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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

故に親鸞松と称し来れると  かや。 堂照坊  善光寺塔中四十八坊あり。,内十五坊ハ妻帯して如来を守護す。是百済国より如来に随ひ来て  常随給仕し給ひし僧達の子孫也とかや。,今ハはや焼死なんとせし程なるに、不思議や俄に  村雨の一しきり降来て、猛火悉く消しかば、彦四郎辛き命,我として我事を定むだにかわり  易きに、況や他人の詞におひてをや。,其しかりや否やをつまびらかにせず。 大法山正行寺 西派御坊所  同国同所ニ有。    
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富田村)

/泉平村/荒安村/新安村 幕末から明治初期(よみ):たたらむら/さくらむら/いずみだいらむら/あらやすむら,/しんやすむら 『長野県町村誌』 1巻 p120に掲載 該当ページを見る キーワード 字地:,居村/番場/沓打/規坊/下田/欠岩/下土平/夏目/石原/大土平/七々久保/南沖/寺平/山手場/蟹沢/薬師土,飯縄山/葛山/岩山/高木山/三条峯/南中山/北谷山/北中山 川: 裾花川/濁沢/釣沢/濁沢水除/規坊堤,/規坊瀑布 渡・堰: 北井戸堰/中堰/横堰/土平堰/高木堰/平田堰/地原堰/南瑪瑙堰/神明堰/素桜堰
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (大井村)

明治初期:大井村(おおいむら) 幕末から明治初期:宇山村/山部村/桐原村 幕末から明治初期(よみ):うやまむら,/やまべむら/きりはらむら 『長野県町村誌』 2巻 p2521に掲載 該当ページを見る キーワード,字地: 籠池/田中/西ノ妻/コシキ田/沢田/極楽坂/番屋/峠反/上坊/小林/門口/下リ松/柳大門,/権現山/反田/下坊/片坂/狭間口/新城/万太郎/小桶沢/矢原/若宮/西窪/中村/前田/中島/栗在家/,/山部組用水堰/山部組高井堰/泥ケ沢池/五輪池/後窪池/蟹窪池/北沢池/矢原池/前石川池/大入池/上坊池
木曾山林学校 (◎農業実習地)

折衷苗代の分  播種月日   種類  分量  産地  4月28日  見帰坊主 3合  4月28日,日  白櫛田  3合 水苗代の分  4月29日  大宝   4合  田立村  同     川合坊主, 3合  福島町  同     木曽錦  3合  木祖村  同     見帰坊主 3合  福島町,    種類     産地  4月15日   大莢豌豆   仏国(フランス)         (オオサヤエンドウ,40)     (改頁)      26    同      南瓜(カボチャ)
松代まちあるきマップ (19白鳥山證蓮寺)

) 宗派 真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来(伝慈円作)  證蓮寺は、親鸞聖人の高弟・西仏坊覚明,西仏坊覚明は、篠ノ井塩崎の康楽寺を開山。,寺内には、六代幸弘直筆の「親鸞聖人御影」や「聖徳太子像(上越市浄興寺像と姉妹仏)」がある。,また、太子堂の正面壁や欄間には、左官職人野本勇太郎作の見事な鏝絵(こてえ)があり、名建築とされる鐘楼もある
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (高野村)

)/水下丘/太子丘(たいしおか)/江向丘/大犬坊丘/小犬坊丘 川: 千隈川(ちくまがわ)/樽川(たるがわ,/同里社(どうさとしゃ)/犬飼神社(いぬかいじんじゃ)/滝野大神(たきのおおかみ)/三分大神奥社(さんぶおおかみおくしゃ,)/同社里社(どうしゃさとしゃ)/十二大神社(じゅうにおおかみしゃ)/八幡社(はちまんしゃ)/伊勢社(,いせしゃ)/熊野大神社(くまのおおかみしゃ)/飯綱社(いづなしゃ)/妙義社(みょうぎしゃ)/大方社/十二社,)/良蔵坊廃坊址(りょうぞうぼうはいぼうあと)/小菅山(こすげやま)/浅葉野(あさばの)/雪例銀杏樹(
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (常郷村)

常郷村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):飯山市(いいやまし) 明治初期:常郷村(ときさとむら,字地: 大坪/中山/中島/鳥越(とりごえ)/飛沢(とびざわ)/白山/琵琶橋(びわばし)/下今井/栴檀坊(,せんだんぼう)/赤羽根/川面(かわづら)/二ツ宮/横川/土橋/川原畑/布漬/山姥ヵ嶽(やまうばがたけ),縫織 その他特記ワード: 外様十人衆由緒記/泉小次郎親衡/上境主馬重永/今井隼人経長/吉信林/栴檀坊林,(せんだんぼうばやし)/朴久保林/大明神林/姥沢林 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

堂照坊  善光寺の塔頭には、46の院坊がある。その内15坊は妻帯して、如来をお守りしてきた。,堂照坊はその15坊の一つである。  ,本堂12間四方、経堂一棟、坊舎3坊。本尊阿弥陀如来(開基西念坊の百歳での作)。  ,しかし庭下薄地の凡夫や造悪不善の族(やから)が、善根功徳の種もまかず、修行や学問の功を積まなくても、すみやかに,開基は義延坊念信(俗姓は木曽太郎義基)。覚如蓮如の両上人巡錫(じゅんしゃく)の霊場である。
信濃名勝詞林 (信濃下向日記)

く内陣毛氈敷きあり堂奉行円乗院内にて着座開帳再拝開帳之後起坐善光之前へ一拝夫(それ)より御坐を下り本坊へ,行き家老久保田遠七案内にて座敷へ通る本坊出合其後一飯酒肴 廿四日(四月)曇南風つよく昼のうち暑気強く,行物を 六月(ママ)(六月)薄曇 戸隠山登山中院宿坊徳善院着[落着杜丹餅]院主出合ひ夫より本坊へ着之段届,る彼方より案内有之後判左衛門麻上下にて一万度幷音物持参立帰之後院主案内にて本坊へ行く院代出合院主此節病気故乍残念出合不被申候,との事吸物(かたくり岩たけ)重物(たけの子薯蕷)盃肴五種蕎麦切院代玄関送り徳善院へかへり止宿本坊より使者小林文内麻上下白銀壱枚祝儀持参例年之御初穂金百疋持参也
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (正和村)

御幣川村/横田村/会村/二ツ柳村 幕末から明治初期(よみ):おんべがわむら/よこたむら/あいむら/ふたつやなぎむら,1巻 p1320に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 大当/中条/神田/一丁田/善司坊/,五人寄合/佃/宮内/古町/葮原/鴨田/八反田/土井沢/上広沢/楮原/上東原/下広沢/漢奥/下東原/寺田/坊在池,/馬出シ/石塔/石橋/松島/荒屋/清水/富士見宮/村東/堀崎/竹原/村前/金山/向河原/長塚/北善司坊/
信州善光寺御堂額之写 ([解説])

善光寺の境内や門前で、参拝土産として販売されたものです。,売られた店や宿坊により、体裁や表現に多少の違いがありますが、どれもほぼ同一の内容です。,この冊子は宿坊の常智院で販売されたものです。  
地震後世俗語之種 ([翻刻])

○法然上人の像   同所正信坊にあり。上人自作にして爰に残さる。   ,○笹の葉の名号   此一軸は中衆の一老堂照坊にあり。,   堂照坊・堂明坊・兄部坊・白蓮坊・正智坊・渕之坊・常円坊・    行蓮坊・向仏坊・徳行坊・鏡善坊,・正信坊・野村坊・浄願坊・    随行坊 以上十五坊     玄証坊・善行坊・寿量坊・林泉坊・称名坊,・甚明坊・正定坊・    蓮池坊・常行坊・遍照坊 以上十坊 衆徒・中衆・妻戸一時に焼亡したれハ、名
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (麻績村)

幕末から明治初期:麻績村/矢倉村/野口村/市野川村/下井堀村 幕末から明治初期(よみ):おみむら/やくらむら,仏ノ岩/天神山/立屋/荒神堂/峯小屋/大門/中谷/西谷/吹(すい)坂/蔵次郎/武士(ふす)塚/根尾/坊平,ウツキ下リ/牛放(うしはなし)/塚原/柏山/竹ノ窪/金山/峯田/池平/長丸山/吉田峯/石渡屋(いしとや),/才蔵坊/天王平/砂原/大橋平/茶臼岩川原/女渕/狐屋敷/北原/降松葉/下松場/大沖/半前場(はんまいば,/十王堂/天神前沖/向欠ノ下/南北又/寺ノ前/東ノ入/道祖神前/問屋屋敷/檞沖/入田/峠/前沖/アラヤ/
小県郡民謡集 (目次)

目次 児童謡      9    一、子 守 謡……………………( 一)    坊や三首    ,   鬼子七首    おこんさん一首    かくれんぼ二首    大かん小かん一首    中の小坊さん,   ちよんきな一首    草履かくし二首    蛇も百足も一首    ひいひたごろ一首    やあらんせ,正正月二首     おん白白一首     おんさのさ一首     おん虎虎一首     お芋やお,芋一首     いづくの一首     とんとうし一首     問屋問屋一首     地芋や一首
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (戸隠村)

とがくしむら) 幕末から明治初期:中社村/宝光社村/上楠川村 幕末から明治初期(よみ):ちゅうしゃむら,/ほうこうしゃむら/かみくすがわむら 『長野県町村誌』 1巻 p177に掲載 該当ページを見る,戸隠学校 古跡・名勝: 僧宣澄墓/釈長明墓/児之塔/幽魂塚/西光寺廃址/本院堂廃址/修験二十坊廃址,地蔵石像/女人堂廃址/氷清水/高妻山・乙妻山/沸池/種池/巴岩/三十三窟/西行桜/達磨石/秋葉山三尺坊出所
地震後世俗語之種 ([現代訳])

もう1か所では鍋ややかんなどを掛けて、煮炊きをしています。,少しはほっとして、ようやく夜が明けるや否や犀川を眺めると、これはどうしたことか、朝夕に見慣れていても恐,◯笹の葉の名号 この掛け軸は中衆の重鎮堂照坊にあります。,堂明坊・兄部坊・白蓮坊・正智坊・淵之坊・常円坊・行蓮坊・向仏坊・徳行坊・鏡善坊・正信坊・野村坊・浄願坊,・随行坊、以上15坊、玄証坊・善行坊・寿量坊・林泉坊・称名坊・甚明坊・正定坊・蓮池坊、常行坊・遍照坊、
小県郡民謡集 (児童謡)

児童謡 一 子 守 謡      15       坊 や 三 首 ○坊やは良い子だお眠りよ ,良い子だ 坊やはお眠りよ 坊やはおりこ(注1)だお眠りや。,○坊やはよい子だねんねしな、坊やのりこもの(注2)誰かまつた(注3)  誰でも かまはぬ一人泣き 一人,良い子だねんねしな もうしもそれでも来たなら ば 坊やの刀で切つてやる 坊やの鉄砲でうつてやる。,(薪(まき)取りを嘲る)     (改頁)      25   ○大坊小坊道心坊(注11) 煮
パスファインダー (善光寺縁起)

縁起堂淵之坊本善光寺如来絵伝 若麻績侑孝/監修 淵之坊 2013.12 善光寺淵之坊は縁起堂と称,信州地域史料アーカイブ https://adeac.jp/shinshu-chiiki/ 善光寺縁起や善光寺,データベース http://misuzu-mokuji.net/ 概要 市町村史誌等に善光寺縁起や善光寺,に関する項目が載っているかや掲 載ページを調べることができる。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (北岡村)

きたおかむら 『長野県町村誌』 1巻 p835に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 西連坊(,にしれんぼう)/北田(きただ)/三木(さんき)/下り(さがり)/向屋鋪(むかいやしき)/並木(なみき),道路: 仁礼道(にれみち) 社: 諏訪社(すわしゃ) 寺: 西證寺(さいしょうじ)/高蓮寺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (福島村)

p695に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 砂田(すなだ)/東畑(ひがしばた)/屋敷(やしき,)/大嶋(おおしま)/割/七配(ななはい)/南条(みなみじょう)/土屋坊裏(どやぼううら)/東前嶋(ひがしまえじま,)/西前嶋(にしまえじま)/村南(むらみなみ)/屋敷割(やしきわり)/村東(むらひがし)/高嶋(たかしま,北嶋(きたじま) 川: 八幡川(はちまんがわ)/千曲川(ちくまがわ) 社: 天神社(てんじんじゃ),/皇太神社(こうたいじんじゃ) 寺: 西福寺(さいふくじ)/勝楽寺(しょうらくじ)/常德寺(じょうらくじ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (川岸村)

川岸村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):岡谷市(おかやし) 明治初期:川岸村(かわぎしむら,『長野県町村誌』 3巻 p3275に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 三沢/権現沢坊ヶ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩村田町)

向田川原/中向田/下向田/南向田/箕輪/柳堂/宮ノ東/宮ノ前/宮ノ後/宮ノ西/蔦石/内西浦/諏訪ノ宮/円正坊/,/中川原橋/坂下橋/樋田橋 道路: 中山道/甲斐国通路/隣村道 社: 若宮八幡社/速進雄(はやすさのお,石並城墟/黒岩城墟/王城墟/藤ケ城墟/竜雲寺跡/真光寺跡/福王寺跡/明仙寺跡/光明寺跡/曇祐寺跡/縁所坊跡,/信福寺跡/福仙坊跡/法花堂跡/清光寺跡/喜賢庵跡/雲堂庵跡/膳堂庵跡/長寿院跡/本誓軒跡/養信院跡/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (千国村)

から明治初期:千国村/石坂村坪山/中谷村伊折 幕末から明治初期(よみ):ちくにむら/いしざかむらつぼやま,/なかやむらいおり 『長野県町村誌』 3巻 p2854に掲載 該当ページを見る キーワード 字地,: 黒川/真木/禿ノ当/松ヶ尾/雨池/伊織/杉山/屋太郎/安道/祖子山/坊屋敷/坪ノ沢/滝ノ平/梨子平
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (神稲村)

幕末から明治初期:田村村/林村/伴野村/福島村/壬生沢村 幕末から明治初期(よみ):たむらむら/はやしむら,字地: 城/竹ノ下/里/原/上村/小園/田村/林/伴野/福島/壬生沢/佐原 山: 鬼面山/大乗坊山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上本入村)

p1850に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 壽保子開戸/立岩/権現原/上権現/正蓮坊/,/下小寺尾/下小寺尾河原/中居/中居河原/熊澤/崩口/築地原/巣栗/内ノ山/大布施/横澤/鍛冶横澤/ヤケ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (東穂高村)

保高町村/保高村 幕末から明治初期(よみ):しろがねむら/とどろきむら/とどろきまちむら/かいばいむら/やばらむら,三枚橋/関ノ口/起(おこし)ノ沖/南方/堀村/北村/東表/御宝田/西表/東裏/巾下/西裏/釜土原/先蔵坊/,本郷/金屋(かなや)/原村/田中/上原(うえはら)/南原/北原/漆畑 川: 万水(よろずい)川/温堰尻
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 (著者、絵師等)

春泉斎は名所図会の絵を多く手掛けた春朝斎の子で、他に『東海道名所図会』の絵や、読本の絵なども描いています,信濃の部  越後から信濃に入り、戸隠山、明専寺、平出の藤兵衛宅、善光寺、堂照坊、西厳寺、長命寺、芝阿弥陀堂
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (穂高村)

稲荷村/内山村/北鴨ケ原村 幕末から明治初期(よみ):なかむら/おみむら/わくりむら/いなりむら/うちやまむら,キーワード 字地: 和栗(わぐり)/原(はら)/稲荷(いなり)/蟹沢(かにさわ)/内山(うちやま,きたかも)/大原(おおはら)/中村(なかむら)/御殿(ごてん)/小見(おみ) 山: 城山(じょうやま,/豊秋津洲神社(とよあきつしまじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ)/稲荷社(いなりしゃ)/伊勢社(いせしゃ,紫雲山浄蓮寺(しうんざんじょうれんじ)/観音寺(かんのんじ) 学校: 六合学校 古跡・名勝: 僧三尺坊旧地
善光寺道名所図会 (○筑摩 青柳)

五十騎の軍役たり、甲州没落、小笠原貞慶帰城の後もなほ小県 郡の真田等と一味して、越後の景勝へ志を通るにや、,文化六己 巳年等追々御普請有り、当時大の方長サ十五間巾九尺、右の方 に石像の観音百躰ヲ造立す、珍誉坊主発起
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小根山村)

小根山村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):小川村(おがわむら) 明治初期:小根山村(おねやまむら,) 幕末から明治初期:小根山村 幕末から明治初期(よみ):おねやまむら 『長野県町村誌』 1巻,該当ページを見る キーワード 字地: 細越/雨池/町/石原/裏立屋/表立屋/塩沢/大宮/稲荷/坊/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (普光寺村)

善知鳥坂(うとうざか)/加護田(かごた)/古城/岩ノ袋/五輪塚/鐘山/富士塚/穂屋野/馬ノ口/芍薬(しゃくやく,)/飯綱堂/寺坂/堤井尻/諏訪ノ岑/華厳坊/大比羅/強狼/論所 川: 小井戸川/鳥居川/上原堤
寛保二年大洪水余禄 ([現代訳])

浅間山方面の法印坊沢というところから「蛇水」(土石流)が発生したらしく、みな驚き騒ぎはじめた。,蛇堀川、別名にごり沢で発生したこの)土石流の水煙は天に達するほど高く、段々屏風をたてたような形になり、沢や川,人馬や僧侶などが流され、行方不明となり流死した。,土石流は与良町の南のくりや川と乙女川ヘ流れ込み、田地を押し流し大きな被害を与えた。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (綿内村)

/西古屋(にしふるや)/田中(たなか)/春山(はるやま)/岩崎(いわさき)/町田(まちだ)/大橋(おおはし,)/山新田(やましんでん)/芦ヶ町(あしがまち)/万年島(まんねんじま)/土屋坊(どやぼう) 山:,温湯山(ぬるゆやま)/石尾沢山(いしおざわやま)/清水山(しみずやま)/明徳山(めいとくやま)/蓮華山,わだなかじんじゃ)/万年島神社(まんねんじまじんじゃ)/諏訪社(すわしゃ)/宮王神社(みやおうじんじゃ,)/皇大神社(こうたいじんじゃ)/戸隠神社(とがくしじんじゃ)/稲荷社(いなりしゃ)/山神社(やまがみしゃ
パスファインダー (『平家物語』と木曽義仲)

テーマ) 『平家物語』と木曽義仲 ねらい 『平家物語』『源平盛衰記』等の中で木曽義仲や信濃,の地名や人名はど のように描かれたのか。,木曽義仲 巴御前 葵御前 山吹 源義賢 木曽義高 万寿丸 中原兼 遠 今井兼平 手塚光盛 樋口兼光 大夫坊覚明,内容紹介 木曽義仲論として、横田河原の合戦、頼朝の輩下にさせられる、倶利伽 羅の合戦、大夫坊覚明,時代に翻弄された悲劇の生涯 を、「平家物語」諸本に光を当てつつ北陸の武士や地理と併せ描く。
寛保二年大洪水余禄 ([翻刻])

夥敷、諸人不思議之 思なし、色々ト評判 をいたし、沙汰候内ニ 段々となり近付候 所ニ、法印坊沢,残シ、其外家者 不残押流シ、人馬并 御僧方押流、行方 知れす死ス、右之 水与良下持之くりや
木曾山林学校 (私の好む静岡県の山村)

雨のために出張出来ない時は、村長の舎弟と2人で土地の名物ヤモメをあさって来て椎茸と煮て食った。,産物としては茶・坊木・椎茸、山葵(わさび)である。,この地の方言を照介しやう。   ,人  (イヤナテハイ)   妻   (ヨメッコ)  午後の間食 (ヨージャ)   我 家 (オラトコ,)  左様でせう (ソーヅラ)   父   (トッチヤン) 小 さ い (コマイ)
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

を安置し、及長楽・安楽・常楽の三楽寺を建連ね給ひし が、後年天変にて焼失し、名目のみ言ひ伝へしとかや、,九丈坊と名乗、日吉 権現の眷属と成り、北向山を守護せんと誓ひけり、維茂輙く賊徒を亡し、 民の患を除,建立し、      (改頁)      9     支坊となし玉ひ、七堂伽藍の霊場にて、三楽四院六十坊,も樋の口手塚の内なり、]清水冠者の陣ハ[野倉村の清水なり、]いまだ十八歳の心   剛なる若大将いざや出浦,焼上 る、思ひ寄ざる事なれバ、上を下へと騒動す、僧俗男女の焼亡いふも更なり、 嗚呼今日いかなる日ぞや、
落噺無事志有意 ([解題])

幼いころから俳諧や狂歌をたしなみ、芝居好きが高じて浄瑠璃を自ら制作するほどであった。  ,生涯を通じて洒落本や滑稽本、黄表紙などの執筆など活動は多岐にわたり、1786年には新作の落噺を披露する,「蛇」や「湯どうふ」、「星」など庶民に身近なものを扱った噺や、「そゝか」など当時の粗忽者や庶民の生活を,や三遊亭銀馬など著名な落語家がいる。,、坊主にはなりませぬ。」
田ごとのはる ([翻刻])

時に辛卯のむツミ月旅寓におゐて白尾坊ミヅからつかみじかき毫(ふで)をとる。           ,はツ日影友まツ雪のけしきかな 白尾坊 昨烏 (改頁) 春興 うぐひすや四さがりなる厩口(うまやぐち,ことしハ/\はとことし信中に白尾坊をとゞめ得し同門翼をならべ觜(はし)をならす。,坊ハ又田毎のはツ日に面(おもて)して浮遊のほゐをとげたりと哢く。,坊酒よきものをにくむ事なかれ。
パスファインダー (郷土の偉人、高野辰之と中山晋平)

るためのツール 資料リスト 雑誌 郷土の偉人、高野辰之と中山晋平 高野辰之作詞の「故郷」や中山晋平作曲,の「てるてる坊主」などの名曲 は、今なお歌い継がれている。,二人の生い立ちや作詩・作曲への芽生 えについて調べ、同じ時代に、中野市から偉大な二人が輩出された背 景,故郷 朧月夜 カチューシャの唄 てるてる坊主 北信濃の四季 国文 学者 唱歌 帰郷吟 ジンダ 島村抱月,巻末には、高野辰之にかかわる手紙が50点掲載されており、 当時の環境や高野辰之の心の動きが良く分かる。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小山村)

)/東谷(ひがしたに)/前河原(まえがわら)/天神堂(てんじんどう)/屋部前(やぶまえ)/屋部(やぶ),/土堤下(どてした)/金井原(かないはら)/屋部裏(やぶうら)/屋部下(やぶした)/八幡前(はちまんまえ,)/坊主山(ぼうずやま) 川: 市川(いちかわ) 橋: 米持街道橋(よねもちかいどうばし)/村石街道橋,/天神社(てんじんしゃ)/諏訪社(すわしゃ)/伊勢社(いせしゃ)/若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)/,招魂社(しょうこんしゃ)/弥栄・火産霊合社(やさか・ほむすびごうしゃ)/金刀比羅神社(ことひらじんじゃ
パスファインダー (女流の信仰物語、善光寺への女旅日記)

遊女千手(せんじゅ)前 虎御前の参詣 熊谷蓮生坊と玉鶴姫 東路日 記 小田宅子 沓掛なか子 佐藤兄弟母供養塔,2000.5 内容紹介 「遊女千手(せんじゅ)前の哀切なる参詣伝説」「虎御前の参詣」「熊谷蓮 生坊と,歌枕を訪ね、街道、間道を歩 き、行く先々でのお買い物や芝居見物、生気躍動する江戸の女旅記録 1,出版社 出版年 田中薫/著 一草舎 2009.5 内容紹介 江戸時代の善光寺参詣の様子を史料や女手形
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中箕輪村)

大出村/八乙女村/松島村/木下村/下古田村/上古田村/中原新田村/富田村/ 幕末から明治初期(よみ):やおとめむら,3巻 p3528に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 沢/大出(おおいで)/八乙女(やおとめ,北原林/白山下林/若宮林/観音堂林/山神林/第六天林/下長田林/城林/家門平林/的場林/山道添林/十蔵坊林
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (伊那村)

御園(みその)/山寺/御舞瀬(みまいぜ)/横山/平沢/小沢/荒井/諸尾鷲(もろわし)/内ノ萱(うちのかや),/室(むろ)/大芦(おおあし)/芝原/沢/小黒(おぐろ)/大坊(だいぼう) 山: 南沢山/小黒日向山
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

活鬼紅葉のたましいが大天狗・小天狗の形を表し、八丈坊・九丈坊と名乗り日吉権現の眷属となり、北向山を守ると,惟茂将軍は信濃の国の松尾に城を構え、大悲殿・瑠璃殿・日吉の神祠そのほかを残らず再建し、別に六十坊を建立,し支坊とし、七堂伽藍の霊場三楽四院六十坊と称しました。,多くの人が志を寄進し、ようやく元和年間に真田侯が諸堂社を再建しました。  ,代々の家来はもちろん、浪人や野武士を集め北国から都に攻め入ろうとしました。
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

、上人如来へ参詣の時逗留の所にして、自作の木像也、] ○親鸞聖人旧跡[堂照坊にあり、笹字の名号并に肉付,にて、建暦元年の春勅許なり、其後常陸国へ御通りの      (改頁)   節、当山へ御仏詣堂照坊に,の代なり、]聖人横曽根正信坊・鹿島順信坊を召連ら れ、当山如来へ御参詣、此時花枩を差上給ふ、今にいたつて,の時代なり、] ○聖徳太子鏡の御影[浄願坊にあり、十六歳御自作の木像なり、]○二天門[先年焼失して礎,のみ残れり、] 東の方 制札あり、[松代侯より建、]西の方番所あり、参詣の諸人坊へ着く者ハ、此所より
絵本東名物鹿子 二 ([翻刻])

『註解』上29 (改頁) 四丁 オモテ / 二丁 ウラ [二丁 ウラ]   こんこん坊      ,音雪書画(花押) いなり大 名人なれや 花の町     薫風著 (注)「こんこん坊」 こんこん坊主,こんこん坊主は、正徳頃から享保末に現れた乞食。,]   浅草柳屋挽(ひき)五倍子(ふし)          長露書(花押) こき交(まぜ)て 桜やなぎや,など各地の富士神社や浅間神社の境内には、富士山をかたどった模造富士や富士塚がつくられ、6月1日の山開きの
小諸洪水流失改帳 ([解説])

町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千曲川になる。,が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町や一部,これは、小諸町を流れ下った土石流が千曲川へ流れ込んだ様子を描いた絵図で、これによって対岸の「かざはや」,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩,そして、後半には法印坊沢より「蛇水」が押し寄せて与良大橋を破壊したこと、松井川などが城下の田畑を損壊したこと
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千曲川になる。,が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町や一部,これは、小諸町を流れ下った土石流が千曲川へ流れ込んだ様子を描いた絵図で、これによって対岸の「かざはや」,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩,そして、後半には法印坊沢より「蛇水」が押し寄せて与良大橋を破壊したこと、松井川などが城下の田畑を損壊したこと
小諸大変書 ([解説])

町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千曲川になる。,が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町や一部,これは、小諸町を流れ下った土石流が千曲川へ流れ込んだ様子を描いた絵図で、これによって対岸の「かざはや」,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩,そして、後半には法印坊沢より「蛇水」が押し寄せて与良大橋を破壊したこと、松井川などが城下の田畑を損壊したこと
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