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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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諸国道中商人鑑 (2 『中山道道中商人鑑』の成立)

諸国道中商人鑑 / 2 『中山道道中商人鑑』の成立 文化文政期は江戸・大坂などの都市の繁栄、商人や文人の全国的な交流、出版教育,(『“きよのさん”と歩く江戸六百里』)  このような旅人や商人をターゲットとして出版されたのが『中山道道中商人鑑 / 2 『中山道道中商人鑑』の成立
諸国道中商人鑑 (1 『中山道道中商人鑑(なかせんどうどうちゅうあきうどかがみ)』について)

諸国道中商人鑑 / 1 『中山道道中商人鑑(なかせんどうどうちゅうあきうどかがみ)』について [目録] 上田歴史研究会, 阿部勇  『中山道道中商人鑑』は『諸国道中商人鑑』シリーズの一冊とみられる。,なお、板橋から追分までは同じ内容で『諸国道中商人鑑 中山道善光寺之部 全』が現存している。,『道中商人鑑』の名が示す通り、ここにはそれぞれの宿(しゅく)にある旅籠屋(はたごや)や商家が紹介されている,はじめのページは「諸国道中商人鑑 旨趣」となっている。 / 1 『中山道道中商人鑑(なかせんどうどうちゅうあきうどかがみ)』について
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

諸国道中商人鑑 / 4 小田井から本山まで 『中山道道中商人鑑』は、松井田から追分まで『諸国道中商人商人鑑 中山道善光寺之部,ふたつの『道中商人鑑』は同じ版をもとにしている可能性が高い。  ,『中山道道中商人鑑』の記述にもどる。,商品流通がますます盛んになり、商人の宿泊が頻繁となったのであろう。,『中山道道中商人鑑』の宿案内はここで終わる。
諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

諸国道中商人鑑 / 3 松井田から追分まで ここに掲載した写真版『中山道道中商人鑑』のはじめのページは「中山道 松井田 ,文化・文政のころの追分宿は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商家28軒(『商人鑑』に載る旅籠屋はわずか4軒、,しかし、実在した当時の旅籠屋や店は、『商人鑑』に掲載された数の十倍以上にもなる(前述した文化・文政頃の,しかし『商人鑑』に載せられた旅籠屋はわずか4軒、十倍は越えるだろう。,『商人鑑』に名を掲載した旅籠屋や店はやはり大変少なかったと言えよう。
原町問屋日記(安政6年 6・7月) ([解説])

諸説あるなかで、安政六年六月二十八日横浜で芝屋清五郎が(イギリス商人に)売ったという話が事実に近いだろうと,安政六年二月、上田から原町商人伊藤林之助らが藩命を受け江戸へ向かう。,林之助らは江戸から一時上田へ帰り、商人たちに報告した内容が(1)にあたる。,外国商人が欲しがっているとの情報を得ていたのであろう。,開店当日にイギリス商人が上田の品物に目を付け「話が大いに盛り上がった」と林之助の日記に記されている。
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([現代訳])

米穀はいうまでもないが、そのほかの商品も買い占め、商人仲間で相談して、値段をつり上げて売るようなことは,このことを諸商人へ話して聞かせ、承知したという証拠に諸商人から判子を取れ。
パスファインダー (花街権堂の歴史)

復刻 諸国道中商人鑑 郷土出版社 1989.4 文政10年(1827)に出版された『諸国道中商人鑑,gaiyou_sky/sky201810.pdf#page=10 概要 3 サイト名 『諸国道中商人鑑,sky201811.pdf#page=10 概要 1 記事 発行機関 年月日 『諸国道中商人鑑
拾八町家並帳 ([解説])

出身地にちなんでつけた店が多いのですが、飯田町は伊勢商人・近江商人など西の方面から入ってきた商人が多くなっています,この史料ではわかりませんが、飯田町には店を持つ商人や振商い(行商)をする商人、様々な職人が居住していて
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([翻刻])

別而申渡候者、 米穀者不及申ニ、諸売物買置     (改頁)      3   商人仲,御役所江相願候由申来候、 若相背買置・〆売或者高直之 商ひ致候者於有之者、急度可申付事 右之趣諸商人江申聞
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (茂田井村)

花立/角田/堀込/百田/三川/三ツ石/大明神/大石平/粕台/諏訪料/堀越/飯名田/四通リ田/川原田/商人窪,/茂田井川 渡・堰: 茂田井組用水堰/茂田井組用水八丁地堰/観音寺新田組用水堰/温井沼/馬場池/商人窪池
宿継要書留 ([解説])

りをする伊那街道の宿場と、荷物を付け通す中馬稼ぎの人たちや、荷物を送り出したり受け取ったりする飯田町商人,街道が整備されると、宿馬によって商人荷物が運ばれるようになっただけでなく、自分馬による物資の輸送も行われるようになりました,明和6(1769)年から明和7年にかけての争いは、飯田町商人が決められた駄数の荷物を宿継にしなかったことから,伊那街道の大島・片桐・飯島・赤須の4か宿は、江戸へ訴え出ましたが、飯6町商人もこれに対応して訴え出ました,明和の裁許によって駄分けになり、伊那街道の宿場と中馬稼ぎ及び飯田町商人は、どの品を駄分けにするか曖昧なところをついて
上田の早苗 ([解説])

[解説] [目録] 東御市文化財保護審議会 寺島隆史  上田城下原町の商人で、学者としても知られた
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([解説])

されたもので、最初に岩村田藩役所からの申し渡しが記され、その後に申し渡しを承知したと記され、岩村田宿商人,ついては岩村田宿においても、そのようなことをしないように商人へ申し渡す、と記されている。,そのため信州から上州へ送られる米が通常より減少し、それは信州の米商人らが買い占めをしているからだと考えた
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([解説])

されたもので、最初に岩村田藩役所からの申し渡しが記され、その後に申し渡しを承知したと記され、岩村田宿商人,ついては岩村田宿においても、そのようなことをしないように商人へ申し渡す、と記されている。,そのため信州から上州へ送られる米が通常より減少し、それは信州の米商人らが買い占めをしているからだと考えた
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([解説])

されたもので、最初に岩村田藩役所からの申し渡しが記され、その後に申し渡しを承知したと記され、岩村田宿商人,ついては岩村田宿においても、そのようなことをしないように商人へ申し渡す、と記されている。,そのため信州から上州へ送られる米が通常より減少し、それは信州の米商人らが買い占めをしているからだと考えた
パスファインダー (蚕都上田)

吉池定之助、吉池泰 助、松田玄冲、中居撰之助、中居重兵衛、上州吾妻郡中居村、横浜、武 蔵屋北澤佑助、イギリス商人,開港後、上田からの生糸輸出量が 増大、上州生糸商人が「上田は信州の横浜であった」と表現するまでに なった,生糸輸出開始以降 の状況(上田提糸や横浜との関係など)については、史料に加え商人の 証言も添えて記してある
パスファインダー (大谷幸蔵)

横浜 に開店した中居屋、上田生糸商人、横浜商人などの活躍を紹介し生糸 と蚕種のくわしく輸出を述べ、そのあとに
パスファインダー (貿易の先駆者 大谷幸蔵)

信州の商人たちは、いち早く横浜に 拠点を設け売り込みを図った。,大谷幸蔵も江戸へ出て、日本橋に「大黒 屋」の暖簾を掲げ、横浜商人への売り込みを図り、後年、イタリアはじめ
パスファインダー (純水館)

江戸中期から活躍していた商人 内容紹介 の力で発展していく純水館製糸場の姿を語っている。,永井與三郎 小諸活版所 1905 資料リスト 内容紹介 明治中期の小諸を概観しつつ小諸商人
松本藩庄内組大庄屋御用留 (4、御用留の書かれた年)

、品質向上のため、繭や糸取引への産物会所による統制を強化したり、刻み煙草の出荷仕法を再規定して、煙草商人仲間
松代まちあるきマップ (31送経山西念寺)

また、松代商人の代表格で地域振興に貢献した抗全家の墓がある。
パスファインダー (善光寺参詣と善光寺道)

キーワード 概要を知るための ツール 善光寺道名所図会 諸国道中商人鑑 木曽路名所図会 木曽街道六十,出版年 江戸の旅 [上・下] 尾崎行也/著 八十二文化財団 2010ー2011 「諸国道中商人鑑,出版年 1995年 内容紹介 十返舎一九の信州への道中記 5 書名 復刻 諸国道中商人鑑
小諸繁昌記 ([解説])

荒町の豪商柳田茂十郎については「文明的商人」として、詳しく述べています。,昭和に至るまで、「小諸商人」、「商人の町小諸」といわれていた小諸を、明治後期に端的に述べています。
パスファインダー (北国街道小諸宿)

 信州の街道 『定本・信州の街道』刊行会/編 郷土出版社 1991.7 内容紹介 卸問屋の多い商人町,4 書名 著者名 出版社 出版年 小諸商人太平記 櫟出版部/編 櫟 1987.12 元佐久市志編纂委員長
松代まちあるきマップ (33尼巌山浄福寺)

藩御用商人・豪商八田家の墓地がある。
桜田門外之変速報 ([解説])

上田地域にはこのように生糸を扱う大商人が何人もいたのです。,このころの横浜では、生糸商人が相場の大きな変動によって大損害を受け破産した、あるいは自死したという話もあります
宿継要書留 ([翻刻])

          中馬方 宮木村へ壱通           宿方  飯田へ壱通           商人方, 松本へ壱通     (改頁)   信州伊奈郡七拾三ケ村中馬并同国 筑摩郡松本町商人与同国伊那,、如前致通路 候、然ニ去春問屋共七色之荷物 宿次ニ申付候由申立、荷物九駄押 止候由訴之、松本町商人申候者,、此方 地頭方江十六宿問屋訴候者、去     (改頁)      4   春商人荷物宿次ニ可仕旨申付候故,拾六ケ宿問屋 答候ハ、中馬之者申通先年証文 出候節ハ出所より之作物斗中馬付 通候処、近年松本町商人与致一味
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

品多余り肴或者生物等市場ニて取扱候儀難致、其上馬方  共茂迷惑之由申候間、依之馬問屋場ニ而拾三町之商人共,                      印形  右書面も十三町役人中ニ有之、爰ニ不記  商人申合,、在    方紙漉他所紙漉他国商人共ニ難渋之事故、御    領分紙漉中より新作江右難渋之筋合申込候由, 仕、荷物付出し候義ニ候得者、毛賀村ニ問屋相立候  而者他所商人御城下江入込候而も通りぬけ斗ニ而,吉野紙・きせ紙・美濃紙之類他国     (改頁)    より来り候、紙類其外京都・大坂辺より他国商人
宿継要書留 ([現代訳])

松本町商人が言うには、こちらの地頭方へ16宿問屋が訴えたことは、去年の春商人荷物を宿継にするように申し,これにより荷問屋商人惣代として宿役人たちが連印して、書付を差上げます。,商人へ買い取り駄賃で付け出しているうちに、馬継場で継立ててきていても、近年商人の都合で付け通すものもあります,商人荷物継送りを利益として右継役を勤めています。,勿論商人荷物の他土地の産物を手馬で付送ることは、信州の通例なので商人荷物を紛らわし茶荷物として付送るので
秀吉と真田 (徳川方への攻勢)

の代になってからは真田家を辞した模様で、江戸時代はその出身地の名をとった「遠州屋」という上田城下町の商人
松代まちあるきマップ (18松代まち歩きセンター 八田家)

年末~正月三ヶ日、お盆期間 駐車場完備 八田家 八田家 八田家  江戸時代には松代藩の御用商人
蚕かひの学 ([解説])

塩尻の蚕種商人たちは、いくつもの養蚕書を刊行しました。次に三冊の養蚕書を紹介します。
明治3年歎願書 ([現代訳])

私のほうで蚕種製造のための元金を、それぞれの製造者に立て替えておいた代金(横浜の商人と契約を結ぶ前に上田地域,(外国へ蚕種を売り込んでいる横浜の商人は、現在の価格で売買すると)どのようにしても勘定が成り立たないので
御城下古法并市場古法書抜書集 ([解説])

合わせ約束の変更を求める飯田町町人、商品生産を掌握し、商品流通の活発な流れに入っていこうとする周辺の商人,享和期から文化期にかけては、さらに約束を守っていない商人の例が多く見つかり、飯田町として過料銭(罰金)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岡本村)

大屋敷/五位ヶ窪/麻葉原/西山/妙義山/笹野水/栗和田池のジュンサイ/塩水/烏帽子(えぼし)巌/屏風巌/商人石
木曾山林学校 (福島通信)

此日の本町通の模様は山師的、夜店的商人の山出人を当込み大道へ陣を敷き居る様及人出の多き事……馬こそ居らね
善光寺道名所図会 (○小県郡上田)

城下商人や村の豪農商が上田藩の生糸輸出事業を支えていました。
洒落見絵図 ([解題])

武士や職人、商人、儒者、仏者などが「しゃれた」ものだという。
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

2月   上川路村に許可する商売物の事 【(朱書)八】 一□…□(正徳3年巳)5月10日 13町魚商人,・肴荷物市場や問屋場で商人どもが買い分けるように裁許があった。,この仰せについて、町方の商人・元結屋・水引屋は言うに及ばず、在方の紙漉・他所紙漉・他国商人ともに困ったことなので,少しでもほとんどは他所商人へ商っていることで、荷物を馬につけて付け出すことです。,魚については享保以後13町ならびに伝馬町商人たちが、問屋場において買い分けてきました。
パスファインダー (小山久左衛門)

知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 江戸時代、小諸藩の御用商人
パスファインダー (米騒動)

ロシア革命が起こり、これへの軍事干渉としてシベリア出兵が行わ れ、米価値上がりを見越した米商人・地主の
パスファインダー (信州の「道」)

編集 出版社 中央公論新社 出版年 2002年4月 内容紹介 各巻書名:異郷を結ぶ商人
パスファインダー (長野県の5つの国立銀行)

検索すると関係資料を探すことができる 新聞 1 見出し 時代を駆ける(6) 量造を支えた商人
パスファインダー (信州飯田・下伊那の百姓一揆・騒動)

飯田町の組頭が記録し、のちに清書された飯田町の記録、文化12年に 起こされた紙問屋一揆について、飯田町商人
明治3年歎願書 ([解説])

したがって、彼は明治3年までの10年余にわたって、上田藩の生糸や蚕種輸出を支えていた重要な商人の一人であったことがわかります
パスファインダー (信越を結ぶ谷街道)

近世編第三章第六節清津川・中津川渡船の成立と交通路の変化で、、 谷街道は西通りから東通りに変わったこと、役人や商人
小県郡民謡集 (付録 春駒一首)

 車に積んでよいさらさらと とうと車に皆積みかさね 京へ上げよか大阪(おさか)へやろか 京や大阪の商人衆
パスファインダー (信州の道・街道(東北信地域))

内容紹介 江戸時代の庶民の旅、伊勢参りの様子、道中記等について述べるととも に、『諸国道中商人鑑
信州飯田町家控 ([現代訳])

一町方ぼてふり商人のフゴ札運上は、1枚について鳥目2貫文ずつ毎年上納することになっています。,一ぼてふり商人のフゴ札運上は、先の御領主様の時は、札1枚について銭2貫文ずつ治めていましたが、今の代となり,一2つの荷物の内塩荷物は、13町の内市場へ付けて来て、13町の商人が買い取るようにすること。,古法の通り市町において、13町の商人が買い分けをし、余り塩があれば翌日の市場へ送ること   一肴は,前の通肴荷物は問屋場へ卸し、13町・伝馬町の商人とも一緒に買い分けをすること。
寺子屋入門記録「壱番入門記録」 ([解説])

商人は勿論ですが様々な職人たちの子どもが入門しています。
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