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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (姨捨山の文学)

姨捨山の文学 トピック(テーマ) 姨捨山の文学 ねらい 信州を代表する歌枕,、姨捨山の文学について概観する。,この歌に詠まれた「更級」や「姨捨山」は『今和歌集』千百首 中、百五十首も見つかるという。,信州姨捨山は姨を捨てた山ではなく、姨が月を見て懺悔し身を捨てた山 内容紹介 である。,「信州姨捨山は姥捨山ではなく冠着山とも違う!」 / 姨捨山の文学
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (八幡村)

キーワード 字地: 志川/郡/中原/火打石/峯/姨捨/杉ノ木/大池新田/長尾根/代 山: 姨捨山,/旗塚/糠塚/半官塚/八幡山大雲寺/仙福寺/栂林山青松寺/法城山高円寺/恵日山開眼寺/法性山仏海寺/姨捨山長楽寺,学校: 中央清浄院 古跡・名勝: 姨捨山/放光院/長楽寺/十三景/大雲寺/燧石/谺岩 物産
パスファインダー (長野・更埴地域の文学について(1))

2 書名 著者名 出版社 出版年 姨捨山の文学 矢羽勝幸/著 信濃毎日新聞社 1988 内容紹介,古典の姨捨山、芭蕉の来遊、蕉風のメッカ、月の都、観光化と復興等の 目次で構成される姨捨山の文学研究必携,姨捨山と人舛田―その伝説の考証と現代的意味― 横山十四男 信濃 第3次第57巻第5号 北信濃の俳諧を
伊那の中路 わがこころ (わがこころ)

、新編信濃史料叢書第一〇巻 概要 菅江真澄は天明三年の春から信濃国筑摩郡に滞在していたが、更級の姨捨山,十五日、雨雲は残りなく晴れて、桑原、嶺村を経て姨捨山に登る。,松本を過ぎて、村井の辺で、姨捨山で一夜を語り知り合った紀ノ国田辺の里の人と「これはこれは、ご一緒に親しく
善光寺道名所図会 (○寂蒔(じゃくまく)村)

また、家ごとに遠目鏡(とおめがね)(注7)があり、千隈川の向こうにある姨捨山をながめるといいます。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 (著者、絵師等)

その間には、野尻湖、川中島、姨捨山、浅間山、諏訪湖といった、一般的な名所の紹介もしています。  
パスファインダー (春秋庵加舎白雄(かやしらお))

明和4年 (1767)初め信州に来て、上田、戸倉、更埴、松代の門人を結束させて明 和6年(1769)姨捨山,俳人 上田藩士 姨捨山 芭蕉句碑 面影塚 明和 安永 江戸日本橋 鉄砲町 春秋庵 別所北向観音芭蕉塚 
善光寺道名所図会 (○下戸倉)

有明山のふもとで、姨捨山は西に見えます。
戸隠善光寺往来 ([翻刻])

田中、海 野を打過、上田の町、      (改頁)   夫より坂木、戸倉、屋代之渉 より姨捨山長楽寺
信濃名勝詞林 (信濃下向日記)

十五日(七月)雨 右膳方より七月六日の書状到来弥八月上旬参り候様に申来 期七月十五日与永井幸直為登于姨捨山而予作設歌,のおもひをはるけやるよしもあらんとむら鳥のひきのまに/\丹波島朝川渡り名細いなりの山を越え過てやはたにいたりあつけきに汗かきなけて更級や姨捨山
パスファインダー (宗良親王と信濃)

征東将軍 信濃宮 上野親王 足利 尊氏 高師泰 足利義詮 井伊城 伊那郡大河原 香坂宗興 吉野 長 谷寺 姨捨山
パスファインダー (菅江真澄と『伊那のなかみち』)

長野県関係: 本洗馬 姨捨山 胡桃沢勘内 本洗馬歴史の里資料館 3 書名 著者名 出版社 出版年
パスファインダー (戸隠の神話)

出版社 出版年 日本の伝説 日本伝説拾遺会/監修 山田書院 1900 戸隠山の鬼女、信州姨捨山
パスファインダー (鬼女紅葉伝説)

著者名 出版社 出版年 日本伝説拾遺会/監修 山田書院 1900 戸隠山の鬼女、信州姨捨山
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

田中宿、海野宿を過ぎ、上田の町から坂木宿、戸倉宿、屋代の渡し場からは、姨捨山の長楽寺、冠着山などが見渡
パスファインダー (『更科紀行』と芭蕉)

キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 更科の里 姨捨山 名月 善光寺 貞享5年 越人
パスファインダー (善光寺の物語・紀行文・文学)

『続古今和歌集』には、前大僧正覚忠が仁 安三年(1168)「善光寺に詣でける時、姨捨山の麓に宿りて」詠
パスファインダー (信州の民話・伝説)

八ヶ岳 野ざらしの鐘 白鳥神社 北向観音 姨捨山 石堂丸 鬼女紅 葉 戸隠山縁起 久米路橋 黒姫山 ものぐさ
信濃名勝詞林 (信濃の記)

みたり見こそ古戰塲とかや 其時の車か〻りやとぶひばり  雲鈴 一そなへあれにも山の櫻かな  凉莬 姨捨山
信濃名勝詞林 (陸路廼記)

姨捨山ちかくみゆ。時も秋にて月のころにさへあれは。のほらまほしけれと。,姨捨山ほと近く住(すみ)侍りし頃。夜ふくるまて。月をみて思ひつゝけ侍りし。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

この図でも善光寺・戸隠は大きく記載されていますし、「姨捨山」の「長ラク寺(長楽寺)」(千曲市八幡)には
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([現代訳])

その中でも特に世にもまれな大災害と言われたのは、更級郡平林村[姨捨山の西3里(12キロメートル)余]にある
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

姨捨山は、更級郡(正しくは埴科郡)の屋代宿から戸倉へ行く間の、千曲川の向こう側にある。,新勅撰集  今更にさらしなの川のなかれにも浮影みせんものならなくに  姨捨山長楽寺は、観音を安置している,見て   新古今集 今よりは秋をば捨の山桜月と花とのありあけのころ     田毎の月は、更級の姨捨山
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

○姨捨山ハ更科郡屋代の宿より戸倉へ行間、千隈川の向ふに有。,て      新古今 今よりハ秋をば捨の山桜月と花とのありあけのころ     ○田毎の月ハ、更科姨捨山
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

下戸倉より姨捨山(おばすてやま)近く見ゆ。,へと        芳  樹 然る中を徳大寺家従者滋賀重身只一人結束(けっそく 身支度すること)して姨捨山,近藤芳樹署陸路迺記に、      18  暮なんとする程、嚴夫後れ来てかたるを聞くに、此山(姨捨山)
烈女百人一首 ([翻刻])

むすめはお伏といひて容美しければ、信州の領主にめされ寵せられて、母お通を養はんため信州に迎へる折から、姨捨山
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