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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸)

ところが、天正十年(一五八二)三月、武田勝頼は織田信長に滅ぼされ、信濃など旧武田領は信長の重臣に分け与
秀吉と真田 (「真田」の錦絵)

ここには信玄と勝頼を含め二十六人が上げられている。
パスファインダー (真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁(幸村))

上中下3巻から成るが、特に上巻には、武田晴信宛行状・武田勝頼条 内容紹介 目・真田昌幸宛行状
パスファインダー (真田氏関係の城址、寺社、文化遺産)

長篠合戦図屏風、真田幸隆墓、鎧の銅、血染めの陣羽織、真田昌幸 着用具足、名胡桃城代鈴木主水の墓、武田勝頼書状
贈答百人一首 ([本文、奥付])

50_武田勝頼室(たけだかつよりのしつ) 残なく 散べき春の 暮なれば こすゑの花の 先だつはうき,に向ツて手を合せ念仏となへければ、土屋は首をうち落す、大将はじめありあふ人々泣ざるものはなかりける、勝頼,斯て敵間近く来れば奥方は称名となへつゝ自害して果給ひぬ、 (改頁) 53_土屋宗蔵 52_武田勝頼,52_武田勝頼(たけだかつより) 朧なる 月もほのかに くも霞 はれて行衛の 西の山の端 53,とおぼして「おぼろなる」の哥を詠じければ、土屋宗蔵とりあへずこの返しに「おもかげの」ゝ哥をよみ、さて勝頼
木曾山林学校 (2.木曽の歴史)

勝頼の屡々(しばしば)役を興し誅求(ちゅうきゅう:税などをきびしくとりたてること)飽くなきにより、天正
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

依て秋山伯耆守直義之に代り、永録五年武田四郎勝頼又之に代り、元亀二年勝頼嗣 となるに因り、武田上総介信綱来
烈女百人一首 ([翻刻])

かき切て果たり、女性の切腹世に珍らしく其勇猛をかんじぬ、 (改頁) 67_鳥井与七郎妻 66_勝頼室,66_勝頼室(かつよりのしつ) 黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思ひにきゆる 露の玉の緒 【,頭注】 武田勝頼の室は北条氏康の女(むすめ)也、勝より運かたふきて天正十年三月天もく山にこもり打死のをりから
善光寺独案内 ([現代訳])

武田勝頼公の寄付である。   弥勒の間  板敷きの間である。右の方に弥勒菩薩を安置する。
善光寺独案内 ([翻刻])

武田勝頼公の寄附なり。 弥勒の間 板敷の間なり。右の方に      弥勤菩薩を安置す。  
上田の早苗 ([翻刻])

縄張アリ  テ、同十二年町割夫々沙汰アリト云々、此説ヲ正トスヘシ、 一一書云、天正十年三月旧主武田勝頼織田家
義烈百人一首 ([翻刻])

てなきよしを申せとあるをうけがひて城兵に向ひ三遠濃尾の大軍にて後詰明日来る運を開くこと三日を過まじと力を付る、勝頼大
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