• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧

NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 6件
辞書ファセット
/ 1ページ
秀吉と真田 (北条の兵、名胡桃城を奪取)

北条の兵、名胡桃城を奪取 「秀吉と真田」の目次はこちら  ところが、秀吉の裁定に違犯する事件が間もなく,真田の属城とされた名胡桃(なぐるみ)城を、北条氏邦の配下で沼田城へ入った猪俣(いのまた)邦憲が攻め、乗,   真田宝物館蔵   天正十七年(一五八九)十一月十日  秀吉の裁定により真田方に残された上州の名胡桃 / 北条の兵、名胡桃城を奪取
パスファインダー (真田氏関係の城址、寺社、文化遺産)

昌幸昇梯子鎧 四阿山奥宮社殿扉 長篠合戦図屏風 真田幸隆墓 鎧の銅 血染めの 陣羽織 真田昌幸着用具足 名胡桃城代鈴木主水,真田幸隆宛武田信玄宛行状、四阿山奥宮社殿 扉、長篠合戦図屏風、真田幸隆墓、鎧の銅、血染めの陣羽織、真田昌幸 着用具足、名胡桃城代鈴木主水,年月日 3 記事 発行機関 年月日 金箔瓦 信濃毎日新聞社(データベース) 2018.3.8 名胡桃城
秀吉と真田 (北条氏討伐へ)

どおり沼田城を渡してやった、にもかかわらず、このような次第では、例え北条が自分の下へ出仕しても、その名胡桃,> 「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」   真田宝物館蔵   天正十七年(一五八九)十一月二十一日  名胡桃事件,自分の裁定が破られたことに憤慨し、名胡桃を攻めたものを成敗しないことには、北条を許すことはできない、などとしている
秀吉と真田 (家康の関東移封と真田昌幸・信幸)

これ以前から秀吉は昌幸を実質的には直臣扱いしていたのだが、沼田・名胡桃の件から北条氏討伐に至ったという
秀吉と真田 (真田氏の動静)

されることは、この書状が真田氏宛での秀忠書状としては初めてのものであり、徳川氏よりの書状としても、天正十八年の名胡桃城事件
秀吉と真田 (小田原出陣)

このように真田の属城名胡桃の事件は、日本史上における重要事件の直接のきっかけとなったのだった。  
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました