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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
(著者、絵師等)
信濃の部 越後から信濃に入り、戸隠山、明専寺、平出の藤兵衛宅、善光寺、
堂照坊
、西厳寺、長命寺、芝阿弥陀堂
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長野町)
徳寿院/本覚院/良性院/最勝院/光明院/常徳院/薬王院/寿量坊/常行坊/甚妙坊/善行坊/玄証坊/大本願/
堂照坊
パスファインダー
(親鸞聖人と善光寺)
キーワード 善光寺 親鸞聖人 聖徳太子 他力本願 自力本願 親鸞松
堂照坊
笹字の名号 関山神社
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
○法然上人旧跡[正信坊にあり、上人如来へ参詣の時逗留の所にして、自作の木像也、] ○親鸞聖人旧跡[
堂照坊
,遠流にて、建暦元年の春勅許なり、其後常陸国へ御通りの (改頁) 節、当山へ御仏詣
堂照坊
,の御 帰に、風越といふ所に暫く御休の時、御手慰に路傍の岩笹を 採たまひ文字の形をなし給ひ、即其夜
堂照坊
,にいたつて親 鷺松といひ伝ふ、[本堂正面の太鼓檀にあり、毎月朔日に挿替るなり、]聖人肉附の御歯一ツ、[
堂照坊
, いつのまに髪に霜おき一葉落ち身にしみてこそ南無阿弥陀仏 また元仁二乙酉年四月十五日御止宿あり、[
堂照坊
第二十四世空阿大徳了意此丘
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
上人が善光寺に参詣の時に逗留した場所で、自作の木像がある) ○親鸞聖人旧跡(
堂照坊
にある。,その後、常陸国(ひたちのくに)へ行かれる時、当山に参詣して、
堂照坊
にご逗留の間に戸隠に参詣された帰りに,でしばらく休んでおられた時、たわむれに道端の岩笹を採って、南無阿弥陀仏の文字の形を作られ、すぐにその夜
堂照坊
,この時
堂照坊
は、第21世源阿大蓮教智比丘(びく)の代であった)。,聖人の肉付きの歯、1つ(
堂照坊
にある)。74歳の時で、それを詠んだお歌1首がある。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
伝えられていることによると、親鸞聖人は当寺へご参詣になり、塔頭の僧坊願証院(
堂照坊
)に逗留されている間,
堂照坊
善光寺の塔頭には、46の院坊がある。その内15坊は妻帯して、如来をお守りしてきた。,
堂照坊
はその15坊の一つである。 ,善光寺南門の
堂照坊
願証院は、その昔親鸞聖人が参詣された時の宿坊である。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
堂照坊
善光寺塔中四十八坊あり。内十五坊ハ妻帯して如来を守護す。,
堂照坊
ハ右十五院の内、其一坊なり。,〇善光寺南門
堂照坊
願証院ハ、往昔高祖 親鸞聖人御参詣の宿坊なり。
地震後世俗語之種
([翻刻])
○笹の葉の名号 此一軸は中衆の一老
堂照坊
にあり。,尊勝院・ 教授院・吉祥院・福生院・宝林院・常智院・長養院・玉照院 以上廿一坊
堂照坊
地震後世俗語之種
([現代訳])
◯笹の葉の名号 この掛け軸は中衆の重鎮
堂照坊
にあります。,威徳院・常住院・蓮花院・尊勝院・教授院・吉祥院・福生院・宝林院・常智院・長養院・玉照院、以上21院、
堂照坊
善光寺独案内
([現代訳])
(大本願の図) 見真大師御旧跡 石段の際の
堂照坊
である。
善光寺独案内
([翻刻])
(改頁) 見真大師御旧跡 石階の際の
堂照坊
なり。
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