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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (東西に分かれた真田父子)

家康(内府)が会津の上杉景勝征討の軍を起こしたのは誓詞や太閤の置目(遺言)に背くものであり、相談して「,楯鉾に及」ぶ、即ち挙兵した、別紙に掲げた家康の非違条項を尤もとお思いで、太閤様の御恩を忘れないでいたら
義烈百人一首 ([翻刻])

さりし昔を いかでしらまし 【頭注】 滝川左近将監一益は信孝に心を寄せ柴田と共にことを計し人ゆゑ太閤,数日責ければ城兵労れ、又は心がはりの者ありて終に落城に及び、氏直は小田原開城の後、高野山に上る、其後太閤,に告けるに、果して其如し、太閤是を感心して今世の中に不思議三つありと宣ふ、人その故をとふに、太閤の曰、,それを切殺して只今切腹せんと存追かけ候へども、大勢のことにていづれともしれがたしと諫言を申せし人也、太閤,【頭注】 玄以法印は尾州の産にて前田次良左衛門忠重の男也、織田家に仕へ七千石にて守役たりしが、太閤
秀吉と真田 (伏見城普請)

こうして太閤となった秀吉が、京都郊外伏見に築いた城が伏見城である。
秀吉と真田 (三成ほか西軍諸将よりの書状)

貴殿の御事、   太閤様別して御懇ろ御忘却無く候はば、此の節、秀頼様へ御忠節肝要に候。
贈答百人一首 ([本文、奥付])

雲竜の小釜をつり松葉をたき茶を奉る 千とせをも たゝみ入たる 箱崎の 松に花さく をりにあはゞや 太閤
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