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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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地震後世俗語之種
(著者)
御開帳ということで善光寺の駒返橋の近くに梅笑堂という土産物の出店を出し、
出入
りの大工に店を任せていましたが
地震後世俗語之種
(著者)
御開帳ということで善光寺の駒返橋の近くに梅笑堂という土産物の出店を出し、
出入
りの大工に店を任せていましたが
松代まちあるきマップ
(24真松館(山岸家住宅長屋門))
平成十八年現在、
出入
口(桂で囲まれた部分)は土壁に覆われていたが、これを取除き、長屋門を改修し、ミニギャラリー
『長野史料』索引
(『長野市史』と『長野史料』)
文久二年人馬継立之件、栗田家譜、善光寺火 災記、市場衰微歎願訴訟、権堂飯盛女に付約定書、安政年中歩役一件
出入
桜田門外之変速報
([翻刻])
掃部頭様四日より當十日迄御出仕なし 水戸家江被 仰付之趣 以後心得違之者有之狼藉も難計ニ付門之
出入
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(発地村)
日向林/清水尾根/横手/山神/前田/駒形/舟内/遠瀬戸/本郷/本田/清水窪/小屋ノ沢/若菜/居久保/
出入
松代まちあるきマップ
(1松代城)
往時を偲ばせる太鼓門、本丸大手の櫓門、本丸裏口の北不明門、本丸や二の丸の
出入
口の石垣、内堀、土塁、埋門
桜田門外之変速報
([現代訳])
まで登城していません 水戸家へは、以後心得違いの者や狼藉をはたらく者がないように門の
出入
宿継要書留
([翻刻])
可致売買上條々 一袋茶類之事 一鍋金類之事 一奥馬之義ハ相対次第可致宿事 右領内へ令
出入
, 願ケ間敷儀申上間敷候、右 之外如何様ニ被仰付候共、毛頭無 違背御請仕急度相守、以 来
出入
,、 (改頁) 59 尤右
出入
之義ハ先年も数度及
出入
候事故、 七年以前御見分之御役人様方,元来之儀を乍存、明白ニ 不申上候故、有躰ニ被仰渡候義可有御座奉存候、 畢竟馬継場村々と中馬村々と
出入
, 赤須村之内 赤須町 六年以前甲年信州中馬村々与馬継場村々与 及
出入
小県郡民謡集
(凡例)
故に蒐集したる同一歌謡は悉く比較参照し厳密に一語一句を校合(きょうごう 注6)し互(たがい)に
出入
補欠
木曾山林学校
(アイヌ物語)
家の
出入
には必ず川下の方にして、便所は入口より7、8間乃至15、6間位離れ男女別々に建つるを普通とす。,若(もし)此等の神々に人の
出入
口を示し、又便所を差向ける等の事あらば、其の者は祖先以来のしきたりを無視
検地仕法
([解説])
鎖川(くさりがわ)用水に依存する今井・古見・小野沢新田(朝日村)・針尾(同)4か村の水をめぐる
出入
ははやくからはじまっていましたが
検地仕法
([翻刻])
検地仕法 (改頁) 御検地之次第 2 今井村より古見村江掛り用水新堰
出入
入組
パスファインダー
(市川谷の鮭漁)
1985.9.1 第二章第五節川魚とくらしで、鮭漁を中心に川入会権、信濃川の漁場、 内容紹介 川役
出入
木曾山林学校
(石川県の林野基本調査に就て)
固(もと)より調査項目中林産物消費状況・移
出入
状況等の調査は、山林面積の有無に関せず施行すべくして前に
検地仕法
([現代訳])
御検地の次第、今井村(松本市今井)より古見村(こみむら、東筑摩郡朝日村)までに掛かる用水の新堰の
出入
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
小野村訴方惣代兵右衛門雨沢直八飯沼七左衛門ニ而相済帰村後又 々盆後より差縺相手方より江戸表江願出再
出入
,り是も長々飯田久々利ニ而御吟味其上江戸御奉行所江罷 出御調之上訴方勝利ニ成続而役
出入
と成文化七八九,と
出入
続三ケ 所共ニ訴答頭分替る/\飯田并久々利江罷出江戸御勘定御奉行所 へ欠込訴等いたし三ケ,婦人迄も気立申争等有 之武家なれバ元亀天正之戦国ニ不突(劣)いと騒がしき時節也 (○中略・遷宮献燈
出入
,、助郷夫銭
出入
ノ記事アリ) 一文化十二年二月八日ニ者役交代ニ而後役江引譲り可致筈之所
出入
跡故種々入組多
秀吉と真田
(徳川秀忠軍の上田攻め)
信幸はそれぞれの境界の
出入
口を、しっかり固めさせている、と家康に報告した。
諸国道中商人鑑
(4 小田井から本山まで)
本山宿は木曽路の
出入
口にあたり、下段に奈良井川が流れている。
宿継要書留
([現代訳])
一袋茶類のこと 一鍋金類のこと 一飯田町より奥へ行く馬については、宿をさせてもよいこと 右は領内へ
出入
,恐れながら書付により申し上げます 今回信州中馬の
出入
について、村高・家数・人別・当所より作り出し、他国,一7か年以前明和1(1764)申年、当御奉行所様が拘られて、信州馬継場村々と中馬渡世をしている村々と
出入
,馬継場村々と中馬村々との
出入
について、一度御裁許を仰せ渡されたことですが、中馬荷物を取扱う問屋たちを召出,右のことは懸案のことで、数度
出入
があり混乱して、近年双方ともに心得違等もありますので、お伺いしました。
違作書留帳
([翻刻])
無尽金等不残御割返し、 御気之毒千万、殊ニ此節 松本さまニも御不手廻り、 是ハ伊奈より出府ニ而
出入
, 江崎金一郎様 六月廿二日 角之丞御役所 より扱被仰付 小又村与 高出村へ掛リ、 馬荷物
出入
,お類仲人野溝市郎次 弟娵ニ貰度義 同十八日 藤三郎殿野溝 へ、右一条掛合ニ行 同廿一日 晩
出入
初,くに相成兼、 猶此春承り候得者 和田組杯ニ而ハ荒手 引員数多出来、御 上納等も滞り、夫銭
出入
等
むしくら日記
(2巻 亨)
もなかりしとぞ、寺ハ其まゝに土中ニ有、 (改頁) 中より物を運ひ出るに、《チョウ》灯にて
出入
, 外ニ今年之小役金壱分村惣割ニして遣ス、 (改頁) 46 ○同心或ハ
出入
,に逢たる者へハ皆尋遣し、 素麺干物の類夫々に送りぬ、一々に記さんハ煩はし けれはもらしぬ、 ○
出入
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
三戌年四月 在方塩肴直買御差止之事 【(朱書)五】 一同 五庚子年七月 傳馬町塩肴
出入
并御裁許写之事,右為御禮尋遣申由之口 上ニ而被退候 右之通於御会処ニ対決之節申上候 享保五子年六月塩之義ニ付伝馬町
出入
有之,其以後伝馬町願書御取上無御座候段承知致候、 然ル処同六月十五日塩荷物三駄伝馬町ニて相調候由届 ケ申ニ付、其分ニ難指置
出入
,○】可致売買条々 一袋茶類之事 一鍋釜類之事 一奥馬之義者相対次第可致宿事 右令 領内へ
出入
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
而仕候事御停止ニ被仰付候、市之義も子ノ二月十九日より新町ニ而立候事御停止ニ御座候、与良新町之義ニ付重而
出入
等
むしくら日記
(2巻 亨)
寺はそのまま土中にあって、中から物を運び出すのに提灯を持って
出入
りしていると聞きました。,(略) ◯同心あるいは
出入
りの者で被害にあった者は皆尋ねて、素麺干物の類をそれぞれに送りました,◯
出入
りの者のうち善光寺の清吉は夫婦とも圧死して家筋が絶えました。
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
リ候由 九月十五日 天気 一朝甚五郎参り申聞候者、等々力伝言 ニて申候者、重柳村光寺川除
出入
, 藤井澄之助 中沢権右衛門 金井より参ル 一三才村庄左衛門、金談
出入
由緒相談,り、 別紙之通り申越候書状ニ有之 一金右衛門悴音十義、当四月助十 ・徳十頼ニ而、御上屋敷御
出入
髪結,、 返事左之通為持遣ス 一三拾七石六斗六升六合 宮淵村 連々難渋之処、其上田沢山雑用
出入
難渋,右廿七日参り、廿八日朝上条へ継 十月廿八日 一宮淵村勘右衛門悴久兵衛儀、 村方并役人江掛リ候
出入
一件
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
新町は与良新町であり、新町と与良町との
出入
りの際に旅籠屋を開いた、市を開いたというようなことが新町から
違作書留帳
([現代訳])
、御無尽金など残御割り返し、御気の毒千万、ことにこの節、松本様にも御不手廻り、これは伊那より出府にて
出入
,六月二十二日 角之丞が御役所より扱い仰せ付けられ、小又村と高出村(たかいでむら、塩尻市)へ掛る、馬荷物の
出入
,)の市郎次弟娵に貰いたいと、同十八日に藤三郎殿が野溝 へ、掛け合いに行く、 十二月二十一日 晩に
出入
初,なおまたこの春に承ったが、和田組などでは、人がまばらになったところが数多くでき、御上納なども滞り、夫銭の
出入
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
九月十五日 天気 一、朝、甚五郎が参って申し聞かしたことは、等々力が伝言にて申したことは、重柳村光寺川除
出入
,されたので、御承知されたい、藤井澄之助・中沢権右衛門より、金井より参る 一、三才村の庄左衛門が、金談
出入
由緒,参り、別紙のとおり申し越してきた書状、 一、金右衛門悴音十は、当四月に助十・徳十頼にて、御上屋敷御
出入
髪結,左のとおりに持たせ遣す 一、三十七石六斗六升六合 宮淵村 連々難渋のところ、、そのうえ田沢山雑用
出入
,、二十八日の朝に上条へ継ぐ、 十月二十八日 一、宮淵村の勘右衛門悴久兵衛は、村方と役人に関係した
出入
一件
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
貨物並に旅客 の
出入
甚だ盛なり。
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
其事実では我国の輪
出入
の統計表を繙(ひもと)けば一見明瞭なることである。
地震後世俗語之種
([翻刻])
慶安三庚寅年
出入
相済、七 ヶ年過寛文六丙午年四月十五日御堂へ遷し 奉り、元録元年始て如来堂建替の願,に雪ぎ、後悔 多日に及ふといへとも、風流の道ひとつをしらす、物 書事はよかれあしかれ鐚(ぜに)の
出入
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
在方塩・魚直買御差し止めの事 【(朱書)五】 一同 5庚子年7月 伝馬町塩・魚
出入
,してよいもの 一袋茶類 一鍋釜類 一奥馬(飯田より北へ向う馬)は、宿へ泊めてよい 奥馬の
出入
信州飯田町家控
([翻刻])
一袋茶類之事 一鍋釜類之事 一奥馬之儀者相対次第可致宿事 右領内金
出入
両種於当町堅可商売
信州飯田町家控
([現代訳])
一袋茶類の事 一鍋釜類の事 一奥地(松本方面)へ向かう馬は、宿泊する事 右領内へ
出入
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
而(しこう)して其門前には二人の巡査を配置し、
出入
を許さるべきは印鑑持参者に限れり。,又宇源治一家は刈る沢に引移り、旅店を営み居り其本宅は医師田村源一郎の所有となり、患者の
出入
盛なり。
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