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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([翻刻])

なりしがいつとなく 今日の如く水少くなりたり、其時分は松城より 矢代驛への通路ハ勘太郎橋を渡り眞直に行 妻女山,を踰へて路あり、妻女山の東の麓に石地 蔵あり、其辺に家四、五宇あり四ッ屋村といへり、 茶店はなけれ,共旅人は立寄、休息の所とす、此石 地蔵は道の傍にあり、前に言如く妻女山を越 土口坂へかゝり雨宮、矢代,岩野を往来する事なし、今馬喰町裏崩れ 〓《ワク》辺より赤坂の渡頭までは一面の川なり某 十歳の比ほひ妻女山,      63   来のみにて馬の往来はならざりし、いつしか今は 道幅廣く真の往還となり妻女山
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([現代訳])

今日のように水が少なくなった、その時は松代から 矢代宿への通路は勘太郎橋を渡り、まっすぐに行き 妻女山,を越えて道があった、妻女山の東の麓に石の地 蔵があり、その辺りに家が四・五軒あり、四ツ屋村といった、,茶店はないけれど旅人は立ち寄り、休息の場所とした、この石の 地蔵が道の傍らにあり、前に書いたように妻女山,今馬喰町裏は崩れ、 わく(河が陸に当たる水衝部)辺りから赤坂の渡しまでは一面川で、某 10歳の頃、妻女山,ただし、歩行の往 来のみで、馬での往来は出来なかった、いつしか今は 道幅も広くまつすぐな道路となり、妻女山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (清野村)

キーワード 字地: 西沖/中沖/東沖/離山/五反田/新馬喰町/河原新田 山: 深山/倉科坂山/越山/妻女山,日吉社/招魂社 寺: 高源寺/林正寺/龍泉寺 学校: 清野学校 古跡・名勝: 鞍骨城墟/妻女山
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([解説])

昔は妻女山を越え、土口坂から雨宮 矢代へと通行していましたが、今は妻女山の麓に近いところから岩野村を通
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([解説])

(大洪水)  4月13日の夕方、原昌言は西条山(妻女山)で善光寺平に流れ込む激流を目撃しました。,西条山(妻女山)から見ていた原昌言によれば、洪水は3流となって川中島平に広がりました。,上段に「於是みな海津(松代)に湊(あつま)る」とあるのは、西条山(妻女山)から見ると、幾筋にも分かれた
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩野村)

p1493に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 山浦沖/韮崎沖/中道沖/芦原沖 山: 妻女山
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

犀川のせき止め場が決壊して善光寺平が大洪水になった折も、高井郡や埴科郡の養蚕家を訪ねるために出張中で、妻女山,川中島の百姓たちは、上流でせき止められた犀川が決壊して大洪水になることを恐れて、妻女山(長野市松代町)
むしくら日記 (4巻 貞)

むしくら日記 貞      1     (改頁)      2   ○変死亡霊冥福のため於妻女山施餓鬼,つゝを給はりぬ、御普請方にて経木もて三千     (改頁)      3   余本調し出たり、妻女山済,ら行て回向ありぬ、兼て御郡中御預所迄もふれ 示したる事故、余程遠方よりも人出しといふ、 大英寺も妻女山,在町寺々へも勝手次第法会せよと公事方より 触出させぬ、仍而五ヶ寺七ヶ寺十ヶ寺つゝ組合て、最寄 の山々或妻女山或寺尾山,にても修行せし、又寺ニて さま/\の法会修行せしも有し、妻女山ニて執行 の度々土堤にて見しニ、長国寺
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([現代訳])

しく流れ出したもので、その音は遠く松代・須坂・中野まで聞こえました]  [この時、私原昌言は松代の妻女山
むしくら日記 (1巻 元)

たると云、かかる大河 数日十九日堰留たる事、後世又あるへき事に非す、不思義の 天変というへし、 ○妻女山金比羅
むしくら日記 (1巻 元)

◯妻女山の金比羅の宮の辺りからおびただしい数の小屋掛けをしています。
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