機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 18件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
浄瑠璃山
国分寺
(注3) 天台宗属東叡山 本尊は薬師如来で行基の作です。,上田から1里、小県郡白鳥庄
国分寺
村にあり真言院と号しています。 ,慶長の頃、上田勢(注5)は
国分寺
を本陣として、20町ほど東の加賀川に柵を構えたといわれています。 ,(注3)信濃
国分寺
は聖武天皇の勅願で建立されたと伝えられている寺で、国史跡跡に指定されています。,現在の
国分寺
は、寺跡の北方400メートルの地にあり、本堂は薬師堂または八日堂と呼ばれています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(国分村)
上田市(うえだし) 明治初期:国分村(こくぶむら) 幕末から明治初期:上沢村/堀村/上堀/黒坪村/
国分寺
村,橋: 新海橋/西沖橋 道路: 北国街道 社: 國分神社/諏訪大神社/堀川神社 寺:
國分寺
秀吉と真田
(上杉方による上田城増築普請)
遠州(徳川)勢と
国分寺
(上田市)で一戦を遂げ、敵を千三百余討ち取ったとしている。,閏八月二日、
国分寺
村(上田市)において遠州から出張してきた徳川軍と一戦を遂げ、千三百余人を討ち取った、,せてから猛反撃に移り、城下の街路に仕柵けてあった千鳥柵けの柵などにより混乱しながら敗走する徳川勢を追撃、
国分寺
,仍って遠州より出勢候間、去る二日、
国分寺
に於いて一戦を遂げ、千三百余討捕り、備へ存分に任せ候。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上丸子村)
北国街道 社: 安良居神社/諏訪社/箱根社/熊野社 学校: 丸子学校 古跡・名勝: 丸子城/旧
国分寺
跡
月と梅
([解説])
樹葉は、明治二十六年十一月十二日、信濃国小県郡
国分寺
の境内に「春もやゝけしき整ふ月と梅」の芭蕉句碑を建立
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
まず、別所温泉に行き、男神岳・女神岳をはじめ、安楽寺・常楽寺の寺塔等を請録し、上田から科野大宮・
国分寺
月と梅
([翻刻])
) 」四オ 寺院の屋根に桜 川の画 永湖(印も永湖) 」四ウ・五オ 信濃
国分寺
,草も樹も洩らさぬ 御代や法の春 樹葉 」五ウ 明治二十六年十一月十二日於信濃国小県郡
国分寺
興行,時雨哉 上州李古 名を伝ふ椎のゆかりや夏木立 可都ミ しぐるゝやむかしの塔の
国分寺
,こゝに今年 祖神二百年祭の報恩を、聊 いとなみ、我信濃
国分寺
の霊場に 」十四オ,されば すぐる二十六年十一月、祖翁二百年の 遠忌にあたり、おなじ郡
国分寺
の境 」三十ウ
パスファインダー
(小島大治郎)
キーワード 鋳物師屋、鍋大、上田領常田村、
国分寺
八日堂縁日、鍋釜、善光寺梵 鐘、小島左門太、埴科郡西条村六工社
上田案内
([解説])
信濃
国分寺
八日堂の縁日には、上田小県はもちろん、佐久や上州からも鍋釜を求めて「鍋大」に立ち寄っている。,〇附近名勝古跡 生島足島神社、信濃
国分寺
をはじめ戸石城などが挙げられ、古戦場が紹介されている。
小県郡民謡集
(凡例)
古来の文化域を以て見るも小県郡は信濃
国分寺
を中心として ……其前後中心が少しづつ其附近(ふきん)に移動
豆から日記
([翻刻])
其声 (改頁) 13 蓑着ても旅ハめでたき柳かな 玉阿 しだれぬも河原柳のひとつかな
国分寺
,をさへ待こゝろ 支山 もゝ鳥にだまされあるく春日かな 岡田 乕谷 長き日や都の旅もひとむかし
国分寺
,ぐもり 上田 如月 古さとの山こそ見ゆれおぼろ月 山田 佳山 春の夜の雨をはらミて更にけり
国分寺
,てあとなき花の流かな 屢中 花の奥心にかけて日ハくれぬ 中村 路一 花ちるや人になれたる小鳥ども
国分寺
俳人名家録
([翻刻])
其声 (改頁) 13 蓑着ても旅ハめでたき柳かな 玉阿 しだれぬも河原柳のひとつかな
国分寺
,をさへ待こゝろ 支山 もゝ鳥にだまされあるく春日かな 岡田 乕谷 長き日や都の旅もひとむかし
国分寺
,ぐもり 上田 如月 古さとの山こそ見ゆれおぼろ月 山田 佳山 春の夜の雨をはらミて更にけり
国分寺
,てあとなき花の流かな 屢中 花の奥心にかけて日ハくれぬ 中村 路一 花ちるや人になれたる小鳥ども
国分寺
俳諧あやめぐさ
([解題])
白雄殁後、
国分寺
の境内に門人とともに芭蕉の句碑を建立した。
松代藩より江戸までの参勤道中絵図[写]
([翻刻])
村 右ノ方ニ
国分寺
ノ八日堂ミゆる 堀河原村 三重ノ堂也 薬師あり ,
国分寺
毎年正月八日 初市ニて近郷より 八日堂 群集す 堀首村 宿ノ
明治二年八月上田騒動一件書留
([翻刻])
塩尻組ふミ入村平尾忠助柳原源太宮下惣三郎少破、山部紋吉者中破 一、皮籠外紙類焼亡、建具家財多分打毀
国分寺
村庄屋,一、居家長屋物置雪隠薪屋焼失 同 鋒城俊平 一、去ル十八日騒動之者共放火ニ而居家物置雪隠焼失
国分寺
組割番野竹村
上田の早苗
([翻刻])
両人ヲ以テ上田城へ被遣和睦ノ扱アリ、[和睦トハ天正十三年来不和ナリシ故ニ扱ヒアルナリ]昌幸 両使ヲ
国分寺
,) 国衙ハ小県郡ニアリシ考証 一国衙ノ所在未詳ナラスト雖、諸国府ノ下ニ
国分寺
,タルヲ知レリ、然トモ今其所在地ヲ逸シタレトモ、恐ラクハ上田町近辺ナリシナ ラン、里老曽テ伝云フニ、
国分寺
辺
信濃俳林 画像篶風集 後編
([翻刻])
清一 (一行アキママ) 水と空月澄あひぬ千隈川 呉江 」二十オ (改頁)22
国分寺
晩鐘
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
同国水内郡駒沢に移住し、26歳で母も失ったので、貞親は出家したいと頻りに思い、越後国の五智の如来(越後
国分寺
/ 1ページ