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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (秀吉の死と家康の上杉征伐)

かろうじて家康に対抗しえた前田利家も翌四年閏三月に死去する。,まず、前田利家の子利長に謀反の疑いありとして討伐の兵を出そうとした。
秀吉と真田 (小田原出陣)

この役にあたって、真田昌幸は前田利家が指揮する「北国囗」の一員を命ぜられた。,その軍勢は、真田昌幸三千人、上杉景勝一万人、前田利家一万人で、計二万三千人というものであった。,し殺し(飢死させる)にし、出羽・奥州・日の本の果てまで仕置きを堅く申し付けるつもりだ、そちらは景勝・利家,中ん就く其の面の事、景勝(上杉)・利家(前田)相談せしめ、由断無く相動(はたら)くべき事肝用に候。,景勝・利家相談せしめ、弥(いよいよ)由断有るべからざる義肝要に候。
秀吉と真田 (豊臣氏関係遺品)

信幸は北国囗部隊の一員として、前田利家・上杉景勝らと上州碓氷郡松井田城を攻撃中であった。
義烈百人一首 ([翻刻])

とはずとも さわるとせめて きかすなよ まつを頼の 夕暮のそら 【頭注】 上杉伊豆守重能は足利家,項羽の百万騎を破り、頼朝公は七騎にて天下に其名を上給へり、短慮も時によると重能がいさほし也、されば足利家一,なれし 木の葉の音は 夫(それ)ながら 時雨にかはる 神無月かな 【頭注】 佐々木治部少輔高秀は足利家,を引倶し津国へ下り忍常寺山に陣取り勇を顕して敵を追かへし、そのヽち尾張高経、北国にて義貞を討し後、足利家,滝津瀬に 散てわかるヽ 桜ばな 流れのすゑに またやあふらん 【頭注】 香川兵部大輔春継は中国毛利家
贈答百人一首 ([本文、奥付])

が岡に住、後醍醐天皇へも奉仕して南朝へ心を寄し人也、されば師直に艶書を頼まれしことなど心に染ねど、足利家執事,【頭注】 相州藤沢清浄光寺遊行上人は、諸国順行の砌に人夫伝馬(てんま)を得て心の儘にめぐること足利家
烈女百人一首 ([翻刻])

及び、英時おほくこれを打といへども不敵大軍なれば、ひで時妻子を関東に帰して心よく討死す、妻此よしを足利家
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