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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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信濃名勝詞林 (信濃下向日記)

善光寺町の東之門町に御旅屋(おたや)があり、そこを拠点に檀家を巡りました。,天明6年の回村 3月8日に伊勢を出発して、3月20日に善光寺町東之門町の御旅屋に入ると、5月4日から,3月28日(善光寺町東之門町) 4月11日(善光寺町東之門町) 4月24日(八幡原古戦場を通って松代,へ) 5月26日(善光寺町東之門町) 5月27日(東之門町から茂菅村へ) 6月2日(小鍋村),6月6日(戸隠中院) 7月15日(善光寺町東之門町) これは『信濃下向日記』の中から和歌(短歌、長歌
戸隠善光寺往来 (『戸隠善光寺往来』の内容)

善光寺町では、仏都としての繁栄ぶりに「驚歎」しています。,全国から人の集まる善光寺町の繁栄は、道中のどの宿場や城下にも見られなかった特別なもので、長旅をして善光寺
松本藩庄内組大庄屋御用留 (4、御用留の書かれた年)

震源地は善光寺町付近で、マグニチュード7.4であったといいます。
パスファインダー (中野県分県と長野県誕生)

ねらい 明治3年9月に伊那県から分県して成立した中野県は、9か月後の明治 4年6月に長野村善光寺町,府藩県三治制 伊那県 中野県 高石和道 中野騒動 長野県 立木兼 善 贋二分金 太政官札 長野村善光寺町
パスファインダー (明治3年(1870)の農民一揆(松代騒動))

11月25日一揆 が起こるが、善光寺町・松代城下、現長野市域の村々での被害の詳 しい状況などがわかる。,善光寺町の被害取調、松代町騒動焼亡人 別、松代暴動人権堂村乱入顛末、騒動参加者吟味、真田桜山閉門申 付書
犀川を下る記 (3.千曲川通船)

また、「天保12年(1841)善光寺町の厚連ら二人が通船10艘を用いることが許され、これが千曲川最大の
『長野史料』索引 ([翻刻])

改頁)      二、火難(注)     善光寺火災記 [三宝記 見集録 旧事記]     善光寺町火災記,    服装ノ制裁 雨宮社前制札 人四[三〇 命令規定ニ復出]     鳥飼菓子屋[菓子ノ元祖 善光寺町
戸隠善光寺往来 ([翻刻])

丹波嶋ハ 往時甲越之戦場、斎      (改頁)      9   川を打越、善光寺町ニ
パスファインダー (花街権堂の歴史)

長野市史考 小林計一郎/著 吉川弘文館 1969.4 第三部「善光寺参詣者・善光寺町の文化」の中に、「
善光寺道名所図会 (善光寺道(北国脇往還))

宿に出、篠ノ井追分(しののいおいわけ)で北国街道に合流し、丹波島(たんばじま)で犀川を渡って水内郡の善光寺町
パスファインダー (小平甚右衛門)

救恤慰撫策 上山田村金毘羅山 頭取 松代藩 真田幸 民 真田桜山 高野広馬 大英寺 赤沢蘭渓 河原均 善光寺町
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

犀川を越え、善光寺町に到着して、見れば、商店と旅籠(はたご)が軒を連ね、まことに繁盛の地で、仏都の光景
パスファインダー (善光寺の物語・紀行文・文学)

にひるがえり、入る人、い づる人、国々よりはるばる歩みをはこびて、未来成仏の願わぬ人もなく」 と善光寺町
パスファインダー (十返舎一九の『続膝栗毛』)

軽井沢・追分・小諸とすぎ上田経 由で善光寺町に到着する。
信濃名勝詞林 (信濃の記)

【注4】 善光寺町の俳人。
パスファインダー (善光寺参詣と善光寺道)

にひるがえり、入る人、い づる人、国々よりはるばる歩みをはこびて、未来成仏の願わぬ人もなく」 と善光寺町
パスファインダー (善光寺地震)

善光寺地震 ねらい 弘化4年(1847)3月24日(太陽暦5月8日)夜10時ごろ、善光寺町
信濃名勝詞林 (越路廼日記)

佐久間象山や善光寺町の儒者岩下桜園に師事し、漢詩文と和歌を学んだ。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

善光寺町(長野市)、飯山(飯山市)、稲荷山(千曲市稲荷山)、新町(長野市信州新町)などが全焼していることが
むしくら日記 (3巻 利)

水内郡村々民家押潰死失有之付、   早速見分役人差出候処、別而水内郡権堂村之儀者   右地震二而皆潰同様之上、善光寺町,死失人五人   栗田村     (改頁)      内 男三人      女二人   是者善光寺町
むしくら日記 (3巻 利)

役人を差し向けましたところ、とりわけ水内郡権堂村については、右の地震で殆どの家屋が壊滅状態になった上、善光寺町
むしくら日記 (2巻 亨)

いたし候村々も有之、一村三四十人位より二三百人程も     (改頁)    即死怪我人有之、善光寺町
地震後世俗語之種 ([現代訳])

夜に大地震が起こって危うく命が助かり、我が家もろくに見ないで慌てて避難して、狂気のように心を悩ませ、善光寺町
むしくら日記 (2巻 亨)

善光寺町では家並みが殆ど残らず倒壊し、その上焼失して、多くの即死、怪我人が出ました。
むしくら日記 (4巻 貞)

矢野茂立合ニ行し帰の後 書上摘要す、   茂菅村[家数四十一軒人数二百人程] 半潰一軒、変死一人善光寺町
むしくら日記 (1巻 元)

しま、左忠次子利兵衛、女房むら、同人子   しゆう、座頭宗貞女房しゆん   荒神町、重吉子市太郎 善光寺町親類之方
地震後世俗語之種 ([現代訳])

ここに善光寺町の焼け跡の図を入れるのは前後の続きがおかしいかもしれません。
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