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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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浅間山噴火の被害記
([翻刻])
り、家を潰し候故、人家を捨、思い/\遠所江迯ケ候、 一同七日昼七ツ時、吾妻山辺より蛇出候由、
利根川
,狼夥敷出候、人馬怪我多候ゆへ、近郷領者 鉄砲にて過半打留申候、 (改頁) 一関東一番
利根川
幅二里,しく、一度ニ大石おし出し、右三ケ村之民家共 (改頁) 委(悉カ)相潰し、人馬共ニ
利根川
江押流,れ、翌九日
利根川
・江戸川江流出候様子、大キ成ル立木根付侭 家居諸道具・建具等みな/\砕サ(ママ,溺死人馬流候事 前代未聞之由、大川(ママ)通より注進有之候、 此間打続キ日照りにて有之候処、
利根川
八日
浅間山噴火の被害記
([現代訳])
利根川
の上流は二時間ほど水がなかった。,一、関東で一番大きな川である
利根川
は、川幅が二里(約八キロ)あるが、真っ赤になり、鯉・鮒が死んで流れてきた,その量は舟に積みきれないほどで、そのころ
利根川
には生魚はいっさいいなかった。,翌九日、
利根川
・江戸川へそれらが流れてきた様子は、大きな立木が根付きのままであったり、家の諸道具・建具,このころ、日照りが続いていたが、八日・九日には
利根川
の泥水の水位が、三、四尺(約九〇~一二〇センチ)高
パスファインダー
(天明3年(1783)の浅間山噴火)
天明3年 浅間山 噴火 天仁の噴火 鎌原村 埋没村落 発掘調査 火砕流 土石流 吾妻川
利根川
復興,膨大な量の土砂 内容紹介 は山麓の鎌原村を一気に呑み込み、泥流はさらに吾妻川から
利根川
流
浅間焼覚帳
([現代訳])
七月八日の浅間山の噴火が上州万座温泉へも影響し、硫黄山が焼け、
利根川
へ焼け崩れた。,そのため
利根川
の水かさが増し、川を火が流れた。鎌原村をはじめ、北上州の
利根川
筋の六三カ村が流された。
信州浅間焼之事
([解説])
たしかに本書は、高崎やその周辺における浅間山の噴火と被災の様子、とりわけ
利根川
を流されて行く人々の様子
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
一時に闇夜となり、火石の光は天を貫くようで、吾妻川や
利根川
沿いの村々は水が出、武州熊谷の中瀬村あたりまで,
利根川
筋は砂が押埋まり、3日間流れが止められました。そのため47、8ケ村がなくなりました。
浅間山
(第三編 浅間山変異記)
大噴火では、吾妻火砕流で山麓の原野が焼かれ、鎌原火砕流で鎌原村を呑み込み吾妻川をせき止め、それが決壊して
利根川
,
利根川
については「坂東太郎陸となる」の見出しで、流域の被害がくわしく記され「川辺毎夜に泣き叫ぶ幽魂を慰
浅間山噴火の被害記
([解説])
七月六日・七日・八日の大噴火のようす、吾妻川から
利根川
にいたる沿岸村々の被害状況などが、おもに記されている
信州浅間焼之事
([現代訳])
実政の渡しは、
利根川
が狭まったところで、普段でも水の流れが速く、水深が深く、水の色も藍より青い。,烏川も増水して、柳瀬の渡しも渡れなくなり、
利根川
の下流は泥に埋もれてしまったので、水は分かれて低い方へ
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
村々 田畑泥の深サ五尺六尺又は一丈余も押埋み、其中に火石あって燃あがること 三十四五度あり、
利根川
筋別
信州浅間焼之事
([翻刻])
実政の渡しハ
利根川
のせまり (改頁) 12 たる所にて、常さへ水はやく底深
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