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拾八町家並帳
(本町二丁目)
本町
二丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています /
本町
二丁目
拾八町家並帳
(本町壱丁目)
本町
壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています /
本町
壱丁目
拾八町家並帳
(本町三丁目)
本町
三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています /
本町
三丁目
パスファインダー
(明治期の松本町の大火)
明治期の松
本町
の大火 トピック(テーマ) 明治期の松
本町
の大火 ねらい 明治期,2008.3 巻号頁数 71,72 1/2 信州地域史料アーカイブ 明治期の松
本町
/ 明治期の松
本町
の大火
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
・中沢川同事(時)ニ水出、
本町
・六供・成就寺本堂・客殿・くり・表門・長屋八、九軒、脇六ケ寺流ル、 ,ニ流ル、筒之池(筒井池カ)押埋メ 一筋ハ馬場町へ押出し、御代官山本次右衛門様家半分、長屋押流ス、
本町
,ハ中沢川押上、町通を押通ル、
本町
問屋平右衛門・本除(陣)清兵衛家破風家ニ而 高キ家之棟を越、水中沢川,、与良新町へ被仰付候所ニ、今日又候
本町
もの為御救新町へ
本町
市ヲ御立被成候由被仰渡候、然所ニ新町ニ而,ヲ立申候、寛保四甲子ノ二月十七日ニ
本町
庄屋久右衛門藤吉所へ罷越申候ハ、
本町
市只今迄新町ニ而立申候得共
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1)
([解説])
)、これに与良町と
本町
との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,このうちの
本町
が壊滅的な被害を受けたのである(史料には、
本町
では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと,他方、中沢川は
本町
の西側(往還道からは
本町
の住宅の裏側)を南北に流れていた。,なお、その右岸は
本町
に属する六供・田町である。 ,ちなみに、この時
本町
に続く市町がわずかな被害ですんだのは、
本町
と市町との間に存在した鍋曲輪(なべくるわ
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([解説])
)、これに与良町と
本町
との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,このうちの
本町
が壊滅的な被害を受けたのである(史料には、
本町
では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと,他方、中沢川は
本町
の西側(往還道からは
本町
の住宅の裏側)を南北に流れていた。,なお、その右岸は
本町
に属する六供・田町である。 ,ちなみに、この時
本町
に続く市町がわずかな被害ですんだのは、
本町
と市町との間に存在した鍋曲輪(なべくるわ
小諸洪水流失改帳
([解説])
)、これに与良町と
本町
との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,このうちの
本町
が壊滅的な被害を受けたのである(史料には、
本町
では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと,他方、中沢川は
本町
の西側(往還道からは
本町
の住宅の裏側)を南北に流れていた。,なお、その右岸は
本町
に属する六供・田町である。 ,ちなみに、この時
本町
に続く市町がわずかな被害ですんだのは、
本町
と市町との間に存在した鍋曲輪(なべくるわ
寛保二年大洪水余禄
([解説])
)、これに与良町と
本町
との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,このうちの
本町
が壊滅的な被害を受けたのである(史料には、
本町
では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと,他方、中沢川は
本町
の西側(往還道からは
本町
の住宅の裏側)を南北に流れていた。,なお、その右岸は
本町
に属する六供・田町である。 ,ちなみに、この時
本町
に続く市町がわずかな被害ですんだのは、
本町
と市町との間に存在した鍋曲輪(なべくるわ
小諸大変書
([解説])
)、これに与良町と
本町
との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,このうちの
本町
が壊滅的な被害を受けたのである(史料には、
本町
では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと,他方、中沢川は
本町
の西側(往還道からは
本町
の住宅の裏側)を南北に流れていた。,なお、その右岸は
本町
に属する六供・田町である。 ,ちなみに、この時
本町
に続く市町がわずかな被害ですんだのは、
本町
と市町との間に存在した鍋曲輪(なべくるわ
寛保三年三月復旧方懇願書
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、中山道望月新町は、
本町
(望月宿)に続,く村ですが、鹿曲川の対岸にあり、橋で
本町
へ続いているので、村高はそれぞれ別になっています。,もちろん、
本町
に続く村なので、望月宿の加宿同然に昼夜往還御用を務めています。,もっとも、
本町
より去年の冬、江戸表へ堤防工事のお願いに出府した際に持参した絵図にも、新町が流失した状態
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
同日同刻に
本町
を挟むように流れる東沢川(松井川)と中沢川で同時に泥流が発生し、
本町
・六供(ろっく)・成就寺本堂,一、
本町
の泥流は、
本町
裏の馬場へ押し出し、押兼五郎左衛門様屋敷へ押し上がり、居宅・表門を流し、座敷・長屋,同所
本町
分長さ三十四間、敷三間。
本町
と当町の二口合わせて七十間。,そして番左衛門様へ、昨日は
本町
の市を開くことを与良新町へ命じられ、今日は
本町
の者お救いのために新町へ
本町
市,
本町
の者が多く新町へ店借に出ているので、
本町
のお救いのため新町へ市を開くことを命じたと言われました。
寛保三年三月復旧方懇願書
([翻刻])
#160; 1 3 乍恐以書付奉願上候口上之覚 一中山道望月新町之儀、
本町
,ニ相続候 在所ニ御座候得共、鹿曲川橋壱筋へ たゝり申ニ付、別高ニ而罷有候、勿論
本町
ニ引続候,御見分被成下候節、川除之住(注)文差上ケ候 通御普請被為仰付被下置候ハヽ、難有 4 奉存候、尤
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(野沢村)
』 2巻 p2729に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 十二町/田町/中小屋/野沢
本町
,/
本町
(ほんちょう) 川: 千曲川 道路: 前山道 社: 大伴神社/諏訪社 寺: 金台寺
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([翻刻・注記])
長田孫三郎 爪印 同断 同断 木綿屋恵助殿息子 一 当酉七歳 竹内辰弥 爪印 (改頁)
本町
壱丁目,(改頁) 田町 万屋吉右衛門殿息子 一 当酉拾一歳 素読 和路愛吉
本町
壱丁目,河村松太郎 爪印 同断 同断 鋳懸屋玉五郎殿息子 一 当戌拾歳 藤井勝見 爪印
本町
三丁目,算術 知久町三丁目 同 藤屋弥六殿息子 一 同 同断 田中弥太郎
本町
壱丁目,一 当亥九歳 塩瀬嘉太郎 爪印 (改頁) 17 同断
本町
一丁目近江屋安兵衛殿息子
木曾山林学校
([奥付])
長 野 県 立 木 曾 山 林 学 校 松本市
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(馬越村)
ページを見る キーワード 字地: 藤之木/湯道/雁前/上向沖/青木/中河原/内堀/下前沖/立石前/
本町
,鳩峯山/寺山 川: 阿鳥川 渡・堰: 上堰/下堰 橋: 出浦橋/内堀橋/七枚橋/入口橋/
本町
橋
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(前山村)
掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 甲田/下城戸/竹内/下神戸/上神戸/塔ノ原/上町/
本町
,/立町/横町/宮
本町
/市来/十二/大芝原/道場/藤ノ木/箱山/前山田/中島/入海堂/磯野間/宮原/銀杏木
小諸洪水流失改帳
([翻刻])
浅間前掛山続之山崩レ大水出ル、辰ノ中刻北山之方震動強ク、俄に曇リ黒闇六供之上成就寺ヨリ山澤共に高水押掛ケ、六供田町
本町
辺, 角兵衛 一 半流 光岳寺門前 文七 治兵衛 〆六軒
本町
分, (改頁) 〆十弐軒 市町 (中略) 〆三軒
本町
分田町, 水押込 十軒 流土蔵 二十八軒 寺 四ヶ寺 落橋 十壱ヶ所 (中略)
本町
荒町男女并馬流失改帳写, (改頁) 22 男女流死之覚
本町
分 一 孫八家内
パスファインダー
(北国街道小諸宿)
宿場の機能は市町と
本町
で、与良町・荒 町・
本町
には穀問屋や塩問屋などがあり、この地方の商業の中心地で,雑誌 1 論題名 歴史的町並み保存の今(第4回)小諸宿 市町・
本町
および小諸城周辺 インターネット
木曾山林学校
([本文])
編纂兼発行人 長野県西筑摩郡福島町404番地 安 井 正 夫 長野県松本市
本町
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
知久町通り
本町
通,与右衛門被申候ハ、問屋久内江談事候而、明朝返事 可申遣様ニ被申候間罷帰申候、然ル処ニ翌十七日之朝
本町
通之,松尾町通者 浪合辺より参候馬 池田町通り三町ハ 平谷辺より参候馬
本町
通, 問屋文四郎・
本町
庄屋庄兵衛・知久町庄屋喜三郎・池田町 庄屋源次郎・松尾町庄屋新六此分東方薄縁之上, 拾三町 【(朱書)十五 ○】 一安永四未年四月毛賀村仲五郎塩三駄調候処、
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(桑原村)
千曲市(ちくまし) 明治初期:桑原村(くわばらむら) 幕末から明治初期:桑原村/大田原/佐野/小坂/
本町
,下佐野/金井/中道/楮田/西裏/町裏/町/湯屋/一里山/駒清水/石仏/五反田/境ナシ/飯縄/湯ノ崎/
本町
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
年寄福住兵次郎は御縁側の上、
本町
問屋九郎平・七町問屋文四郎・
本町
庄屋庄兵衛・知久町庄屋喜三郎・池田町庄屋源次郎,右の誤り証文は
本町
1丁目組頭平左衛門・五郎七宛に取って、五郎七へ預けておいた。,
本町
1丁目組頭伊八・五郎七・仲買惣代彦三郎が印をした。 ,【(朱書)廿四 ○】 一3月14日本覚寺へ役人が寄り合い、組頭
本町
1丁目庄次郎が出て、2月
本町
1丁目市場当番,久四郎・次郎の二人が書き、
本町
1丁目組頭茂助が預り、帰えりに問屋へ差し出した。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(村松郷)
ツ頭山 川: 浦野川 渡・堰: 上堰/柿ノ木堰 橋: 大沖澤橋 道路: 上田町より松
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(屋代村)
長野県町村誌』 2巻 p1464に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 古道/郷津/城ノ内/
本町
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([翻刻])
一 小諸六句(供)、田町、
本町
亡所、流死三百四拾人、馬拾四疋、流潰家弐百七軒 尚御城下之分此外通
拾八町家並帳
(大横町)
三間三尺五寸 大嶋屋 彦十郎 ホ 四間三尺 石砂屋 清之丞 ニ 五間一尺 イセヤ 孫兵衛
本町
通
信州飯田町家控
([翻刻])
改頁) 5 唱者、次ニ番匠町を建天正十八年毛利河内守 秀頼公飯田之城再住之時、
本町
壱丁目二丁目池,十王堂町 建、是ハ其頃十王堂町有しを今の箕瀬羽場ニ移し 其跡ニ町屋を建、故ニ十王堂町与号し、後ニ
本町
三丁目,上ニ 田を埋而町家を建池田町号し、御城御普請 有て外曲輪ヲひ路め、御家中屋敷も段々相建
本町
弐丁目之上, 松尾町通りハ 浪合より参候馬 池田町通りハ 平谷辺より参候馬
本町
三丁通,・二丁目・番匠町・田町 松尾町通り三丁 大横町与
本町
与田町之間を限り北之方入方也
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高府村)
田島/萩之窪/見瀬之尾/菅沼/大川/川迎/鴨之尾/三貫地/久木/今泉/篠八/志神/清水尻/和田/蕗畑/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高家村)
見る キーワード 字地: 上飯田/堰上/堰下/新町/西原/本郷/上出/中村/町村/寺林/堰上/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上田原村)
長野県町村誌』 2巻 p1935に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 殿海道/塚原/
本町
信州飯田町家控
([現代訳])
後に
本町
3丁目としました。続いて箕瀬町を建てました。,
本町
1丁目・2丁目を建て、番匠町の上に田を埋めて町家を建て池田町といいました。,一正保元(1644)年10月15日
本町
角屋より出火し、知久町迄やけました。,この入方は知久町1丁目・
本町
1丁目・2丁目・番匠町・田町・松尾町通り3町・大横町で、
本町
と田町の間を境,
本町
1丁目・2丁目・番匠町は人足に出ています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(信岡村)
見る キーワード 字地: 杖突/二本花/岩清水/矢ノ尻/藤内/藤塚/千切/中尾/久保/宮之向/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(別所村)
和子橋/湯川橋/大門橋/大師湯橋/久我湯橋/石湯橋/萩取橋/硯石橋 道路: 松本より上田町道/松
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(飯田町)
長野県町村誌』 3巻 p3651に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 知久町/扇町/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(西高遠町)
広垣外/久保田/高島/神明/白山/団子坂/内垣外/東田/片山/青木原/猪鹿/高砂町(たかさごちょう)/
本町
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([現代訳])
一 小諸の六供、田町、
本町
が流失し、流死者は三四〇人、馬は一四ひき流され流れつぶれた家は二〇七軒にのぼりました
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(4.数千の教師を育てた浅井洌先生)
投稿して大いに自由教育を主張し、教育施策を提言する」(前掲書) 明治19年38歳の時、師範学校が松
本町
松本繁昌記 上・下
(内容)
南深志町はその前夜から枝町・裏町にいたるまで、くまなく軒先にはガラス紅灯を懸けつらね、とくに
本町
と中町,飴売店に銭がたまるようすは「塵捨場に芥の積る如く」で、人々は
本町
を徘徊し、中町では呉服店などの大安売りの
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上田町)
/鎌原町/葭原町/新参町/丸堀町/上常田町/下常田町/鷹匠町/袋町/馬場町/厩裏町/山口村/房山村/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(飯山町)
長野県町村誌』 1巻 p593に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 新町/上町/上長峰/
本町
小諸洪水流失改帳
([現代訳])
朝9時頃、北山の方向が強く揺れ、にわかに曇り、上流から土石流が成就寺あたりに流れこみ、六供、田町、
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上諏訪村)
) 明治初期:上諏訪村(かみすわむら) 幕末から明治初期:大和村/下桑原村/片羽町/裏街/横町/
本町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小諸町)
令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:小諸町(こもろまち) 幕末から明治初期:与良町/荒町/
本町
,/大安場/北竹原/北大平/鞍掛/古桝/大安平/東大平/南大平/南竹原/高津谷/斧石/西大平/野馬取/
本町
宿継要書留
([翻刻])
4 春商人荷物宿次ニ可仕旨申付候故、 伊那海道筋御領私領七色之 荷物中馬ニ不為付候所、松
本町
之者,今以中馬ニ荷物売出シ候間、向後無 用之由ニ連判之訴状差出候、其 上松
本町
者中売所与申立売遣し,ニハ中山道塩 尻宿・北国脇往還村井宿 有之候得共、松
本町
江之儀者 両村より付通、右両宿江前条,継場村 村分被仰渡被下候得者、商人共 渡世ニ相障候義無之難有奉 存候、右之段ハ飯田町より松
本町
,、松
本町
ハ 信州より出候荷物之付出場所ニ而、中馬之 者江相渡売買仕来、駄賃ニ而送り荷物ニ茂
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南深志町)
現在(令和2年):松本市(まつもとし) 明治初期:南深志町(みなみふかしまち) 幕末から明治初期:
本町
宿継要書留
([現代訳])
ところが松
本町
の者は今もって中馬に荷物を付けているので、今後そうしないように連判の訴状を出した。,近年松
本町
商人と一緒になり、出所よりの作物と言い、松本で売買する荷物を付け通すので、去る春訴えた。,松
本町
で荷物を請払いすることは、これも今までのやり方の通りだと思っていました。,松
本町
問屋は御用があるので、残っているように仰せ付けられた。,一同国同郡松
本町
商人たちが訴えたのは、松
本町
は信州より出る荷物の付け出し場所で、中馬の者へ渡して売買をしてきました
木曾山林学校
(福島通信)
此日の
本町
通の模様は山師的、夜店的商人の山出人を当込み大道へ陣を敷き居る様及人出の多き事……馬こそ居らね
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(資金供給源の(株)第十九銀行略史)
長野県では、同年8月5日および11月1日に開業した第十四国立銀行(松
本町
)と第二十四国立銀行(飯山町)
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