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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 ([解説])

寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 / 見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され、田地のための堤防工事をお願いしたが、望月宿は中山道の宿場,であるから、宿場としての役目がはたせなければ宿場としてのかいがない、宿場としてやってゆけるよう、宿場優先,宿場住民が、宿場としての務めを優先していたことがうかがわれる。  ,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆願書」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 ([現代訳])

寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 / をもって願い上げ奉る事 一、望月宿は去年戌八月の大満水によって、このたびご見分下されたとおり、大破し、宿場,その金で上之段という、川から離れた場所へ宿場を移したいと思います。
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 ([翻刻])

寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([現代訳])

そこで先に宿場の堤防工事をお願いしましたが、今回流失しないで残った田地の堤防工事を、別紙帳面のとおりお,もっとも、田地の堤防工事をしていただいても、宿場を維持できなければ、田地を所持している甲斐がなく、宿場,そこでお願いしたいのは、田地の堤防工事はしていただかなくても、宿場が維持でき、伝馬役を務めることができるように,、宿場の堤防工事をしていただきたいということです。,まず宿場の堤防工事をしていただけば、宿場を維持することができ、往還御用を務めることができありがたく存じます
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([解説])

見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され、田地のための堤防工事をお願いしたが、望月宿は中山道の宿場,であるから、宿場としての役目がはたせなければ宿場としてのかいがない、宿場としてやってゆけるよう、宿場優先,宿場住民が、宿場としての務めを優先していたことがうかがわれる。  ,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆願書」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([解説])

見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され、田地のための堤防工事をお願いしたが、望月宿は中山道の宿場,であるから、宿場としての役目がはたせなければ宿場としてのかいがない、宿場としてやってゆけるよう、宿場優先,宿場住民が、宿場としての務めを優先していたことがうかがわれる。  ,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆願書」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける
寛保三年三月復旧方懇願書 ([解説])

見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され、田地のための堤防工事をお願いしたが、望月宿は中山道の宿場,であるから、宿場としての役目がはたせなければ宿場としてのかいがない、宿場としてやってゆけるよう、宿場優先,宿場住民が、宿場としての務めを優先していたことがうかがわれる。  ,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆願書」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける
パスファインダー (北国街道小諸宿)

北国街道小諸宿 トピック(テーマ) 北国街道小諸宿 ねらい 城下町でもあり宿場町,近世史 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 1991.12 内容紹介 北国街道の宿場町,1997.4 内容紹介 本陣の描かれた絵図や現存する建物の写真など絵図や写真を多く使 い、宿場町,小諸の商業の発生を城下町であり宿場町であることが一番の要 因としている。,宿場の機能は市町と本町で、与良町・荒 町・本町には穀問屋や塩問屋などがあり、この地方の商業の中心地で
戸隠善光寺往来 (『戸隠善光寺往来』の内容)

その間を主に宿場をたどりながら簡潔に述べています。,全国から人の集まる善光寺町の繁栄は、道中のどの宿場や城下にも見られなかった特別なもので、長旅をして善光寺
善光寺道名所図会 (○筑摩 村井)

○筑摩 村井 23右    村井宿は、松本へ1里半、南北6町ほどの宿場通りです。,長さ4町ほどの宿場です。
善光寺道名所図会 (善光寺道(北国脇往還))

善光寺道は脇往還のため、宿場の規模も中山道にくらべると小さいものでしたが、25人・25疋の人馬を備え公用人馬,山間部であるうえ、刈谷原峠・立峠・猿ヶ馬場峠などのけわしい峠があるので継ぎ立ては容易でなく、そのためか宿場間,宿場間の距離の長い所や峠の麓などには、休憩のために正規の宿場ではありませんが、間宿(あいのしゅく)といって
犀川を下る記 (1.犀川通船の盛衰)

1.犀川通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発  松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで,それは、通船が実現すれば、宿場が衰退する、牛馬の駄賃稼ぎが無くなる、堰の取水に問題が生じる、鮭漁ができないなどの,しかし、商品流通の促進を図る松本藩の後押しと、勘定奉行のとりなしがあり通船を進める側と反対する宿場、中馬側
善光寺道名所図会 (○筑摩 乱橋)

ここは、長さは4町ほど相対した宿場です。法橋(ほうきょう)へ30町です。
宿継要書留 ([解説])

人や荷物の継送りをする伊那街道の宿場と、荷物を付け通す中馬稼ぎの人たちや、荷物を送り出したり受け取ったりする,寛文期くらいになると、これらの通し馬は宿場と争いを起こすようになりました。,これが、江戸時代の宿場と中馬の争いの始まりでした。  ,宝暦9(1759)年上伊那の北部において、伊那街道の宿場と中馬の荷替問屋を持つ村との対立が始まりました,裁許が中馬公認を中心としたもので、宿場についての規定があまりなかったためかもしれません。
善光寺道名所図会 (○筑摩 洗馬)

○筑摩 洗馬 16左    洗馬から郷原(善光寺道の宿場)まで1里半、塩尻(中山道の宿場)まで1里,およそ6町(約650メートル、1町(丁)は60間・約109メートル弱)ほどの宿場通りです。
パスファインダー (信州中馬と伊那街道)

発展させるようになる様子を学ぶ キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 中馬 宿場,長野県民俗調査報告) 長野県教育委員会/編 長野県教育委員会 1959 中馬の成立、はたらきおよび宿場,らかにしてまとめている 下伊那史第8巻 下伊那教育会/編 下伊那誌編纂会 2006.3 飯田下伊那の街道と宿場
善光寺道名所図会 (○筑摩 郷原)

民家が多く、宿場の入口に唐松の大樹が2株あります。,1614)に松本城主小笠原秀政が、中山道洗馬宿と北国街道を結ぶために、北国脇往還を整備したときに設定した宿場
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、,次の宿場は千曲川に面した塩名田宿(佐久市)である。
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、,次の宿場は千曲川に面した塩名田宿(佐久市)である。
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、,次の宿場は千曲川に面した塩名田宿(佐久市)である。
諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

現在は宿場の面影をうかがうことができない。,追分宿は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商家28軒(『商人鑑』に載る旅籠屋はわずか4軒、商家8軒)と大きな宿場町,「追分桝形の茶屋でホロと泣いたが忘らりょか」の歌詞は、宿場女と客のつながりと離別をあらわしている。
おらが春 (小林一茶の生涯)

一茶の生まれた柏原(長野県上水内郡信濃町柏原)は、北国街道の宿場で、信州北部の豪雪地帯にありました。
パスファインダー (昔の旅人)

九次、道中続膝栗毛、方言修業金草鞋等の紹介、解説が載るブックレッ ト 2 書名 街道と宿場,各宿場の成立と構成、環境の現状と特性、遺跡等の保存の実態が まとめられている。
パスファインダー (信越を結ぶ谷街道)

/著 出版社 長野郷土史研究会 出版年 1982.9 内容紹介 特集 街道と宿場, として 「谷街道」「 越後の雪中における宿場」などの 論文が掲載されている。
木曾山林学校 ([注記])

(注1-5)長亭短駅(ちょうていたんえき):亭も短も宿場をあらわす語。,宿場と宿場の間が長いところも短いところもあるという意  (注1-6)保守退嬰(ほしゅたいえい):進んで
小諸洪水流失改帳 ([解説])

において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
小諸大変書 ([解説])

において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
犀川を下る記 (2.天竜川通船)

が天竜川を利用した材木輸送の先鞭となり、天竜川から流送された伊那の材木は江戸をはじめ、各地の城下町や宿場等
善光寺道名所図会 (○筑摩 会田)

○筑摩 会田 26右    7町ほどの宿場です。本陣の横内氏の林泉は佳景です。
善光寺道名所図会 (○筑摩 青柳)

○筑摩 青柳 31左    5町ほど相対して宿場をなしています。麻績宿へ1里10町です。
伊那の中路 わがこころ (わがこころ)

十四日は雨天の中、太刀峠、赤豆坂を越え、青柳の宿場に着き、切り通しを経て麻績の里に休んだ。
宿継要書留 ([翻刻])

右書下者村々  よ里付出候荷品不及相定、通馬継  馬双方勝手次第と有之候者、中馬  江之被仰渡ニ而宿場,       御評定所       差上申一札之事 一信州伊奈海道拾八宿と唱来  候由宿場,ニ而御座候所、宿場を 離レ拾三町一同ニ江戸表江御訴訟ニ罷出 申候ハヽ、四ケ宿之者共江戸表江罷出、去冬,メ 宿之者共被為召候ハヽ、其節ハ五町入用 突八重之物入相掛り候ハヽ、甚難儀可仕候、 五町之儀ハ宿場,ニ定メ無之候、  仲馬駄賃ニ而付送り候義御裁許之  趣ニ御斗候、其外請合申候義敷金抔と  申義宿場
パスファインダー (中山道千曲川往還橋)

佐久地域知ろう 信濃毎日新聞社・朝刊22ページ 2018.3.12  浅科村・丸山家宅 難所控え栄えた宿場
善光寺道名所図会 (○筑摩 麻績)

○筑摩 麻績 33    6町ほど相対して宿場をなしています。
宿継要書留 ([現代訳])

いつからかはわからず、宿場掟・高札はない。,一5町は宿場ですが、宿場を離れ13町一同として江戸表へ江御訴訟に出かけました。,一宿場は宿で申合等もあります。,5町は宿場ではありますが、商売により渡世をしています。,宿場は甚だすたれますので、荷物の差押えをしました。
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

軽井沢宿、平葉の原、沓掛宿、追分宿は「信濃なる浅間の山」と歌に詠まれた浅間山の麓の宿場で、まっすぐに行
パスファインダー (信州の通船(川の道))

天龍川上流の通船史料(承前) 北原通男/著 信濃 1942.12 第12号 千曲川通船と北国街道の宿場
パスファインダー (水戸の浪士伊那路通行)

阿智村誌編集委員会/編 阿智村誌慣行委員会 1984.3 内容紹介 駒場宿へ宿泊した水戸浪士との交流及び宿場
パスファインダー (『更科紀行』と芭蕉)

信州地域史料アーカイブ 『更科紀行』と芭蕉 雑誌 インターネット 情報 新聞 今も残る宿場
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

往還は鹿曲川(かくまがわ)にそって東南から西北に伸び、道幅は2~3間、京風の格子や出桁造りの家が残り、宿場,長丁場で難所であった和田峠を控えているため、本陣1、脇本陣2、問屋2、旅籠屋28(天保14年)の大きな宿場
パスファインダー (長野市長沼地区)

その後も北国脇街道の宿場であり、俳人小林一茶の門人 が大勢いて一茶が北信濃で一番多く滞在した地区でもある
信州浅間焼之事 ([現代訳])

大きな宿場なので、家々から人が出て灰をかき寄せ、桶に入れ、箱に盛り、家へ運びこんだ。,噴火がなくても険しい碓氷峠の坂に、石砂が降り積もり、人の行き来が絶えたため、宿場に六日留まった。,ここでさえこのような状態だから、坂本・軽井沢・追分の各宿場は、石の降り方が盆を傾けて移すようで、家は半
パスファインダー (信州の道・街道(東北信地域))

信濃路をゆく[上]:歴史街道トラベルガイド 児玉幸多/監修 学研 2001.1 内容紹介 宿場町時代
信濃名勝詞林 (信濃の記)

江戸時代には北国街道の宿場として栄え、関所があった。 【注3】 岩田涼菟。
パスファインダー (善光寺参詣と善光寺道)

出版年 1989年 商家が中心に記された道中記で、中山道は当然板橋から善光寺までの 内容紹介 宿場毎
パスファインダー (長野市中央通り(善光寺表参道)の移り変わり)

キーワード 長野市 善光寺 門前町 北国街道 宿場町 中心市街地 商店街 大 型店 市街地再生
パスファインダー (信州の道・街道(中南信地域))

信濃路をゆく[下]:歴史街道トラベルガイド 児玉幸多/監修 学研 2001.1 内容紹介 宿場町時代
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