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武家百人一首
([翻刻])
和歌
にすぐれ、『新勅撰
和歌
集』、『風雅
和歌
集』に入集。,「
和歌
六人党」の一人。『後拾遺
和歌
集』初出。,
和歌
に秀で、定家に師事する。家集に『金槐
和歌
集(鎌倉右大臣家集)』がある。『新勅撰
和歌
集』初出。,
和歌
や蹴鞠に優れた。『続古今
和歌
集』初出。,『新後撰
和歌
集』、『玉葉
和歌
集』、『続後千載
和歌
集』などに二十三首、入集。
後撰百人一首
([解説])
和歌
と歌人の肖像の他に、頭注として
和歌
の語釈や歌意を載せる。,村上天皇は『古今
和歌
集』につぐ二番目の勅撰
和歌
集『後撰
和歌
集』の撰集下命者で、書名を『後撰百人一首』とすることからの,従って、『後撰
和歌
集』の作者は九十九名となる。,採択
和歌
について、これも『百人一首』同様に勅撰
和歌
集に入集する
和歌
を選出するという原則に従っている。,九十六首の
和歌
が『古今
和歌
集』から『新続古今
和歌
集』までの勅撰二十一代集に入集している
和歌
であるが、13
武家百人一首
([解説])
『古今
和歌
集』『後撰
和歌
集』の二集からの撰歌がないことは了解されるが、『新古今
和歌
集』からの採択がないことは,歌数の多い順に見ていくと、『新続古今
和歌
集』、『新後拾遺
和歌
集』、『風雅
和歌
集』、『続拾遺
和歌
集』、『,勅撰
和歌
集以外では、勅撰に準じられた『新葉
和歌
集』に入集されている
和歌
が一首確認できる(82番)。,このほかでは、『平家物語』『太平記』といった軍記物語の
和歌
や『吾妻鏡』の
和歌
が確認できるが、出典未詳歌,96慈照院太政大臣(足利義政)から100源義髙公(足利義髙、義澄)までの最終盤の五人の
和歌
を勅撰
和歌
集
後撰百人一首
([本文])
第二番目の勅撰
和歌
集『後撰
和歌
集』の撰進下命者。,『続後撰
和歌
集』撰者。『新勅撰
和歌
集』初出。,『新千載
和歌
集』撰者。『玉葉
和歌
集』初出。,『新後撰
和歌
集』、『続千載
和歌
集』の撰者。『新後撰
和歌
集』初出。,
和歌
所開闔となり、『新古今
和歌
集』の編集実務を担当。『新古今
和歌
集』初出。
源氏百人一首
([解説])
『源氏百人一首』は、藤原定家撰とされる『百人一首』に倣った異種百人一首のひとつで、『源氏物語』の中で
和歌
,とりわけ、翁満は歌人、
和歌
研究者として高い評価を得ていた。,序文に続いて、翁満による「惣論」、そして
和歌
本文が配される。,人物の
和歌
を各々一首選び出した。,
和歌
は歌人の肖像とともに記され、歌人の略伝と
和歌
の詠出状況、語釈、歌意などを記した頭注が付される。
パスファインダー
(宗良親王と信濃)
尊氏 高師泰 足利義詮 井伊城 伊那郡大河原 香坂宗興 吉野 長 谷寺 姨捨山 太平記 杏花集 新葉
和歌
集,金槐
和歌
集 雑部 源実朝作. 正風体抄. 為相百 内容紹介 首 藤原為相作.,玉葉
和歌
集(抄) 風雅
和歌
集(抄) 新続古今
和歌
集(抄) 文亀三年三十六番歌合.,集外歌仙等とともに、 宗良親王の
和歌
集新葉
和歌
集(抄) 宗良親王撰.が載っている。
パスファインダー
(菅江真澄と『伊那のなかみち』)
奥羽・蝦夷地の各地を巡歴し、当時の北日本の庶民生活を知る 内容紹介 上で貴重な資料となる、
和歌
,真澄の 日記における
和歌
および説話を中心にその執筆姿勢を検討する 1/2 信州地域史料アーカイブ,菅江真澄と『伊那のなかみち』 5 書名 著者名 出版社 出版年 なぜ
和歌
(うた)を,江戸後期、信越・東北・北海道などを歩き、数多くの旅日記や地誌を記 内容紹介 した菅江真澄の「
和歌
,」「地誌」に注目し、日本人にとって
和歌
とは何か を根源的に問う。
パスファインダー
(信濃の古典文学)
上代には古事記や万葉集、 中古や中世には説話集や軍記物語、勅撰
和歌
集、近世には戯作や俳 諧など、さまざまな,るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 古典 古事記 日本書紀 万葉集 古今
和歌
集,伊勢物語 大和物語 更級日記 今昔物語集 古本説話集 平家物語 義経記 曽 我物語 説経節 徒然草 新古今
和歌
集, 歌物語 説話集 軍記物語
和歌
俳諧 松尾芭蕉 小林一茶 御伽草子 ものぐさ太郎 浮世草子 十返舎一九
源氏百人一首
([凡例])
3)本書所載の序文、惣論、
和歌
本文、頭注、奥付の全文を翻刻した。,・引用されている
和歌
は「 」で括った。,9)
和歌
本文に異同がある場合、*源氏本文では第二句「生ひゆくすゑも」などと示した。
贈答百人一首
([解説])
『贈答百人一首』は本家の『百人一首』に同じく、歌人百名を選出して
和歌
一首を掲載する秀歌撰である。,『贈答百人一首』は、多くの『百人一首』の版本に倣って、掲出
和歌
の箇所に歌人の肖像画を付している。,また、
和歌
に関連して頭注が付されていることも緑亭川柳の著述の特色の一つで、歌人の略伝を中心として、掲出,掲出の
和歌
についてみると、巻頭に左衛門佐(藤原)基俊を配し、以下、西行法師(二番)、(藤原)俊成卿(三番,、歌人を武家、英雄、武烈、烈女、畸人、遊女などといった基準によって選別するのではなく、「贈答」という
和歌
烈女百人一首
([解説])
の時雨に色を替ざる類を寄、列女百首とは号(なづく)」と記されるように、操正しく色を替えない女性百名の
和歌
,『烈女百人一首』は本家の『百人一首』に同じく、女性百名を選出して
和歌
一首を掲載する秀歌撰である。,採択されている歌人、
和歌
についてみると、巻頭一番歌に「平郡千左登」、二番に「中将姫」、以下、三番「熱田縁采女,北斎の担当)には、伊弉冊尊(イザナミノミコト)の天の浮橋での「喜心哉(あなにへや)」と発したことばに
和歌
,(倭歌)の起源をもとめ、下照姫の「天なるや弟棚機の…」(古事記)の歌を掲げて、女性と
和歌
との関わりを叙
木曾山林学校
(修学旅行)
翌日高野山に参拝、次で九度山官行伐木所を視察し、粉川より汽車にて
和歌
山に至り、
和歌
山より大坂に入り、造幣局
浅間山
(第九編 浅岳餘情)
第九編 浅岳餘情
和歌
の部、漢詩之部、長歌の部、俗謡の部があり、「浅間山さんなぜ焼けしやんす、裾にお
後撰百人一首
([凡例])
3)本書所載の序文、
和歌
本文、頭注、跋文、奥付の全文を翻刻した。,・引用されている
和歌
は「 」で括った。 5)作者名については底本の表記のままとした。
秀吉と真田
(豊臣氏関係遺品)
卯月九日 (朱印)(豊臣秀次) 真田源三郎とのへ 淀殿
和歌
短冊 <,史料解説> 「淀殿
和歌
短冊」 真田宝物館 松代藩主真田家伝来の「御手鑑」中の一つ。,「古今
和歌
集」凡河内躬恒の歌。
パスファインダー
(姨捨山の文学)
概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 更級 姨捨山 月の名所 古今
和歌
集,出版年 しなの文学夜話【上】 滝沢貞夫/著 信濃毎日新聞社 1982 内容紹介 『古今
和歌
集,この歌に詠まれた「更級」や「姨捨山」は『今
和歌
集』千百首 中、百五十首も見つかるという。
贈答百人一首
([凡例])
3)本書所載の序文、
和歌
本文、頭注、奥付を翻刻した。,・引用されている
和歌
は「 」で括った。
別所温泉誌
(《温泉の沿革及び考証》)
別所温泉を古代から「七久里の湯」と呼んだことを、
和歌
や清少納言の『枕草子』などから説き起こしています。
信濃名勝詞林
(信濃下向日記)
小鍋村) 6月6日(戸隠中院) 7月15日(善光寺町東之門町) これは『信濃下向日記』の中から
和歌
,(短歌、長歌)が記されている部分を中心に抜き出しているわけですが、ここに抜き出されていない
和歌
もたくさんあります
武家百人一首
([凡例])
3)本書所載の
和歌
本文、跋文、奥付の全文を翻刻した。 4)翻刻は、以下の方針によった。,8)【作者】新日本古典文学大系、
和歌
文学大系等を参照して、歌人について略記した。
安曇・筑摩両郡旧俗伝
(3、「信府統記」の構成)
第30巻「信濃国中名所
和歌
寄」は、信濃国中の名所と関係
和歌
をあげ、第31巻、32巻「道程記」には、松本
義烈百人一首
([解説])
『義烈百人一首』は本家の『百人一首』に同じく、武門において名を残す歌人百名を選出して
和歌
一首を掲載する,『義烈百人一首』は、多くの『百人一首』の版本に倣って、掲出
和歌
の箇所に歌人の肖像画を付している。,
和歌
に関連して頭注が付されていることも緑亭川柳の著述の特色の一つで、本書においても歌人の略伝や逸話を叙,掲出の
和歌
、歌人についてみると、巻頭に鎌倉三代将軍の源実朝を配し、巻軸の百番に加藤清正が置かれている。
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
有明山は、別名信濃富士ともいわれ、平安末期から鎌倉時代にかけて中央の貴族等のあいだで、残月の名所として
和歌
伊那の中路 わがこころ
(わがこころ)
少年の頃、姨捨を訪ねたことや『大和物語』の話、古今
和歌
集の「わが心なぐさめかねつさらしなやをば捨山にてる,れな夕暮れなので、人の心もことに澄み渡り、なにかと口になかでつぶやきながら、煙草をふかしたり、…漢詩や
和歌
パスファインダー
(信濃の『万葉集』)
東山道と万葉集 四賀村教育委員会/編 1983 万葉集信濃国の歌及び防人の歌について―信濃
和歌
史,journal/report_list.aspx 信濃史学会の論文検索 古代をつなぐ(4)=今に伝わる
和歌
パスファインダー
(伊那谷の文学)
1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 2 書名 著者名 出版社 出版年 新葉
和歌
集 (岩波文庫,井月全集 井上井月/著 井上井月顕彰会 2014.3 内容紹介 新たに発見された新句、連句、
和歌
義烈百人一首
([凡例])
3)本書所載の序文、口絵、
和歌
本文、頭注、奥付を翻刻した。 4)翻刻は、以下の方針によった。
戸隠善光寺往来
([現代訳])
聖徳太子が善光寺如来と手紙をやり取りしたり、
和歌
の贈答があったりしたことが、「風雅
和歌
集」や「埃嚢抄」
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(稲荷山町)
/長雲寺 学校: 小学稲荷山学校 古跡・名勝: 城址/鉦山/塚穴/城水/義仲鞍掛石/舟繋石/
和歌
烈女百人一首
([凡例])
3)本書所載の序文、口絵、
和歌
本文、頭注、奥付を翻刻した。
信濃名勝詞林
(越路廼日記)
職を辞してからは、
和歌
の世界でさらに活躍した。,卜占を副業としながら、
和歌
を教えた。 【注5】 江戸後期から明治時代の歌人、書家。,佐久間象山や善光寺町の儒者岩下桜園に師事し、漢詩文と
和歌
を学んだ。
パスファインダー
(松尾多勢子)
松尾多勢子 ねらい 信州の山里近くに生まれた松尾(竹村)多勢子は、若いうちから様々な 学びや
和歌
,その生き方を学ぶ キーワード 山本村 座光寺村 伴野村 松尾佐次右衛門 北原信質(稲雄)
和歌
秀吉と真田
(真田幸村と大坂の役)
と真田」の目次はこちら 慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦後、昌幸・信繁は死罪は免れ、紀州高野山(
和歌
山県
善光寺独案内
(『善光寺独案内』に収録された伝説)
紀州新宮(
和歌
山県新宮市)でもそのように信じられていたのでしょう。
伊那の中路 わがこころ
(伊那の中路)
洗馬、松本、和田等の友人を訪ねて得意の
和歌
を詠みあったり、神社、仏閣を訪ねている。,また、近郷、近在を訪ねて、
和歌
を詠み、友人と交流している。
信濃名勝詞林
(信濃の記)
宿房は木立寺に遊ん 雲水の便にもとて、此國のは〻木の枝きりて雲鈴に餞す は〻き木の枝の茂りや
和歌
,この地名は、平安時代に編纂された『拾遺
和歌
集』に記載されているが、その具体的な場所については諸説ある。
菴の春秋
([解説])
洗馬、松本、和田等の友人を訪ねて得意の
和歌
を詠みあったり、神社、仏閣を訪ねている。,また、近郷、近在を訪ねて、
和歌
を詠み、友人と交流している。
後撰百人一首
([序文等])
朝臣也、この日管絃の御遊ありて後に主上をはしめ奉り、 池ノ月久ク明シといふ 題にて公卿殿上人廿六首の
和歌
「月桂新誌」(7冊)
([解説])
作文のほか、理化学問答・落語・謎解きなどの啓蒙娯楽記事、各地の学校や教員生徒の動静の雑報記事、漢詩文・
和歌
,質問などの欄をなくして、論説・雑報・投書などに多く頁をさくいっぽう、それまで雑報欄に載せていた漢詩文・
和歌
文武二道万石通
([解題])
大名たちは七湯に分かれ、けまり、茶の湯、生け花、香合せ、碁や将棋、芸者遊び、かるた、
和歌
、鼓、揚弓、相撲
小倉百しほ染
([書誌・解題])
『百人一首』の
和歌
を俳諧発句に読み替え、一丁に一句を配して、乾坤二冊にまとめた堂々たる絵入り大本で、すべての
パスファインダー
(信濃の東歌・防人歌)
長野国語国文学会/編 信濃毎日新聞社 1986.12 内容紹介 信濃古典文学年表、信濃
和歌
年表
パスファインダー
(信濃の古典(1))
長野国語国文学会/編 信濃毎日新聞社 1986.12 内容紹介 信濃古典文学年表、信濃
和歌
年表
パスファインダー
(浅岡一)
トピック(テーマ) 浅岡 一 ねらい 浅岡一は明治19年(1886)9月、
和歌
山県
パスファインダー
(『更科紀行』と芭蕉)
姨捨山 名月 善光寺 貞享5年 越人 木曽 桟橋 寝覚 猿が馬場峠 立峠 四十八曲り 笈の小文 古今
和歌
集
パスファインダー
(山極勝三郎博士)
ノーベル賞 ユング賞 市川厚一 うさぎ コール タール 顕微鏡 荒木寅三郎 長与又郎 曲川 俳句
和歌
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
そのとき宮居を遥拝し、
和歌
を詠みました。 ,清和天皇の皇孫である滋野親王が信濃国の海野にいてこの温泉に浴し、
和歌
を詠みました。 ,むかしより下にある火の尽されば信濃のみゆのさむる世はなし 男神岳・女神岳に参り、詠んだ
和歌
は次の通
パスファインダー
(善光寺の物語・紀行文・文学)
『続古今
和歌
集』には、前大僧正覚忠が仁 安三年(1168)「善光寺に詣でける時、姨捨山の麓に宿りて」詠
川柳真田三代記
([書誌・解題])
飯島花月は、川柳ばかりか、真田を詠んだ
和歌
や俳句、俗謡にも目配りして本書に採録していたことがわかる。
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
名を賜ひ、山上 (改頁) 6右 宮居を遙拝まし/\て、御製の
和歌
,を 寄附し、万の料に増加し給ふ、同帝の皇孫滋野親王当国海野に坐し けれバ、此地温泉に浴したまひ、
和歌
/ 2ページ