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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
浄瑠璃山
国分寺
(注3) 天台宗属東叡山 本尊は薬師如来で行基の作です。,上田から1里、小県郡白鳥庄
国分寺
村にあり真言院と号しています。 ,慶長の頃、上田勢(注5)は
国分寺
を本陣として、20町ほど東の加賀川に柵を構えたといわれています。 ,(注3)信濃
国分寺
は聖武天皇の勅願で建立されたと伝えられている寺で、国史跡跡に指定されています。,現在の
国分寺
は、寺跡の北方400メートルの地にあり、本堂は薬師堂または八日堂と呼ばれています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(国分村)
上田市(うえだし) 明治初期:国分村(こくぶむら) 幕末から明治初期:上沢村/堀村/上堀/黒坪村/
国分寺
村,橋: 新海橋/西沖橋 道路: 北国街道 社: 國分神社/諏訪大神社/堀川神社 寺:
國分寺
秀吉と真田
(上杉方による上田城増築普請)
遠州(徳川)勢と
国分寺
(上田市)で一戦を遂げ、敵を千三百余討ち取ったとしている。,閏八月二日、
国分寺
村(上田市)において遠州から出張してきた徳川軍と一戦を遂げ、千三百余人を討ち取った、,せてから猛反撃に移り、城下の街路に仕柵けてあった千鳥柵けの柵などにより混乱しながら敗走する徳川勢を追撃、
国分寺
,仍って遠州より出勢候間、去る二日、
国分寺
に於いて一戦を遂げ、千三百余討捕り、備へ存分に任せ候。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上丸子村)
北国街道 社: 安良居神社/諏訪社/箱根社/熊野社 学校: 丸子学校 古跡・名勝: 丸子城/旧
国分寺
跡
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
まず、別所温泉に行き、男神岳・女神岳をはじめ、安楽寺・常楽寺の寺塔等を請録し、上田から科野大宮・
国分寺
パスファインダー
(小島大治郎)
キーワード 鋳物師屋、鍋大、上田領常田村、
国分寺
八日堂縁日、鍋釜、善光寺梵 鐘、小島左門太、埴科郡西条村六工社
上田案内
([解説])
信濃
国分寺
八日堂の縁日には、上田小県はもちろん、佐久や上州からも鍋釜を求めて「鍋大」に立ち寄っている。,〇附近名勝古跡 生島足島神社、信濃
国分寺
をはじめ戸石城などが挙げられ、古戦場が紹介されている。
小県郡民謡集
(凡例)
古来の文化域を以て見るも小県郡は信濃
国分寺
を中心として ……其前後中心が少しづつ其附近(ふきん)に移動
上田の早苗
([翻刻])
両人ヲ以テ上田城へ被遣和睦ノ扱アリ、[和睦トハ天正十三年来不和ナリシ故ニ扱ヒアルナリ]昌幸 両使ヲ
国分寺
,) 国衙ハ小県郡ニアリシ考証 一国衙ノ所在未詳ナラスト雖、諸国府ノ下ニ
国分寺
,タルヲ知レリ、然トモ今其所在地ヲ逸シタレトモ、恐ラクハ上田町近辺ナリシナ ラン、里老曽テ伝云フニ、
国分寺
辺
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
同国水内郡駒沢に移住し、26歳で母も失ったので、貞親は出家したいと頻りに思い、越後国の五智の如来(越後
国分寺
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