 13.
修
学
旅
行
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(2.本書の概況と特徴)
長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況 / 7月29日に長野を発って、8月16日に松本で解散という実に19日間に及ぶ
修
学
旅
行
でした。,そして、
修
学
旅
行
に参加した生徒は軍事教練のような出で立ちで、開通後間もない信越線、東海道線の汽車及び天竜川舟
行
以外,その距離200有余里の長途の
修
学
旅
行
でした。 ,(2)本書は
修
学
旅
行
コースに当る各地の歴史、人物、自然等についても述べています。 ,浅井はこの
修
学
旅
行
を総括して、「凡廿日間、二百有余里長途の
旅
行
に、身を炎天の酷暑に晒し、或いは天竜の激湍
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(4.数千の教師を育てた浅井洌先生)
長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況 / また、国文・国史は家
学
で自
修
し、剣・槍・砲術の武芸の稽古は道場に通い、踏水術も
修
めた。」,明治5年筑摩県
学
出仕、翌年25歳のとき開智
学
校勤務。明治14年松本中
学
校教員。 ,が松本町から長野町に移転すると、長野県尋常師範
学
校出仕を命じられ、一家をあげて長野へ移住しました。,教師歴56年、小
学
校、中
学
校、そして長野県師範
学
校教諭を40年にわたり務め、90歳の長寿を保ち、昭和13,県歌「信濃の国」の作詞には、広く
旅
して、県下各地の歴史、地理、人物等に精通した国文
学
者浅井洌の「
修
学
旅
行
概況
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(3.本書に登場する草創期の信州教育を担った教師たち)
長野県師範
学
校生徒
修
学
旅
行
概況 / 3.本書に登場する草創期の信州教育を担った教師たち この
旅
行
記の興味深いのは、各地で
学
校長・教師や地元有志,、住民が出迎えたり、宿舎に訪ねてきたり、差し入れしたりして一
行
を大歓迎していることです。 ,8月2日に飯田に入ったところでは「飯田町に達せんとする時、宮下要太郎君も亦出て迎へて、共に飯田高等小
学
校,飯田
学
校には同校職員及び近隣諸校の校長訓導諸氏相集りて、歓迎せられ席既に定まり、氷及び茶菓の饗応あり。,宮下要太郎、勅使河原、斎藤操、羽田貞義、高畠、鈴木正治、折居松若 ここに登場する教師たち、並びに
修
学
旅
行
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
木曾山林
学
校 / ◎第1回木曾山林
学
校生徒
修
学
旅
行
記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,の為め第1
学
年生34名、校長松田林
学
士以下職員諸氏に引率せられて郡下駒ヶ根村(こまがねむら:現・上松町,漸(ようや)くの事で高倉峠と云ふ峠へ
行
き着た。,又々上り
行
くと小枝で拵(こし)らへた、巾が7、8尺の畳みの目の様なものがあつたから、之れは我々山林
学
校,の生徒に作りて呉(く)れたものだと思ふて歩んで
行
つた処が、上の方へ
行
つて見ると今迄我々の道と思ふて居た / ◎第1回木曾山林
学
校生徒
修
学
旅
行
記
木曾山林学校
(8.長野県立甲種木曾山林学校学則)
木曾山林
学
校 / 自12月26日 至 1月18日 前項休業中、実習又ハ
修
学
旅
行
,を参照) 第 4 章 実習及
修
学
旅
行
第 9 条 実習ハ林業・農業及ビ測量科ニ之ヲ,3
学
年ニハ
学
術実地指導ノ為メ
修
学
旅
行
ヲ課シ、林業ニ関スル各般ノ観察ヲナサシム 但シ
旅
行
ノ,日数ハ第2
学
年ハ約2週間、第3
学
年ハ約3週間卜ス 第 13 条 本校ニ於テハ殊ニ
修
学
旅
行
ニ重キヲ置クヲ,14年以上ノ男子ニシテ其
学
力、小
学
校令第18条第2項ノ
修
業年限2ヶ年ノ高等小
学
校卒業、又ハ中
学
校第2
学
年以上
修
業 / 8.長野県立甲種木曾山林
学
校
学
則
木曾山林学校
([本文])
木曾山林
学
校 / [本文] 1 明治44年5月25日印刷 明治44年5月27日発
行
(定価3銭) 編纂兼発
行
人, 同 市 同 番地 印 刷 所 交 文 社 長野県西筑摩郡福島町289番地 発
行
,所 蘆 澤 書 店 ○本誌目次 (
学
術論説)木材染色術、シューリツヒ氏森林
学
、八戸林
学
士
行
政論,、我校演習林の価値、我が故郷の森林状態、青年団体の植林を望む、(抜萃)林業年中
行
事(続)、木材紙料製造業,、(文苑)我徒の本領、権現滝の春、逝く春、砂バク之夜、(
学
校便)伊藤先生の通信、西澤先生告別式、
修
学
旅
行
木曾山林学校
(25.在学生父兄に望む)
木曾山林
学
校 / 25.在
学
生父兄に望む 57 1、当校在
学
期間の生徒の年齢より見る時は、身体及精神の発達上最も重要,各担任教師は生徒十数名宛を分担し、主として
学
資の保管取締及操
行
取調、其他一般訓練上に注意し、父兄に代りて,特に
学
期の始に於て欠席し、又は
学
期末に於て早々帰郷するものあり。,又毎月の
学
資金は勿論、
修
学
旅
行
費等も
学
校指定の金高を準拠とし過当の送金をなさざることを切望す。,さゞる所あるも、要は本校々則並に細則は勿論其他一般事項に就き、生徒をして服膺(ふくよう:よく守ること)実
行
せしむるに / 25.在
学
生父兄に望む
木曾山林学校
([解説])
木曾山林
学
校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登 『木曾山林
学
校校友会報』1号は、開校2年目に校友会,から刊
行
された。,この中で初代校長松田力熊は6項目の教育方針を示し、日本で初めて実業
学
校で森林・林業教育を開始した。,例えばその中の「林
学
は観察の
学
問である」との認識は、具体的に実習及び
修
学
旅
行
を重視する方針となり、長く,会員相互の親睦を深めることはもちろん、教科書すら満足に揃わなかった時代、教科書や副教材の役割を果たし、また
学
校
パスファインダー
(女流の信仰物語、善光寺への女旅日記)
一
行
は女4人と従者3人。,歌枕を訪ね、街道、間道を歩 き、
行
く先々でのお買い物や芝居見物、生気躍動する江戸の女
旅
記録 1,書名 著者名 出版社 出版年 信州善光寺案内 善光寺事務局/監
修
しなのき書房 2009.4,「沓掛なか子と『東路の日記』(福岡女
学
院短期大
学
紀要)20、1984年」 、 5 書名,名) 内容紹介 と連れ立って伊勢参り、善光寺参詣、日光・江戸見物などの
旅
行
の体 験・記録をまとめたものです / 女流の信仰物語、善光寺への女
旅
日記
パスファインダー
(善光寺の物語・紀行文・文学)
善光寺の物語・紀
行
文・文
学
トピック(テーマ) ねらい 善光寺の物語・紀
行
文・文
学
,1 書名 著者名 出版社 出版年 平家物語(日本文
学
研究資料叢書) 日本文
学
研究資料刊
行
会/,7 書名 信濃紀
行
集:方言
修
行
金草鞋・滑稽
旅
賀羅寿 [第1・2巻] 著者名 十返舎一九/,手記 著者名 臼井良作 雑誌名 長野 巻号頁数 第84号 3 論題名 近代の
旅
日記,・文
学
発
行
機関 信濃毎日新聞社(データベース) 年月日 1995.9.20 3/3 / 善光寺の物語・紀
行
文・文
学
パスファインダー
(松本・上高地の文学(2))
内容紹介 4 書名 井上靖「氷壁」のロマン:長野県PTA母親文庫運営協議会4地区研
修
会,内容紹介 5 書名 著者名 出版社 出版年 堀井正子/著 オヒスEMU 1994.6 作家の山
旅
,明治、大正、昭 内容紹介 和の文
学
者48人が遺した山にかかわるエッセー、紀
行
文、詩歌を集め たアンソロジー,8 書名 著者名 出版社 出版年 いつかの夢の空のように(遥かなる山国の夢-信濃路文
学
の
旅
2),藤岡改造・斎藤金司・細川
修
/編著 銀河書房 1985.4 内容紹介 美ヶ原熔岩台地・尾崎喜八著 / 松本・上高地の文
学
(2)
木曾山林学校
(◎小川木山祭を視(み)る)
木曾山林
学
校 / 吾等木曾山林
学
校職員及生徒一同は
修
学
旅
行
を兼ねて木山祭(注24)を見んと午前5時校庭へ集まつて出発しました,此日に吾等と同
行
せられたのは職員では林
学
士松田校長、手塚教諭、宮田教授、今井校医の4名、生徒は77名で,それから段々南
行
して桟(かけはし)にて一寸(ちょっと)休憩して
行
きましたが、此日は天気もよし又時節もよいのか,此上松から小川へ
行
くには道も細いし、其上木曽川が流れて居(お)りますから誠に之からの道が困難なのである,渡し場に
行
つて見れば、舟は小さいに反して山
行
く人の多いので中々に困雑を極めて居りました。
パスファインダー
(安曇野・大町の文学)
安曇野・大町の文
学
トピック(テーマ) 安曇野・大町の文
学
ねらい 風土と,自然が文
学
に与える影響は大きい。,
旅
藤岡改造/斎藤金司/細川
修
/編著 銀河書房 1984.7 内容紹介 2 書名 著者名,残された紀
行
文から 内容紹介 その足跡をたどる。,概要 2 サイト名 URL 概要 竜になって北の湖にすむという母を訪ねる竜の子太郎の苦難の
旅
の / 安曇野・大町の文
学
木曾山林学校
(5.中等程度森林教育の方針)
木曾山林
学
校 / 例へば提灯(ちょうちん)を携へたる
行
旅
の如く其照す所僅かに脚下三尺、惴々(ずいずい:びくびく)歩を運ぶあらんか,従ひて2、3の
学
校にありては、
修
業年限等の関係より入
学
後の実習は比較的重きをなさざるに反し、
学
科に就きては,然れども
学
校出身者のみを以て容易に国家の需要を満す能はざるを以て、目下盛んに
行
はれつゝある所の林区署其他官公署,他の一は政府の直轄に属し、専ら国有林の保護吏養成の機関にして
修
業年限は1ヶ年とし、年齢17歳にして入
学
前,宜(よろ)しく
修
業年限を延長するか、或は
学
科の程度を高めて、専門
学
校程度の者と現今甲種程度の教育機関との
木曾山林学校
(15.寄宿舎)
木曾山林
学
校 / (改頁) 監督と生徒の自治と相須(あいまち)て善良なる品性を
修
養,し、生徒たる本分を完うし、衛生上にも周到なる注意を払ひ、心身の
修
練を計る唯一の機関たり。,炊事 炊事委員は毎月輪番に各
学
年より2名宛之を選定し、3
学
年生は主として食費の徴収々支の決算・調理の, (改頁) 時間割 時間割は日の長短其他の事情(例へば実習中、
旅
行
,身体検査 身体検査は毎
学
年の始めに於て之を
行
ひ、疾病あるものは医師の意見によりて夫々適当の取扱になすことを
木曾山林学校
(11.実習)
木曾山林
学
校 / 以て、将来林業の実務に従事すべき技術者を養成するを目的とせる本校に於ては、甚だ複雑なる
学
科を
修
得せしむると,而して造林及農業実習等の如き一定の季節を限らるゝものゝ外は、常に
学
科の進度に並
行
して実習を課し(必要に,に全力を注がしむるを得べきが故に、
修
学
上却(かえっ)て結果を奏し得べきのみならず、働くべき時は大に働き,次に実習方法の大要を示せば、 1、造林其他季節に関係ある実習に付ては年中
行
事を編成し、毎
学
年の初,、2
学
年生に約2週間の県外
修
学
旅
行
をなさしむ。
木曾山林学校
(木材の欠乏を憂ふ)
木曾山林
学
校 / しみの名残を惜しみ郷里大桑に帰りしが、間もなく青森大林区署より至急赴任すべき電令に接し、4月2日早速
旅
装,馴染(なじみ)の福島町を後にして関町を越へ愈々(いよいよ)
旅
の人とはなりぬ。,而して6日は上野駅より乗車の事となり、任地も間近の心地して愈々奥州への
旅
立意義ある
旅
程に上る。,一
行
の服装は亦甚だ振ひ否無邪気にて、正服正帽と言ふ扮装の者もあり、社会
学
を
修
めざりし其の当時の連中には,4月7日青森に到着し同市屈指の3階建一等
旅
舘かぎやに投宿せり。
パスファインダー
(菅江真澄と『伊那のなかみち』)
白井秀雄 国
学
地誌 医
学
本 草
学
『伊那のなかみち』『わがこころ』『すわの海』『くめじ橋』『ひなのひ,暮らし、神社・仏閣、年中
行
事や民間信仰など東北・北海道 の庶民の暮らしを克明に記録し続けた菅江真澄。,内容紹介 4 書名 著者名 出版社 出版年 現代口語訳 信濃の古典を読み物叢書 第6巻 信州大
学
教育
学
部附属長野中
学
校創立記念事業編集委員会,年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 菅江真澄、柳田國男、折口信夫,菅江真澄の資料館、秋田に 長興寺住職が招待 朝刊20ページ 1996.4.23 塩尻市、史跡「釜井庵」を
修
復
パスファインダー
(信州の「道」)
黒曜石の道、塩の道・飛騨鰤の道、森林鉄道、信濃の峠、戸隠信仰の 道、善光寺街道、中山道、東山道、
修
学
旅
行
,1 書名 著者名 出版社 出版年 信州の鉄道物語 [上・下](信毎選書) 小林宇一郎/監
修
,の道、塩の道・飛騨鰤の道、森林鉄道、信濃の峠、戸隠信仰の 内容紹介 道、善光寺街道、中山道、東山道、
修
学
旅
行
,資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 江戸の
旅
[上下]:道中記・名所図会を読む,歴史
学
・歴史地理
学
による協業の最新研究成果を集積、研究 内容紹介 史を一望できることはもちろん
パスファインダー
(高井・水内地域の文学(1))
第2期/随筆・紀
行
・日記編 第1巻 郷土出版社 1989.11 内容紹介 内容:みちの,戸隠山紀
行
山田美妙著. かけはしの記 くだ もの 正岡子規著.,2 書名 著者名 出版社 出版年 定本高野辰之 芳賀 綏/監
修
郷土出版社 2001.4,3 書名 著者名 出版社 出版年 唄の
旅
人中山晋平 和田登/著 2010.2 岩波書店 内容紹介,して書籍化 4 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 山帰来 栗生純夫/著 信濃郷土誌刊
行
会 / 高井・水内地域の文
学
(1)
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
木曾山林
学
校 / 容易に
行
はれなかつたのである。,故に将来
学
校の
修
業者は是(これ)等森林の営林保護の任に当らざるべからざるは申すまでもない事である。,第五は、
修
学
旅
行
の必要なることである。林
学
は観察の
学
問である。,机上に於ての
修
養のみを以て効果を挙ぐることの出来ないものであると云ふ事は、前に述べたる処(ところ)によつて,故に
学
校に於ては時間と経済の許す限りは、進んで
修
学
旅
行
を
行
はねばならぬ。
「長野県下ノ小学教員二告ル文」
([ルビ・注記])
「長野県下ノ小
学
教員二告ル文」 / ニ入リ理(ことわり)ヲ 窮(きわ)メ、心ヲ正フシ己ヲ
修
メ人ヲ治ムルノ道 ヲ
学
ヒタリ。,東京 師範
学
校ニ於テスラ其附属小
学
ニ於テ教 課時間外ニ或ハ
修
身談ヲ演述セシコトア リタルハ、風雨,徳育ノ要ハ人ノ身ヲ
修
メ
行
(おこない)ヲ正(ただし)フセシムルモノナレハ、先哲ノ嘉言(かげん)(注16,読書
修
身算術作文等無形ノ
学
科ニ至ル マデ皆実体的ニ教ユルナリ。,(10)
旅
の際、物をいれ背負って持ち運ぶ、竹で編んだ箱。 (11)故郷の山。故郷。
木曾山林学校
([本文])
木曾山林
学
校 / [本文] 木曾山林
学
校要覧 目次 2 1.木曽ノ天然………………………………………………,則………………………………………………………………… 31 9.各
学
科教授綱目……………………………,…………………………… 65 (改頁) 3 13.
修
,
学
旅
行
……………………………………………………………68 14.生 徒 心 得………………………,……………………89 19.在
学
中ノ
学
資………………………………………………………………89 20
パスファインダー
(十返舎一九の『続膝栗毛』)
キーワード 十返舎一九 『続膝栗毛』『方言
修
行
金草鞋』(むだしゅぎょうかねのわら じ)『滑稽
旅
賀羅寿,その他、『方 言
修
行
金草鞋』(むだしゅぎょうきんのわらじ)『滑稽
旅
賀羅寿(たびがら す)』等も掲載されている,内容紹介 2 書名 現代口語訳 信濃古典読み物叢書 第13巻 著者名 信州大
学
教育
学
部附属長野中
学
校創立記念事業編集委員会, 第2巻 十返舎一九/[著] 郷土出版社 1995.5 言
修
行
金草鞋(むだしゅぎょうかねのわらじ) よみがえる,年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 江戸時代の
旅
人気分 十返舎一九歩いた安曇野の道 信濃毎日新聞
木曾山林学校
(1.木曽ノ天然)
木曾山林
学
校 / 1.木曽ノ天然 木 曾 山 林
学
校 要 覧 3 1.木 曽 ノ ,而(しか)して中山道(注1-4)は東北より木曽に入り鳥居峠以南は
行
々木曽の水流に沿ひ遂に美濃路に入る。,其他氷ヶ瀬、鞍馬橋、常盤橋等も亦遊子(ゆうし:
旅
人)の激賞する所若(ごと)し、夫れ5、6月の交(こう:,の勉
学
修
養に向て好適の地なりと云ふを妨げざるなり。,なりとせば、木曽の人情風俗も亦我
学
徒に向て好影響を与ふべきは殆ど疑を容れざるなり。
木曾山林学校
([注記])
木曾山林
学
校 / せし者:1908年ヨセフピステル氏の記事を翻訳したとあるが、この『岐蘇林友』19号は1911年5月に発
行
されているので,(注8)保育:植栽を終了してから伐採するまでの間に、樹木の生育を助け健全な森林を造成するために
行
う下刈,主に、節のない材を得るために
行
う。打ち枝。(注8)保育の項、参照。,陸軍の兵器・弾薬・器具・材料などを製造・
修
理した所。,)大滝吉野の森林:明治36年(1903)4月26日から5月12日まで、初めての3年生は関西方面への大
旅
行
パスファインダー
(善光寺参詣と善光寺道)
滑稽
旅
賀羅寿 更科紀
行
十 返舎 一九 芭蕉 一茶 1 書名 著者名 出版社 出版年,3 書名 著者名 出版社 出版年 江戸の
旅
[上・下] 尾崎
行
也/著 八十二文化財団 2010ー,続群書類従 [第19輯] 続群書類従完成会/編 続群書類従完成会 1928年 宴曲集 善光寺
修
行
,4 書名 信濃紀
行
集:方言
修
行
金草鞋・滑稽
旅
賀羅寿 [第1・2巻] 著者名 十返舎一九/,解説 尾崎
行
也 6 書名 著者名 出版社 出版年 長野県文
学
全集 [第2期/随筆・紀
行
・
龍駕の跡
(はじめに)
はじめに [目録] 長野県図書館協会 宮下明彦 明治天皇は地方
行
幸・巡
行
を97回
行
いましたが、,そのうちの明治5年(1872)から明治18年(1885)にかけて6回の大規模な巡
行
を
行
いました。,「6大巡
行
で天皇は政府中枢の高官等とともに地方を廻り、府・県庁で府・県治報告を受け、
学
校・産業施設・軍事施設等,(『明治六大巡
行
-地方の布達と人々の対応-』(長谷川栄子 熊本出版文化会館 2012年) 戦前は巡
行
先,だった地方で明治天皇の聖徳を偲ぶ記念展が開かれたり、記念誌が刊
行
されたり、聖跡を巡る
修
学
旅
行
が
行
われました
パスファインダー
(信州の道・街道(東北信地域))
1 書名 著者名 出版社 出版年 信濃路をゆく[上]:歴史街道トラベルガイド 児玉幸多/監
修
学
研,四季折々の風景に酔う信濃の
旅
路案 内。,2 書名 著者名 出版社 出版年 江戸の
旅
[上・下]:道中記・名所図会を読む 尾崎
行
也/著 八十二文化財団,『善光寺道名所図会』『木曽路名所図会』『東海道 五十三次』『木曽街道六十九次』『道中続膝栗毛』『方言
修
行
金草鞋,』『滑 稽
旅
賀羅寿』について紹介する。
パスファインダー
(信州の道・街道(中南信地域))
1 書名 著者名 出版社 出版年 信濃路をゆく[下]:歴史街道トラベルガイド 児玉幸多/監
修
学
研,四季折々の風景に酔う信濃の
旅
路案 内。,2 書名 著者名 出版社 出版年 江戸の
旅
[上・下]:道中記・名所図会を読む 尾崎
行
也/著 八十二文化財団,『善光寺道名所図会』『木曽路名所図会』『東海道 五十三次』『木曽街道六十九次』『道中続膝栗毛』『方言
修
行
金草鞋,信濃史
学
会 https://www.shinano-shigakukai.jp/ 論文検索から長野県
パスファインダー
(浅岡一)
2 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 長野県教育史 第2巻 総説編2 長野県教育史刊
行
会,、鍛錬主義の教育、
行
軍の
修
学
旅
行
、女子部設置、信 濃教育会の財政確立など掲載。,巻号頁数 2 論題名 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 URL 概要 1 見出し 発
行
機関,年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 地域の中の",www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/index.html 浅岡一に関する資料を探すことができる 佐久地域の先人に触れる 評論集刊
行
パスファインダー
(工女の道 野麦街道)
工女の姿を描く 2 書名 聞き書き 工女の道・野麦街道 著者名 出版社 細川
修
/,奈川村誌編纂委員会 奈川村 出版年 1994.5 内容紹介 第八章第二節 野麦街道往来 飛騨工女
旅
人,雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 URL 概要 2 サイト名 URL 概要 1 記事 発
行
機関,年月日 2 記事 発
行
機関 年月日 前近代的交通体系下の鰤輸送 - 北陸から信濃へ 胡桃沢,勘司 /著 生駒経済論叢 2009.7 7巻 1号 p371 - p382 近畿大
学
学
術情報リポジトリ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(戸隠村)
御子社/伊勢社/諏訪社/飯縄社/山神社/宣澄社/大山祇社/火鎮社/竈神社/日枝社/日吉社/金刀比羅社
学
校,: 戸隠
学
校 古跡・名勝: 僧宣澄墓/釈長明墓/児之塔/幽魂塚/西光寺廃址/本院堂廃址/
修
験二十坊廃址,/地蔵石像/女人堂廃址/氷清水/高妻山・乙妻山/沸池/種池/巴岩/三十三窟/西
行
桜/達磨石/秋葉山三尺坊出所,/親鸞聖人
旅
舎 物産1: 米/大麦/小麦/粟/黍/稗/蕎麦/大豆/蘿蔔/清酒 物産2: 青細美
パスファインダー
(西洋音楽の導入)
、能勢栄、長野師範
学
校、バ イオリン、井沢
修
二、文部省、唱歌教育法、胡弓、筝、三味線、模造バイ オリン,丸子中央小
学
校百年史 丸子中央小
学
校百年史編集委員会/編 丸子中央小
学
校百年史刊
行
会 1973,長野県教育史刊
行
会 出版年 1978 内容紹介 長野県師範
学
校で、能勢栄によって模造,年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 明治初期の信号喇叭について,museum.umic.jp/akamatsu/history/history05.html 英国歩兵練法について紹介 唄の
旅
人
パスファインダー
(下村亀三郎)
、丸子小
学
校、依田窪教育会、丸子農商
学
校、上田蚕糸専 門
学
校、信濃絹糸紡績、大屋駅、信越線、丸子鉄道、,屑物晒練所、模範工 女養成所、依田社病院、依水館、東京日本橋上総
旅
館、和田峠(嶺)、諏 訪、岡谷、武石,1 書名 著者名 出版社 出版年 暁雲 ―下村亀三郎伝― 山岸勝/編 下村亀三郎伝記刊
行
会 1980,「製糸業は生死業」といわれた時代「依田社」と 名付けた製糸組合を丸子の地に根付かせ、丸子農商
学
校(現丸子
修
学
,年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 2008 上田小県地域
パスファインダー
(小泉小太郎(泉小太郎)伝説)
太陽神 妖怪 変化 坪田譲治 日本昔ばなし 信府統記旧俗伝 犀竜 白竜王 産川 洪水神話 しなの文
学
夜話,竜になって北の湖にすむという母を訪ねる竜の子太 郎の苦難の
旅
の物語。,7 書名 信州・こども文
学
館8:龍のいる湖 著者名 小宮山量平/監
修
和田登/責任編集,小泉小太郎(泉小太郎)伝説についての図書、論文を見るけることがで きる 新聞 1 記事 発
行
機関,年月日 2 記事 発
行
機関 年月日 3 記事 発
行
機関 年月日 斜面=民話の面白さを教えてくれた
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
当駅は唯陸続と荷物等の通
行
するのみにして足を止むる者少なきを以て、
旅
宿は大概閑靜(かんせい)なり。,茲に於て先づ当駅に止宿し、聖上の御
行
列を拝し奉らんと或る
旅
店を卜(ぼく)して泊りぬ。 ,( あんざいしょ)は土屋一三氏[此頃小
学
校として貸与県より補助金を与へて
修
繕す]邸内なり。,○軽井沢、佐藤織衛邸内に新築の
行
在所は今は全く取除かれて、其辺には軽井沢ホテルを建て、洋人の
旅
宿と一変,新築
行
在所御小休所御野立所 十四箇所 現存 二箇所 取除焼失 十二個所
修
繕
行
在所御小休所
善光寺独案内
([現代訳])
その他、
旅
館や会社の支店が多くある。 ,この館は近山与五郎という
旅
舎である。 ,諏訪町 蓬莱橋より左へ
行
く町である。2丁
行
くと右に、長野県師範
学
校付属小
学
校がある。,長野県中
学
校 体操場の西にある。 下堀小路 大門町中程より右へ
行
く町である。,弘法大師がここで護摩を
修
行
されたという。
善光寺独案内
([翻刻])
其外各
旅
舎会社の支店多し。 ,郵便電信局 前より
行
あたりなり。 館ハ近山与五郎卜云
旅
舎なり。,二丁
行
て右、 長野県師範
学
校附属小
学
校 ○桐畑 附属小
学
ノ前をいふ。 ,長野県中
学
校 体操塲の西にあり。 ○下堀小路 大門町中程より右へ
行
町なり。,館ハ扇屋金四部卜云
旅
館なり。
地震後世俗語之種
([翻刻])
養父病に臥し給ひて終に遠
行
の
旅
に おもむき給ふといへとも、若年にして看病の怠る 事を覚、実母此世を,是全神職血統の
修
行
に寄なるへし。尤秘密なれハ其予詳 なる事をしらす。,水の満微に随て二船三船をもつて縄を たぐりて
旅
行
を渡す。,そのほか
旅
籠屋茶 店にいたり、煤をはらひ
行
灯をはりかいて、年 のあくるをまつ。,来臨したま ひて麁茶・粗菓を進め参らせ、夫より直に 施餓鬼
修
行
始まりける所に、彼の圧死した る親族種々
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
行
旅
ヲ遂 ケス。依テ当秋ハ文部省ニ申請シ巡校ヲ乞フ積リナ リ。其先ニ当リテ。,空(むなし)ク
旅
行
スル ナカレ。爰ニ県官著手(ちゃくしゅ)シテ。満村ノ巨費ヲ省キタリ。,今ニモ黄泉(よみ)(注4)へ
旅
立ヘシトテ。枕ノ下ヨリ。封物ヲ 取リタシ。,(10)酒色にふけって品
行
が
修
まらないこと。 (11)悪いことをする民。,燭(しょく)(注5)ヲ採リ
旅
疲(りょひ)ヲ忘ルヽマテニ喜コハレタリ。
地震後世俗語之種
([現代訳])
(幼い頃勉
学
に励まなかった)のためなのです。,これはまったく神職の血統の方々の
修
行
によるものでしょう。,またここは北国街道の道筋で、多くの
旅
人が
行
き来します。,そのほか
旅
籠屋・茶屋などでも、煤を払い
行
灯を張り替えて、年の明けるのを待ちます。,、泣き叫ぶ声が聞こえていながら、早くも激しく燃える火をかぶり、黒雲のような煙が渦巻いて家を取り囲み、
修
羅道
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
九月からは何級を受持ったか、記憶がない、私の自
修
と しては輿地史略(よちしりゃく)(注1)なぞを読て,の入
学
が 希望で衣笠の塾とか、加藤(天山)の塾とかで、予
修
し居(い) るので、他に目的のあるものゝ,確か本年の、七八日頃と思ふが、ハシカが流
行
して、
学
校が休みになったので、私は中村彌重氏と、南信
旅
行
,(改頁) 28 (中略) 九月文部省の監督条規の下にある専
修
学
校の生徒,注1)で、次官は辻新次氏(注2)であった 文部省へ転任して以来、退省が三時であるから、毎日専
修
学
校
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
即野州高田山専
修
寺尊像、天拝の如 来是也。縁起は高田山専
修
寺の所に記するがごとし。, 福寺の
学
侶たり。,仏果を悟らんにはしかじ」とて、忽 ち高野山金剛峯寺に登り、出家して弘法大師を信じ、真言 密法を
修
行
,高綱入道難解の
修
し 難き事を悲しむの所に、宿縁の善因爰に招くにや、聖人越 後国に遷謫し、他力易
行
,然るに庭下 薄地の凡夫、造悪不善の族、善根功徳の種もなく、
修
行
学
道の 功も積ざれども、速に仏果
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
始めは朝廷に仕えて、勧
学
院の文章博士進士蔵人通広と言ったが、出家して西乗坊信救と名乗り、奈良興福寺の
学
問僧,」と思って、さっそく高野山金剛峯寺に登り、出家して弘法大師を信仰し、真言密教を
修
行
した。,しかし苦しい
修
行
の道は遥か遠くまで続いていて、
修
行
を続けることができず、妄念の闇の中に迷ってどうしていいか,高綱入道が、難解な
修
行
が難しいことを悲しんでいると、前世からのよい因縁が招いたのか、親鸞聖人が越後に流,しかし庭下薄地の凡夫や造悪不善の族(やから)が、善根功徳の種もまかず、
修
行
や
学
問の功を積まなくても、すみやかに
地震後世俗語之種
(絵の解説)
六万五千日囘向 丁未年三月十日より四月晦日迄、本堂に於て前立本尊開帳、御印文頂戴、毎日四ッ時(10時)法事
修
行
有之,この右奥の現在の城山小
学
校の位置には常念仏堂がありました。,それを「此辺ノ田畑ヘ諸人
旅
人等野宿ス」と説明してあります。永井善左衛門幸一たちも、この中にいました。,善光寺地震が起こった弘化4年(1847)3月24日は、善光寺御開帳のさなかであったため、宿坊も門前の
旅
籠屋,仮屋の補
修
をしているのでしょう。
/ 2ページ