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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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江戸生艶気蒲焼 ([解題])

場所は江戸名所のひとつ三囲神社と決め、「南無阿弥陀仏」と言ったら心中を止めてくれる手はずにする。,その場に着き、今まさにこの時と「南無阿弥陀仏」ととなえる。しかし現れたのは黒装束の泥棒二人。
パスファインダー (佐久市跡部の踊り念仏2)

国重要無形民俗文化財 佐久市跡部 踊り念仏 一遍上人 4月第1日 曜日 西方寺 佐久郡伴野荘 小田切の里 南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏の称名(しょうみょう)を始め、数種の和讃(わさん)を称(と な)えながら、棺台と同形の道場
伊那の中路 わがこころ (わがこころ)

心奪われて提子(酒器)をとっている…この下の方の平らな岩の上では、香をたき、男女集まって月の出を待ち、南無阿弥陀仏
来目路の橋 ([解説])

…御堂に入った人の唱える南無阿弥陀仏の声は、鯨のほえるように聞こえてくる。」
信州善光寺御堂額之写 ([現代訳])

まる金もなく、御堂の縁側でお籠りをいたしましたところ、明け方ひとりのお坊様が、「ものが言いたければ、南無阿弥陀仏
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

その後は法華経の1字ごとに礼拝(らいはい)し、南無阿弥陀仏を1遍ずつ唱えて、法華経1000部を達成した,参詣された帰りに、風越(かざこし)という所でしばらく休んでおられた時、たわむれに道端の岩笹を採って、南無阿弥陀仏,いつのまに髪に霜おき一葉落ち身にしみてこそ南無阿弥陀仏 また元仁2年乙酉(きのととり)(1225年)
善光寺独案内 ([現代訳])

その節の御詠歌  いつの間に髪に霜置き一は落ち   身にしみてこそ南無阿弥陀仏   二王門,またもう一基は、正面は「(梵字)南無阿弥陀仏」と記し、側面からの3面に玉鶴姫の履歴を記した文を彫刻してある
違作書留帳 ([現代訳])

を御貸し渡す、 閠四月二十四日 四時に藤市郎内が亡くなる、二十三歳、二十六日に葬式、温室貞良長姉、南無阿弥陀仏, 南無阿弥陀仏、     (改頁)   五月一日 近々、田植えが終わる、 五月二日 源兵衛の,えしになられた、 五月二十一日 又蔵が何右衛門方より金三両を借り、煎じた金水を飲んだが、亡くなった、四十二歳、南無阿弥陀仏, 南無阿弥陀仏、 五月二十八日頃 けしからぬほどの厳しい寒さ、朝顔も開かない、朝かほ     (
おらが春 ([現代訳])

このように決めた上では、南無阿弥陀仏と唱える口の下では、欲を出して盗みをして人の目をかすめるなど、かりそめにも
違作書留帳 ([翻刻])

御貸渡 閠四月 廿四日 七ツ時藤市郎内 相果申候廿三歳、 廿六日葬式 温室貞良長姉  南無阿弥陀仏, 南無阿弥陀仏     (改頁)      54   五月朔日 近々田うへ 仕舞 五月二日
善光寺独案内 ([翻刻])

戒名ハ「仏導院殿一乗妙蓮  大禅定尼 延応元天九月五日」、   又一其ハ、  正面ハ「(梵字)南無阿弥陀仏
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

にあり、] 七十四歳の御時にて、便御詠歌一首あり、   いつのまに髪に霜おき一葉落ち身にしみてこそ南無阿弥陀仏
小県郡民謡集 (児童謡)

28    六つとや 無理にしめたる玉帯を/\    雨風吹いてもまだ解けぬ/\  七つとや 南無阿弥陀仏
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