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安曇・筑摩両郡旧俗伝
(3、「信府統記」の構成)
安曇
・筑摩両郡旧俗伝 / 巻以後第16巻までの9巻は、「松本領御朱印郷村高辻」としてまとめられ、諸史料にもとづいて、松本領内の
安曇
,第17巻「筑摩・
安曇
両郡旧俗伝」には、
安曇
・筑摩両郡に伝わる旧俗伝をまとめています。,第19・20巻の「松本領諸社記」と、第22巻の「松本領諸寺院記」は、松本領内の
安曇
・筑摩両郡の寺社を網羅
安曇・筑摩両郡旧俗伝
(1、「信府統記」の編さん)
安曇
・筑摩両郡旧俗伝 / である忠清の時、旧領4万5000石に2万5000石を加封されて、三河国吉田から信濃国松本城に移され、
安曇
,忠周の子忠幹は、享保3年11月20日、その遺領を継ぎますが、忠清以来、
安曇
・筑摩両郡を領すること80年
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
安曇
・筑摩両郡旧俗伝 / [現代訳]
安曇
・筑摩両郡旧俗伝 「信府統記」第十七 筑摩・
安曇
両郡旧俗伝 一、わが信濃の国のなかで,そのいわれがはっきりしないこともあり、きちんと書くことはむずかしい、そのため、しばし筆をとることをやめたが、ここにまた筑摩(つかま)・
安曇
,という大きな山の麓だったからその名がついた、有明山は、今(江戸時代中頃)の松川組(まつかわぐみ、松本藩
安曇
郡,白竜王を尋ね、坂木(さかき)の横吹という所の岩穴に入り、小太郎は有明の里に帰った、今の池田組(松本藩
安曇
郡,ぎとめておく石などもある、一説によれば、信濃の国の十二郡の (改頁) 中でも筑摩と
安曇
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
安曇
・筑摩両郡旧俗伝 / [翻刻] 信府統記第十七 2 筑摩・
安曇
両郡旧俗伝 一、当国封域乃中、往古より近来ニ至,共、上古ノ沿革ハ其由所分明ならざるか故ニ、 一定して記し難し、故ニ暫筆ヲ閣ク所に、爰ニ又 筑摩・
安曇
乃両郡,ヲツナキシ石ナトアリ、一説、当国信濃十二郡乃 (改頁) 6 中ニモ筑摩・
安曇
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(安曇村)
安曇
村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):松本市(まつもとし) 明治初期:
安曇
村(あずみむら,その他特記ワード: 大樋山鉱山/銀銅山鉱山/白骨温泉 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
安曇
村,史料ID:9-1 1-1 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
安曇
村誌,/南
安曇
郡誌 /
安曇
村
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
○
安曇
池田 65左 六丁程相対して巷をなし、其余町裏に散在す、繁昌の地なり、これ より大町 / ○
安曇
池田
善光寺道名所図会
(○安曇 大町)
○
安曇
大町 13中央 海の口へ弐里、大町は拾丁許、相対して巷をなす、繁昌の地にして 冨家多 / ○
安曇
大町
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
○
安曇
池田 65左 長さ6町ほどの宿駅で、その裏に町が散在し、繁昌の地です。 / ○
安曇
池田
善光寺道名所図会
(○安曇 大町)
○
安曇
大町 13中央 海の口へ2里、大町は10丁ばかり相対して宿をなしています。 / ○
安曇
大町
パスファインダー
(安曇野・大町の文学)
安曇
野・大町の文学 トピック(テーマ)
安曇
野・大町の文学 ねらい 風土と,齋藤瀏 慟哭 齋藤史 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年
安曇
野,臼井吉見/著 筑摩書房 1970.11 相馬愛蔵・黒光夫妻、木下尚江、荻原守衛、井口喜源治ら信州
安曇
野,池田町 出版年 1982 内容紹介 1/2 信州地域史料アーカイブ
安曇
野 /
安曇
野・大町の文学
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
○
安曇
池田 3左 宮本神明宮[宮本村にあり、仁科六十六郷神明の惣社なり、社領黒印廿三石、除地五石 / ○
安曇
池田
安曇・筑摩両郡旧俗伝
(2、「信府統記」の内容と史料価値)
安曇
・筑摩両郡旧俗伝
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
○
安曇
池田 3左 宮本神明は宮本村にあり、仁科66郷神明の惣社です。 / ○
安曇
池田
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北穂高村)
北穂高村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:北穂高村,-1 1-13 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 穂高町誌/南
安曇
郡誌
パスファインダー
(井口喜源治)
月発行 ゴードン平林の矜持と闘い 研成義塾が育んだ人々 : 憲法訴訟の意 味と意義 井出 孫六/著
安曇
野文化講座実行委員会,2013.3
安曇
野文化講座「研成義塾が育んだ人々」(2012年10月21日開催) の記録を大幅に再構成,・日記編 第2巻 郷土出版社 1989 信州ゆかりの名随筆、名紀行、そして赤裸な日記の魅力を探る
安曇
野,発行機関 信濃毎日新聞 朝刊21ページ 年月日 1998.10.15 2 見出し
安曇
野,発行機関 信濃毎日新聞 朝刊14ページ 年月日 1998.10.24 3 見出し
安曇
野
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊科村)
豊科村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:豊科村(とよしなむら,9-1 1-8 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 豊科町誌/南
安曇
郡誌
パスファインダー
(貞享3年(1686)の加助騒動)
安曇
野と義民一揆の実像 中村石浄/絵 田中薫/文 信毎書籍出版センター 2000 松本藩 田中薫/著,現代書館 明治38年6月29日 成立苦悩、水野家の時代、戸田家時、諸改革、幕末・維新 信州
安曇
郡長尾組与手代, 御用留日記 下 南
安曇
郡三郷村教育委員会 南
安曇
郡三郷村教育委員会 1996.3 天和4年(1684
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(温村)
温村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:温村(ゆたかむら,9-1 1-7 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 三郷村誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(明盛村)
明盛村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:明盛村(めいせいむら,9-1 1-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 三郷村誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高家村)
高家村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:高家村(たきべむら,9-1 1-9 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 豊科町誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(西穂高村)
西穂高村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:西穂高村,-1 1-12 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 穂高町誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(科布村)
科布村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:科布村(しなのむら,9-1 1-5 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 堀金村誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(東穂高村)
東穂高村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:東穂高村,-1 1-11 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 穂高町誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南穂高村)
南穂高村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:南穂高村,-1 1-10 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 豊科町誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(七貴村)
七貴村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:七貴村(ななきむら,10-1 2-7 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 明科町史/北
安曇
郡誌
パスファインダー
(小泉小太郎(泉小太郎)伝説)
テーマ) 小泉小太郎(泉小太郎)伝説 ねらい 小泉小太郎(泉小太郎)伝説は東筑摩、南
安曇
,、北
安曇
、小県、埴科に 及ぶ広い地域でさまざまに語り継がれ親しまれている。,洪水神話 しなの文学夜話【上】 滝沢貞夫/著 信濃毎日新聞社 1982 泉小太郎伝説は東筑摩、南
安曇
,、北
安曇
、小県、埴科に及ぶ広い地域 内容紹介 でさまざまに語り継がれてきたものである。
パスファインダー
(巨人伝説(でいらぼっち)・黒姫伝説)
白馬岳の大魔神」な ど、山岳や高山にまつわる話を収録 4 書名 著者名 出版社 出版年 北
安曇
郡郷土誌稿,信濃教育会北
安曇
部会/編 長野県北
安曇
教育会 1979 池、淵、泉等の話。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(烏川村)
烏川村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:烏川村(からすがわむら,9-1 1-6 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 堀金村誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(有明村)
有明村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:有明村(ありあけむら,-1 1-14 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 穂高町誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(信級村)
中組橋/平岩橋/アラマの橋/岩本橋/押出橋/藤布月橋/大マタ橋/シノ沢橋 道路: 本村より北
安曇
郡,への道/水内郡より北
安曇
郡への道 社: 延喜式内当信神社/諏訪神社/秋葉社/飯縄社/八幡社/津島社
パスファインダー
(十返舎一九の『続膝栗毛』)
8 書名 弥次さん喜多さん
安曇
野を往く 著者名
安曇
野十返舎一九に親しむ会/編 出版社,
安曇
野十返舎一九に親しむ会 出版年 2015.1 内容紹介 中山道 善光寺道 千国道 塩,見出し 発行機関 年月日 2 見出し 発行機関 年月日 江戸時代の旅人気分 十返舎一九歩いた
安曇
野
パスファインダー
(中信地方の教育者たち)
3 書名 井口喜源治と研成義塾 著者名 出版社 出版年 南
安曇
教育会井口喜源治研究委員会,/編 南
安曇
教育会 1981 井口喜源治と研成義塾の記録。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([翻刻])
這囘(コノタビ)ノ大変最甚キモノ水内(ミヌチ)更級(サラシナ)ニシテ、上ハ筑摩(ツカマ)
安曇
(アヅミ),穂高(ホタカ)神社[延喜式神名帳名神大
安曇
郡穂高邑ニ坐ス] ○古事記曰、綿(ワタ)津見ノ神者阿曇(ツミ,○姓氏録曰、
安曇
ノ宿祢ハ海ノ神綿積(ツミ)豊玉 彦ノ神ノ子穂高見ノ命ノ後ト云々。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上川手村)
上川手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:上川手村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(常盤村)
10-1 2-3 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 大町市史/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中小谷村)
-1 2-14 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小谷村誌/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(倭村)
史料ID:9-1 1-15 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(千国村)
-1 2-13 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小谷村誌/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上野村)
史料ID:9-1 1-3 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中川手村)
中川手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:中川手村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(松川村)
10-1 2-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 松川村誌/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(陸郷村)
10-1 2-8 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 池田町誌/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大井村)
: 坂下川/墨川/湯之沢川/殿沢川/二子山川/屏風川/永沢川 道路: 北国西街道/北国脇街道/
安曇
街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(弘崎村)
大堰/新堰/水野沢 橋: 続ケ橋/一倉田和橋 道路: 長野町より松本道/大岡村より新町村道/
安曇
郡大町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北小谷村)
-1 2-15 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小谷村誌/北
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(梓村)
:9-1 1-2 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 梓村誌/南
安曇
郡誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(東川手村)
東川手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
安曇
野市(あずみのし) 明治初期:東川手村
木曾山林学校
(◎職員任命)
当時北
安曇
郡松川尋常高等小学校に在勤。
松本藩庄内組大庄屋御用留
(3、大庄屋と折井家)
3、大庄屋と折井家 松本藩の筑摩郡・
安曇
郡のそれぞれの組内の諸村を管轄するために、はじめは「組手代」
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([現代訳])
今回の大災害でも甚大な被害を受けたのは水内郡と更級郡で、上流では筑摩郡と
安曇
郡を浸し、下流では埴科郡と,
安曇
郡穂高村に鎮座] ○『古事記』に、「綿津見の神は阿雲(あずみ)の連(むらじ)等の先祖」と書いてあります,○『新撰姓氏録』には、「
安曇
の宿祢(すくね)は、海神の綿積豊玉彦の神の子である穂高見の命(みこと)の子孫
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