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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

申候、 一 八月朔日晴天之処、浅間前掛山続之山崩レ大水出ル、辰ノ中刻北山之方震動強ク、俄に曇リ黒闇六供之上成就寺,ヨリ山澤共に高水押掛ケ、六供田町本町辺を押流し、大手江水入、足柄御門、三ノ御門押流、     (改頁,15    (中略) 実大寺門前  (中略)     (改頁)      16   六供分,實大寺門前  (中略) 尊立寺門前  (中略)     (改頁)      26   六供
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩村田町)

北西ノ窪/西ノ窪/中宿/新町/梨ノ木/外西浦/上木戸/木戸在家/上直路/蟹沢端/枇杷坂/菅田/会下浦/六供,/六供後/石並/住吉/行人塚/上岩子/東六供/池端/下窪田/上窪田/下窪田向/中窪田/下穴虫/黒地蔵/
小諸洪水流失改帳 ([解説])

なお、その右岸は本町に属する六供・田町である。  ,松井川と中沢川は、六供の上流で流れが接近している。,七月二八日以来断続的に降り続いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

なお、その右岸は本町に属する六供・田町である。  ,松井川と中沢川は、六供の上流で流れが接近している。,七月二八日以来断続的に降り続いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
小諸大変書 ([解説])

なお、その右岸は本町に属する六供・田町である。  ,松井川と中沢川は、六供の上流で流れが接近している。,七月二八日以来断続的に降り続いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

なお、その右岸は本町に属する六供・田町である。  ,松井川と中沢川は、六供の上流で流れが接近している。,七月二八日以来断続的に降り続いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

なお、その右岸は本町に属する六供・田町である。  ,松井川と中沢川は、六供の上流で流れが接近している。,七月二八日以来断続的に降り続いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([現代訳])

一 小諸の六供、田町、本町が流失し、流死者は三四〇人、馬は一四ひき流され流れつぶれた家は二〇七軒にのぼりました
小諸洪水流失改帳 ([現代訳])

朝9時頃、北山の方向が強く揺れ、にわかに曇り、上流から土石流が成就寺あたりに流れこみ、六供、田町、本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

北大平/鞍掛/古桝/大安平/東大平/南大平/南竹原/高津谷/斧石/西大平/野馬取/本町/中町/田町/六供,日影町/鹿島山/耳取町/雉子原/摺鉢/城下/中棚町/七軒町/馬場町/七五三掛/筒井町/赤阪町/古屋敷/六供町
パスファインダー (「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害)

戌の満水 寛保2年 洪水 8月1日(八朔) 千曲川 小諸 松井川 中沢川 本町 六供 田町 浅間山麓
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

人馬共ニ怪我無之、田畑ハ移(夥)敷押流申候、  同日同刻ニ本町東沢川・中沢川同事(時)ニ水出、本町・六供,ニテ観音堂計リ残ル、堂之内江土五尺之余入ル、同所ニ而町御同心町家数十二軒、下御目付家壱軒、都合十三流、六供,、御城裏  御馬場無残所御覧被遊、夫レより瓦御門江御出被成、本町押流御覧、本陣清兵衛屋敷跡より向、六供祇園之社迄御覧被成,三町役人壱人も入不申候、御休相済候而清水町橋場御覧被成、夫レより岩村田江御帰被成候、十九日ニ御出本町通り東沢・六供
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

同日同刻に本町を挟むように流れる東沢川(松井川)と中沢川で同時に泥流が発生し、本町・六供(ろっく)・成就寺本堂,六供・田町においては、宅応寺・尊立寺は一宇も残さず流され、実大寺は本堂だけが残りました。,本町清兵衛屋敷跡より、六供・祇園社までご覧になり、昼の弁当となりました。,翌十九日もおいでになり、本町を通り、東沢・六供・成就寺跡までご覧になり、岩村田へお帰りになりました。
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([解説])

・小諸の六供、田町、本町が流失し、流死者は三四〇人、馬が四匹流され、流れつぶれた家は二〇七軒でした。
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