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小県郡民謡集
(著者・小山真夫(こやま まさお)について)
小県郡
民謡集 / 『
小県郡
史』の編集者として知られる。
小県郡
上武石村(現上田市)の生まれ。,二年で中退し、検定試験に合格し正教員免状を獲得、
小県郡
内の教員を務めた。 ,大正五(一九一六)年、小県教育会から推されて『
小県郡
史』の編纂に着手、大正一一(一九二二)年に完成、翌年,には、『
小県郡
史余滴』も上梓した。,なお、本書と関わりのある論考として「信濃国
小県郡
地方言」(『風俗画報』四〇七 東洋堂 明治四三(一九一
小県郡民謡集
(凡例)
小県郡
民謡集 / 凡例 ○
小県郡
は長野県管内の一郡で千曲(ちくま)川の中部流域に沿ひ、所謂(いわゆる)信濃六地 ,古来の文化域を以て見るも
小県郡
は信濃国分寺を中心として ……其前後中心が少しづつ其附近(ふきん)に移動,○本書は此
小県郡
の民謡を蒐集したもので、分つて児童謡と成人謡との 二類とする。,これによつて
小県郡
の名を冠せしめた。
小県郡民謡集
(序)
小県郡
民謡集 / 分自らがはぐまれしもので、将来は子孫誰もがはぐくまれ得られぬ風習 ……を時折筆にしてゐたものを集て
小県郡
民俗,其最初にうぶ声を挙げたものが
小県郡
民謡集である。,之に次いで漸次(ぜんじ 注12)
小県郡
民俗の各集をものし(注13)て見たい決心である。
小県郡民謡集
(炉辺叢書(ろへんそうしょ)の一冊として)
小県郡
民謡集 / その具体的書名を、本書(『
小県郡
民謡集』)の巻末にある「既刊書目」によって、少々ながめてみよう。
善光寺道名所図会
(○小県郡海野)
○
小県郡
海野 18左 七町程相対して巷をなす、民家多し、町中に溝あり、むかし木曽殿の 侍宇野平四郎幸氏 / ○
小県郡
海野
善光寺道名所図会
(○小県郡海野)
○
小県郡
海野 18左 道の両側7町ほどがにぎやかな町通りで、民家が多く、町中に溝があります。 / ○
小県郡
海野
善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
○
小県郡
上田 17右 海野へ2里、長瀬へも2里です。,上田から1里、
小県郡
白鳥庄国分寺村にあり真言院と号しています。 / ○
小県郡
上田
小県郡民謡集
(付録 春駒一首)
小県郡
民謡集 / 但(ただし)甞(かつ)て
小縣郡
に流れ込んだもの並に郡特有のものが存してゐたと言ふことを附記して置く。
善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
○
小県郡
上田 17右 海野へ弐里、長瀬へも二里、松平伊賀守居城にて、五万八千石を領せらる、 / ○
小県郡
上田
善光寺道名所図会
(○小県郡田中)
○
小県郡
田中 28中央 小諸へ弐里半、此町八丁程相対して巷をなし、民家多し、間の宿とす、 / ○
小県郡
田中
善光寺道名所図会
(○小県郡田中)
○
小県郡
田中 28中央 小諸へ2里半、8丁ほどがにぎやかな町通りで、民家が多くあります。 / ○
小県郡
田中
小県郡民謡集
(内容構成の特徴)
小県郡
民謡集
小県郡民謡集
(表現の特徴)
小県郡
民謡集
小県郡民謡集
(方言資料として)
小県郡
民謡集
小県郡民謡集
(目次)
小県郡
民謡集
小県郡民謡集
(児童謡)
小県郡
民謡集
小県郡民謡集
(成人謡)
小県郡
民謡集
明治2年 組合取極書
([解説])
解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇 明治2年の組合取極書が残されている斎藤家は、信濃国
小県郡
高梨村,高梨村は、組合取極書の末尾に記されている12カ村の中の一つであり、12カ村は
小県郡
内の幕府領でした。,のちに「中野県」を経て「長野県」となる伊那県は、
小県郡
の旧幕府領ほかを治めるため、旧中之条代官所を中之条局,
小県郡
内にあった旧幕府領12カ村は、現在の長和町と上田市腰越、西内、東内、生田の一部、長瀬にあたる地域,明治維新期には公務が多く、
小県郡
の鹿教湯温泉と埴科郡坂城町中之条の間を、徒歩で頻繁に通っています。
伊那県布令書
([解説])
[解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇 信濃国
小県郡
高梨村(上田市鹿教湯温泉の旧家)になぜ,このときから
小県郡
にあった旧幕府領の村は中之条局(坂城町)の管轄下に入ります。 ,なお、このとき中之条局を廃止し、埴科郡十四カ村、更級郡五カ村は中野県の直接支配とし、
小県郡
三十二カ村、,明治二年六月、高梨村を含む
小県郡
幕府領の村々では、『伊那県布令書』をうけ、連名で『組合取極書』をつくりました,その後、高梨村内のみの定めも文書にしていますので、明治維新期には、伊那県→
小県郡
内の村々→個々の村の順
パスファインダー
(幕末明治期における信州の寺子屋・私塾)
寺子屋の普及、 師匠 と寺子、学習生活、学習内容 1 書名
小県郡
史 餘篇 著者名,
小県郡
役所/編 出版社 小県時報局 出版年 1923 内容紹介 10章「教育,」に、
小県郡
下各町村の寺子屋・私塾の所在地、名称、学 科、開業年、 廃業年、男女生徒、教師氏名を表示。
パスファインダー
(菅平十ノ原硫黄鉱毒反対運動と八ヶ岳硫黄鉱毒反対運動)
小県郡
神 川村長時代に生じた菅平十ノ原硫黄鉱毒問題について詳述されてい る。,発行機関 年月日 2 見出し 発行機関 年月日 公文書 『昭和二十七年六月起 鉱毒対策事務関係綴
小県郡
長村外一市九,ヵ 村菅平鉱毒対策委員会』 『昭和二十七年九月起 現地河川調査関係綴
小県郡
長村外一市九ヵ 村菅平鉱毒対策委員会,』 『昭和二十八年 陳情関係重要書類
小県郡
長村外一市九ヵ村菅平鉱 毒対策委員会』など いずれも神川沿岸土地改良区所蔵
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([解説])
上田歴史研究会 阿部勇 上田地域の「戌の満水」については『原町問屋日記』『海野町問屋日記』『信濃国
小県郡
年表,さらに
小県郡
内の村々で書き留められた記録や、のちの世の聞き書きも残されており、現在でもその一部が発見されることがあります,(一七四二)の戌の満水の被害状況を『原町問屋日記』に書き留められた順番に『海野町問屋日記』と『信濃国
小県郡
年表,しかし、『東部町誌』では三三〇余人『
小県郡
史』では四三三人とまちまちです。
秀吉と真田
(家康の命令による上田築城の開始)
家康の命令による上田築城の開始 「秀吉と真田」の目次はこちら 天正十一年(一五八三)一月には、
小県郡
南部依田窪地方,これと連動してか、やはりその三月に昌幸は上杉方の最前線虚空蔵山(こくぞうさん)(
小県郡
・現上田市と埴科郡坂城町,この上田城の地は上田盆地のほぼ中央に位置しており、
小県郡
全域を支配するには絶好の地点でもあった。,(一五八三)閏正月二十九日 この年正月(一月)「武石・丸子・和田・大門・内村・長窪」など、つまり
小県郡
明治5年 議定書
([翻刻])
[翻刻] (表紙) 明治五年壬申六月 議定書
小県郡
高梨村 1 (本文)
パスファインダー
(柴崎虎五郎)
テーマ) 柴崎虎五郎 ねらい 明治中期の長野県教育、特に農村教育に力を注ぎ、最後は
小県郡
丸子,、製糸国、 機業国、機業講習会、染織講習会、信濃染織同志会、長野師範学校、 丸子、西陣、桐生、足利、
小県郡
丸子学校長,福沢諭吉、
小県郡
長中島精一、松井須磨子などの名も見える。
上田の早苗
([解説])
の商人で、学者としても知られた成沢寛経(百合舎主人、1797~1868)が、幕末期に上田を中心とする
小県郡
パスファインダー
(下村亀三郎)
工藤助三郎、小山貞夫、下村恵一、蚕種業、製糸業、依田社、グランド綾、 丸子村長、丸子町長、小県製糸組合長、
小県郡
郡会議員,
小県郡
史 餘編 小山眞夫
小県郡
郡役所 1923 産業の章で製糸関連では一人下村亀三郎が取り上げられ
パスファインダー
(依田社の製糸業)
トピック(テーマ) 依田社の製糸業 ねらい 生糸の横浜出荷量が全国で第4位になった
小県郡
旧丸子町,長野県史 近代資料編 第5巻 蚕糸業 長野県史刊行会/編 長野県 1980 「明治22年3月/
小県郡
上丸子村依田社社則,の質的変化 野原建一 /著 長野大学紀要 1989.5 10巻 4号 p1-10 信州及び
小県郡
善光寺道名所図会
(○筑摩 苅屋原)
七百貫文を領し、小笠原家にて一の大身なり、此辺十六ヶ 村を領し、武功の者なり、天文廿一年、武田の軍勢
小県郡
秀吉と真田
(家康の関東移封と真田昌幸・信幸)
天正十四年に秀吉の命で小笠原・木曽とともに家康に返されたはずの真田昌幸だけは、そのまま上田にとどまり引き続き
小県郡
一円,もっとも上州沼田領は昌幸の長男信幸が、父の上田領(
小県郡
)とは独立した形で支配を展開することになる。
信濃国諳射図記
([解説])
『信濃國村名尽』『國勢變革提要 全』『読法略解三字経』『信濃國
小縣郡
年表』などです。 ,尚志が没する明治十七年(一八八四)まで執筆を続けた『信濃國
小縣郡
年表』は、今でも歴史を研究する人々に利用
松代まちあるきマップ
(28功徳山 願行寺)
宗派/浄土宗、本尊/阿弥陀如来 願行寺は、その由緒書に、天文年中(一五三二~五五)、
小県郡
海野荘
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(若宮村)
千曲川/一ノ堤/二ノ堤/三ノ堤 渡・堰: 大堰/西沢/東沢/稲場沢 道路: 上山田村より
小県郡
秀吉と真田
(真田氏上田領・沼田領の石高)
しかし、この上田領つまり信濃国
小県郡
一円の石高は江戸時代初期以降は約六万五千石とされている。
扶桑之蚕6巻
([解説])
ここには質問コーナーがあり「小石丸と又昔の由来を問ふ」に対し、「右答・又昔は安永・・・小石丸は天保年間信州
小県郡
伊勢山村,本誌の最終記事「寄贈品」の項に「一 金三円
小県郡
丸子村 工藤善助君」が載っているように雑誌の発刊等にも,
小県郡
長瀬村の自龍館、更級郡から原縫殿三郎、塩尻村の藤本善右衛門、豊里村の久保田儀左衛門と蚕種屋(たねや
秀吉と真田
(真田昌幸、徳川と断交へ)
また、やはり同年には昌幸は、同じ
小県郡
室賀の領主室賀正武を謀殺している。
パスファインダー
(工藤善助)
4 書名 著者名 出版社 蚕種製造、蚕種販売、第五回内国勧業博覧会、丸子村戸長、丸子村村 長、
小県郡
会議員,信州地域史料アーカイブ 工藤善助 出版年 1980 内容紹介 「明治22年3月
小県郡
丸子村
明治2年 組合取極書
([翻刻])
[翻刻] 明治二己巳年 1 六月 組合取極書
小縣郡
上田案内
([解説])
〇学校 上田町立、
小県郡
立、長野県立、私立の八校が名を連ねている。,〇神社 「伊勢宮大神宮」内のかたわらに「
小県郡
神職合議所あり上田商業会議所は其一部を假用す」とある,〇付録の「上田町政一班及び
小県郡
統計概表」からは、明治四十年前後の町勢と郡勢がわかる。
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
て、松代城下の寺社を訪ねて屋代宿に進み、この宿の山王社の祭事を探訪し、下戸倉宿・坂木宿を経て鼠宿から
小県郡
善光寺道名所図会
(○筑摩 会田)
会田宿は、鎌倉時代に
小県郡
から進出してきた海野(うんの、会田)氏の城下町で、宿の北上段の殿村に居館を、
パスファインダー
(桜井常五郎)
資料リスト インターネット情報 桜井常五郎 慶応4年2月、「岩倉殿官軍嚮導隊」として
小県郡
和田村
明治2年 組合取極書
([現代訳])
[現代訳] 明治二 己巳年 六月 組合取極書
小県郡
高梨村
パスファインダー
(力士雷電(2))
キーワード 雷電為右衛門
小県郡
大石村 関半右衛門2 母けん 54勝10負 石尊 之辻 江戸相撲
パスファインダー
(上田藩世直し騒動)
小県郡
浦野組 入奈良本村 九郎右衛門 打ちこわし 焼き討ち 半プロレタリア-ト層 小農層 大庄屋 村役人
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([現代訳])
松本采女正知行所 人別300人の内 一 飢人数113人 7歳以下は除くと男62人、女51人 信州
小縣郡
松平采女正知行所金井村
パスファインダー
(金井正)
その一人として注視さ れるのが
小県郡
神川村国分生まれの金井正である。
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([翻刻])
一 飢人数百拾三人 外ニ七歳以下之分除之 男六拾弐人 女五拾壱人 右ハ信州
小縣郡
松平采女正
上田の早苗
([翻刻])
アリテ信州ノ麾下ニ命セラレ昌幸望ノ通リ諸家ヨリ人 夫ヲ出シ助成申ヘシトナリ、因之天正十二年甲申信州
小県郡
常田台,ハ必竟城郭修覆ノ罪ナリシト聞エタリ、] 一元和八年十二月、仙石兵部少輔忠政小諸城ヨリ上田城ニ転ス、
小県郡
村数八十五,邸主ノ名ヲ以テ坂ニモ名付シト伝フ、 (改頁) 国衙ハ
小県郡
,以テ始トス、則本郡ニ来リ 治メシモノナラン、 一郡令ノ事ハ他田舎人 続日本紀宝亀四年信濃国
小県郡
跡部,一条大納言家御領 ○常田庄 八条院御領 ○海野庄 殿下御領 ○岡田庄 八幡社領 一和名鈔四巻
小県郡
郷名
秀吉と真田
(東西に分かれた真田父子)
七月二十四日、家康は信幸の忠節を「奇特千万」と賞し(写真)、続いて二十七日には、
小県郡
(上田領)は親の,
小県郡
は親の領地であるから異議なく信幸に与える、その上どのようにも取り立ててやると約している。
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