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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (北条氏討伐へ)

そして、その三日後の十一月二十四日には北条氏直に宛てて、その非を書き連ね、関白太政大臣の任にあり国政を,十一月二十一日 (朱印)(豊臣秀吉)      真田安房守とのへ   北条氏直宛豊臣秀吉条目,<史料解説> 「北条氏直宛豊臣秀吉条目」   真田宝物館蔵   天正十七年(一五八九)十一月二十四日
秀吉と真田 (武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸)

真田昌幸は、小県へも侵入した上杉に一旦は従った後、七月には佐久、小県へと軍勢を進めてきた北条氏直に従った,その講和条件は、真田領の上州吾妻・沼田と北条勢力下の佐久郡・甲州都留(つる)郡とを交換し、家康の娘を北条氏直
秀吉と真田 (家康重臣石川数正の秀吉への寝返り)

この件を北条氏直に報じた家康書状には「信州小笠原人質召連れ候」とある。
秀吉と真田 (小田原出陣)

天正十八年(一五九〇)七月五日、北条氏直は降伏し、関東の雄北条氏は滅んだ。
義烈百人一首 ([翻刻])

息忠政家をつぎ筑後守たりしが、これも元和六年卒して嗣(よつぎ)なくして家絶たり、 (改頁) 81_北条氏直,われとしれけり 此像に自食事、茶などそなへて給仕す、八十余にて卒す、まことに一奇人なり、 (改頁) 81_北条氏直
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