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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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龍駕の跡 (1巡行における府県の布達)

また、「提灯点灯」「国旗掲揚」がほとんどの府県で人々に達せられているが、これは明治5年に各府県が独自に,地方官が新暦の国家祝祭日の祝旗として登場していた国旗掲揚を奉祝の名を借りて強制していたが、明治11年に,地方官へ国旗・提灯で奉祝の形を表すことを人民の自由意志にするよう指示した。  
龍駕の跡 (おわりに-近代天皇制国家への道)

巡行と民衆との関係においても、地方官が奉祝をうたい国旗・提灯や小学生の集団奉迎を準備させたことに呼応し,、人々も小学生の洋服や袴を新調し、地域の意思で行在所として小学校の洋風校舎建設や、花火打ち上げ、国旗購入
木曾山林学校 (◎小川木山祭を視(み)る)

8時半頃に漸く上松へ着いたが、上松では各戸灯籠、国旗を掲げて木山祭に対する祝意を表して居(お)られた。
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

老若男女は万世橋より板橋の間迄路次(ろじみちすじ)に充満して錐(すい)を立つべき隙(すき)もなく、家々には国旗,              芳  樹 峠町にては道路に敷砂をなし、両側に青竹、注連(しめなわ)、国旗,此処にては道を清め砂を盛り、主なる家は国旗を翻(ひるがえ)し提灯(ちょうちん)を掲げて祝意を表し、供奉員,市中ノ景况ハ流石(さすが)ニ城下ノ跡ダケアリテ、道路家屋ノ華美ナル、日章国旗ノ新築ナル竿ノ玉ノ舶来ナル,奉迎者は道の両側に整列して絶間なし、上田町は流石(さすが)五万石の城下丈け有りて、戸々国旗を立て紅燈(
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