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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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検索結果 : 132件
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小諸繁昌記 ([解説])

小諸繁昌記 / 第一章 小諸町沿革誌 第一節 緒言  浅間山と千曲川、この「秀美高潔の江山」に囲まれた地が信州小諸市街地,鎌倉時代以後、小諸を治めた領主を次々とあげ、武田氏が滅び織田の領地になったあと、小諸の城主は芦田右衛門佐信蕃,第三節 小諸町治班・諸統計表  明治四十一年十月十日発行の「長野県北佐久郡小諸町是 全」をもとにして,而して小諸が二者と並んで恥つかしからぬは抑も何なるか。即ち小諸の商業是なり」と。,昭和に至るまで、「小諸商人」、「商人の町小諸」といわれていた小諸を、明治後期に端的に述べています。
小諸大変書 ([解説])

小諸大変書 / による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)である,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,さらに、この絵図の裏には「小諸大変次第書」と題し、小諸町の被災状況と、復興のための幕府役人の見分の様子,被害を受けたかや、小諸藩からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
小諸洪水流失改帳 ([解説])

小諸洪水流失改帳 / による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)である,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,さらに、この絵図の裏には「小諸大変次第書」と題し、小諸町の被災状況と、復興のための幕府役人の見分の様子,被害を受けたかや、小諸藩からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

小諸町 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:小諸町(こもろまち,) 幕末から明治初期:与良町/荒町/本町/市町/与良松井村/小諸村/宇当坂村/手城塚村 幕末から明治初期,寺/養蓮寺/託応寺 学校: 明倫学校/修業学校/流形学校/仰思学校/化成学校 古跡・名勝: 小諸城墟,民業女: 農桑/(農間)座繰・製糸・縫織 その他特記ワード: 流死塚/無縁塚/明治9年合併して小諸町,となる 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌/北佐久郡誌 / 小諸町
パスファインダー (北国街道小諸宿)

北国街道小諸宿 トピック(テーマ) 北国街道小諸宿 ねらい 城下町でもあり,宿場町でもあった小諸町の歴史を探る。, 歴史編(三)近世史 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 1991.12 内容紹介,の大井隆男の講演記録「小諸商工業史」を収録 内容紹介 する。,雑誌 1 論題名 歴史的町並み保存の今(第4回)小諸宿 市町・本町および小諸城周辺 インターネット / 北国街道小諸宿
『小諸義塾と木村熊二先生』 ([解説])

『小諸義塾と木村熊二先生』 / 木村熊二の小諸義塾時代の教え子たちが中心となり、木村の記念碑を建設した際に、小諸義塾と木村の記念に発行,ちなみに木村の記念碑は、小諸市懐古園の三の門を入った少し先、真正面の石垣に設置された。,小諸義塾は、小諸町(現小諸市)の青年たちの要請を受け、木村熊二が中心となって明治26(1893)年に設立,から要請され、翌年に小諸義塾を開塾する。,小諸市には、小諸義塾記念館・藤村記念館・水明楼(木村旧宅)などあり、往時をしのぶことができる。
パスファインダー (小諸時代の島崎藤村)

小諸時代の島崎藤村 トピック(テーマ) 小諸時代の島崎藤村 ねらい キーワード,知るための ツール 資料リスト 雑誌 詩人・小説家の島崎藤村は1899年から1905年まで小諸,藤村は小諸でどのような活動をしていたのか調べる。,出版年 小諸市誌 近・現代篇 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 2003.7.,小諸時代のことも詳しく記されてい る。 / 小諸時代の島崎藤村
パスファインダー (小諸義塾の設立とその後)

小諸義塾の設立とその後 トピック(テーマ) 小諸義塾の設立とその後 ねらい キーワード,木村熊二、島崎藤村、丸山晩霞、小山太郎、小諸町、井出静、鮫島晋、 私立学校 1 書名 小諸市誌,/編 小諸市教育委員会 2003.7 第7編第1章第2節2の「小諸義塾の創立と終焉」ほか、教育・文化等,小諸義塾と木村熊二先生 小山周次/編 大空社 1996.1 小諸義塾の卒業生がまとめた小諸義塾と,小諸義塾の研究:創立者木村熊二について 高塚暁/著 三一書房 1989.1 小諸義塾の創立者木村熊二 / 小諸義塾の設立とその後
パスファインダー (小諸小学校浅間山研究会)

小諸小学校浅間山研究会 トピック(テーマ) 小諸小学校浅間山研究会 ねらい,2 書名 著者名 発行者 出版年 小諸学校沿革誌 小諸学校沿革誌編集専門委員会/編 小諸学校跡建碑,1910 内容紹介 小諸小学校浅間山研究会がその成果をまとめた本である。,2 書名 著者名 出版社 出版年 浅間山と千曲川と小諸 林勇/著 竹沢書店 1968 小諸小学校全校職員,梅花教育の歩み 小諸市立芦原中学校十周年記念誌編集委員会/編 小諸市立芦原中学校 1969 / 小諸小学校浅間山研究会
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) / による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)である,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,さらに、この絵図の裏には「小諸大変次第書」と題し、小諸町の被災状況と、復興のための幕府役人の見分の様子,被害を受けたかや、小諸藩からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) / による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)である,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,さらに、この絵図の裏には「小諸大変次第書」と題し、小諸町の被災状況と、復興のための幕府役人の見分の様子,被害を受けたかや、小諸藩からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

○佐久郡小諸 29右    追分宿へは3里半、牧野侯の居城です。,ここから18丁脇に諸村があり、小諸の名称はこの村から出たといわれます。,小諸城下から布引観音(注2)まで1里あまりです。,小諸から1里10丁ですが、山深い所です。    布引から小諸に帰って北国脇往還を行きます。,(注2)小諸市大久保。御牧ヶ原北端の断崖にあります。 / ○佐久郡小諸
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

○佐久郡小諸 29右   追分宿へ三里半、牧野候居城、[乙女が城といふ、] 城下の町凡弐十五六丁相対,し   て巷をなし、猶小路多く、家数千余、是より十八丁脇に諸村といふあり、 其村より出し小諸なり、,に、坂路嶮しく、往来の人稀なり、たま/\樵父に道を尋て漸く布引山に到 る、佐久郡滋野庄御牧郷也、小諸,より一里十丁なれ共深山なり、        (略)          32右   是より小諸,村々何れも四五丁づゝ相対して憩所あり、 三ッ屋村に石標有り、[浅間別当真楽寺へ廿五丁、星の宮へ十丁、小諸 / ○佐久郡小諸
小諸洪水流失改帳 ([現代訳])

小諸洪水流失改帳 / [現代訳] 「寛保二壬戌年八月朔日」   与良右兵衛筆記   『小諸洪水流失改帳の写』         
パスファインダー (軽井沢・小諸の文学(2))

軽井沢・小諸の文学(2) トピック(テーマ) 軽井沢・小諸の文学(2) ねらい,軽沢・小諸地域について代 表的な文学作品について調べる。,堀辰雄 美しい村 ふるさとびと 立原道造 萱草 に寄す 室生犀星 信濃の歌 残雪 木漏日 児玉花外 小諸節,6 書名 虚子 小諸疎開を迎えた人々【パート1・2・3・4・5】 著者名 市立高浜虚子記念館,特集-信州の町-「軽井沢」 地域文化 2015 第114号 ―信州の町― 小諸 地域文化 2015 / 軽井沢・小諸の文学(2)
パスファインダー (軽井沢・小諸の文学(1))

軽井沢・小諸の文学(1) トピック(テーマ) 軽井沢・小諸の文学(1) ねらい,軽沢・小諸地域について代 表的な文学作品について調べる。,堀辰雄 美しい村 ふるさとびと 立原道造 萱草 に寄す 室生犀星 信濃の歌 残雪 木漏日 児玉花外 小諸節,1/2 信州地域史料アーカイブ 軽井沢・小諸の文学(1) 5 書名 著者名 出版社,山室静/著 出版社 東海大学出版会 出版年 1969 内容紹介 山室静は敗戦後、小諸 / 軽井沢・小諸の文学(1)
パスファインダー (小諸市三岡地区の桃栽培の始まり)

小諸市三岡地区の桃栽培の始まり トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト インターネット情報 新聞 小諸市三岡地区の桃栽培の始まり 小諸市の三岡地区,木村熊二、塩川伊一郎、塩川勝太、三岡、缶詰、ジャム 1 書名 小諸市誌 近現代篇 著者名,出版社 出版年 内容紹介 1 書名 著者名 出版社 出版年 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会,塩川伊一郎評伝:浅間山麓の先覚者 小林收/編著 龍鳳書房 1996.3 小諸義塾長木村熊二の指導 / 小諸市三岡地区の桃栽培の始まり
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

小諸洪水流失改帳 / 翻刻] (改頁)      1    「寛保二壬戌年八月朔日」   与良右兵衛筆記   『小諸洪水流失改帳
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) / [現代訳] 小諸大変次第書 小諸城主が牧野内膳正様の時代のことです。,越後国与板藩主であった大殿様(祖父)の牧野周防守様が、元禄十六年九月に小諸藩主となってから四十二年目の,弁当は銘々持ちで、小諸藩よりのご馳走は受けませんでした。  ,二十日の晩から小諸へ泊まりました。,本間善太夫様のお見舞いに小諸藩から臼田へ使者が派遣されました。
パスファインダー (「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害)

「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要,を知るための ツール 雑誌 インターネット情報 「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害,戌の満水 寛保2年 洪水 8月1日(八朔) 千曲川 小諸 松井川 中沢川 本町 六供 田町 浅間山麓,://misuzu-mokuji.net/ 1/2 「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸 / 「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) / [翻刻] 2      小諸大変次第書 爾時城主牧野内膳正様御代也 大殿様牧野周防守様越後国与板,御帰被成、廿日ニ御出、御家中押流之前書之場逐々(一カ)御見分、御城迄御入寸間御縄張等被成、廿日之晩より小諸,与良大橋御覧、塩野村へ御出、馬瀬口村迄御覧、廿三日ニ平原村より御始、当町繰矢川通甲州海道橋迄御覧、御昼休ニ小諸江,御出、大簗通御覧御帰被成候、右之節吉田久左衛門様藤吉被召呼被仰候ハ、  此度我等共当国へ登候儀、信州小諸大変,川西村々御見分被成、廿八日之晩吉田久左衛門様ニ者桜井村ニ御泊り、大沢式部様・佐藤善太夫様布下ニ御泊り、小諸
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)である,小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,さらに、この絵図の裏には「小諸大変次第書」と題し、小諸町の被災状況と、復興のための幕府役人の見分の様子,被害を受けたかや、小諸藩からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
パスファインダー (純水館)

キーワード 酢久 小諸藩御用達 高橋平四郎 澁澤榮一 小山久左衛門  大里村 諸  茅ケ崎 小山房全,純水館ものがたり 純水館研究会 櫟出版 2007 江戸後期から佐久地域の経済の中心地であった小諸,2 書名 著者名 出版社 出版年 小諸繁昌記 永井與三郎 小諸活版所 1905 資料リスト,内容紹介 明治中期の小諸を概観しつつ小諸商人の活躍を「商家案内」を通して浮 き彫りにしている,小諸市誌 近・現代篇 著者名 小諸市誌編纂委員会 出版社 小諸市 出版年 2003
パスファインダー (佐藤寅太郎)

キーワード 小諸尋常高等小学校 小諸小学校 小諸商工学校 岩村中学校 岩村田高等 女学校 浅間山研究会,小諸小学校長時代は、職員による浅間山研究を行った。,信美堂印刷 1983 内容紹介 明治33年小諸尋常高等小学校長だった佐藤寅太郎は、小諸実業補習学校,の 兼務校長になり、39年に小諸商工学校を新設した。,林勇 小諸教育五十年史刊行会 1958.8 内容紹介 第五編「佐藤校長時代の小諸教育」で
パスファインダー (牧野康哉)

牧野康哉 トピック(テーマ) 牧野康哉 ねらい 小諸藩主として、幕末に活躍,キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 小諸藩 天然痘, 歴史篇(三) 近世史 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 1991.12 「小諸領主の治世,その中で 12ページほど小諸領主牧野家9代目として31年間にわたった治世を紹 内容紹介 介する。,5 書名 著者名 出版社 出版年 小諸藩(シリーズ藩物語) 塩川友衛/著 現代書館 2007.8
浅間焼覚帳 ([解説])

[解説] [目録] 小諸市古文書調査室 斉藤洋一  本書「浅間焼覚帳」は、小諸市立火山博物館(現小諸市立郷土博物館,本書の著者は、表紙に「小諸与良町 与良与兵衛」と記されていることから、与良町に住んでいた与良兵衛と分かるが,ちなみに与良町は、市町・本町とともに、小諸三町と称される、小諸藩の城下町を構成する町である。,また、『与良区誌』(一九六九年)によれば、著者と同姓同名の与良与兵衛という人が明治二四年に小諸町の町会議員,また、当然といえば当然だが、小諸のことがくわしく記されていることも、本書の特徴といえよう。  
浅間山 (第十一編 拾遺雑編)

第十一編 拾遺雑編 第一 小諸藩日記  牧野氏が所有している天明三年の日記の抜粋です。,天明の大噴火と、それにともなう小諸藩の対応などがわかる第一次資料として貴重な日記です。  ,第二 黒酒の垂糟  小諸町の山田辨道が著した『浅間神社考』の補遺です。  ,広告の一つ一つが、明治後期の小諸地域と商業の様子を知ることのできる貴重な資料であるといえます。
パスファインダー (小山敬三)

キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 小諸,内容紹介 多くの人が気軽に鑑賞できるようにと企画された小山敬三の絵画集 3 書名 小諸市誌, 近・現代篇 著者名 出版社 出版年 小諸市誌編纂委員会 小諸市 2003 内容紹介,小山敬三に関連する多くの図書、記事論文などを探すことができる 新聞 1 見出し 小諸,発行機関 信濃毎日新聞  朝刊21ページ 年月日 1995.10.17 2 見出し 小諸
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (滝原村)

滝原村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:滝原村(たきはらむら,/原/広原 山: 高峯山/横笹山 川: 深沢川 渡・堰: 湯之丸堰/深沢堰 道路: 小諸道,/小諸への道 社: 諏訪社・浅間社合殿/琴比羅社/稲荷社 学校: 竜(滝カ)原学校 古跡・名勝,史料ID:2-1 12-42 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
浅間焼覚帳 ([現代訳])

このため小諸藩牧野遠江守様の番頭・奉行・代官・大目付・足軽をはじめとする役人たちが、小諸藩の城下町への,しかし、騒動勢は小諸町では何もせず小諸町を通り抜けた。,小諸町の西側の小諸藩領の菱野村・布下村へ行き、二、三軒打ちつぶした。  ,現在の小諸藩主である牧野氏が、小諸藩主となった経過。  ,元禄一五年(一七〇二)午年に小諸藩主となり、小諸へやってきた。  
パスファインダー (鳥居義処)

鳥居義処 トピック(テーマ) 鳥居義処 ねらい 旧小諸藩士で後に北佐久郡長,キーワード 北佐久郡長 小諸藩 御牧ケ原 軽井沢 牧野康民 雨宮敬次郎 落葉 松 概要を知,小諸藩主の命により御牧ケ原の開墾に着手。,北佐久郡志編纂会/編 北佐久郡志編纂会 1957.3 第一章「明治維新と佐久」の「開拓事業」で小諸藩,資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 鳥居義処 ー小諸藩騒動と御牧原ー 竹重茂/著
パスファインダー (御牧ケ原大運動会)

望月町誌 第五巻 近現代編 望月町誌編纂委員会/編 望月町 1999.7 内容紹介 小諸小学校長佐藤寅太郎,2 書名 著者名 出版社 出版年 小諸市誌 近現代篇 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会,2003.7 日露戦争の勝利に貢献した東郷平八郎らが小諸に来て、それを小諸小 内容紹介 学校校長佐藤寅太郎,5 書名 著者名 出版社 出版年 梅花教育の歩み 小諸市立芦原中学校十周年記念誌編集委員会/編,小諸市立芦原中学校 1969 明治39年5月27日北佐久郡各種学校連合運動会に加わり、毎年の行事
パスファインダー (御代田町塩野のカラマツ人工林)

概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 天然カラマツ、人工カラマツ、小諸藩,22p 大井隆男著「カラマツ造林史漫歩-拙い研究遍歴-」に小諸藩の植林 に関する記載がある。, 歴史篇(三) 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 1991.12 第四章第一節四山林経営に、,名君小諸城主牧野康哉公[ちから新聞第二百一号付録] 星野喆之助/編 ちから新聞社 1935.10.25,市立小諸図 書館で閲覧できる。
浅間山 (第八編 浅間登山)

浅間山登山会の項には小諸町有力者のもの、小諸尋常高等小学校職員児童一同の大登山会などがあるとし、その活動,次に登山道が示され「小諸口」が本道だとし、道順をくわしく記しています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (森山村)

森山村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:森山村(もりやまむら,(源は大沼池)/前原沼/天神前沼 橋: 釜神橋/旧土橋/新家橋 道路: 甲州街道/塩名田より小諸道,史料ID:2-1 12-29 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (諸村)

諸村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:諸村(もろむら),堺田/並木 山: 飯縄(いいづな)山/高峯山/横笹山 川: 栃木川/花川 道路: 隣村道/小諸,史料ID:2-1 12-39 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (耳取村)

耳取村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:耳取村(みみとりむら,: 大池/八反田池 橋: 新橋/宮下橋/柳沢橋/矢田沢橋/新田橋/飛石橋/皿掛橋 道路: 小諸街道,史料ID:2-1 12-27 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (柏木村)

柏木村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:柏木村(かしわぎむら,/出間 川: 乙女沢川 渡・堰: 水出堰/赤谷堰/出間清水堰 道路: 北国道/上州支道/小諸往還,史料ID:2-1 12-36 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
パスファインダー (高橋くら子)

子 トピック(テーマ) 高橋くら子 ねらい 高橋くら子(本名くらの)は、町立小諸実科高等女学校在学中,の1924 年、小諸町で開催された長野県水平社創立大会に参加し、以後活動家 として活躍します。,キーワード 長野県水平社、水平社、婦人水平社、被差別部落、部落差別、小諸町、 朝倉重吉、高砂座、,小諸市誌 近・現代篇 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 2003.7.1 資料リスト
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (八満村)

八満村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:八満村(はちまんむら,古牧/牧留/大石/藤塚 渡・堰: 用水大堰(真楽寺境内湧泉を分派)/水出堰/田用水 道路: 小諸往還,史料ID:2-1 12-38 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
パスファインダー (小山久左衛門)

キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 江戸時代、小諸藩,資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 小諸繁昌記 永井與三郎  永井與三郎/著,1963 小諸を「商業の町」「製糸の町」として街の繁盛ぶりを記している。,「純水館」に関連する図書、記事論文などを探すことができる 新聞 1 見出し 初代小諸藩主,られた時代合致  発行機関 信濃毎日新聞 朝刊23ページ 年月日 2020.8.26 2 見出し 小諸
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (市田村)

市田村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:市田村(いちだむら,溜池用水/立久保用水/常木用水/濁堰用水/池上ノ池 橋: 立久保橋 道路: 岩村田町に起こり小諸町,史料ID:2-1 12-28 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (山浦村)

山浦村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:山浦村(やまうらむら,赤石/丸山/雁又/中田/白山/白山前/切堤脇 川: 千曲川 橋: 新橋/戻リ橋 道路: 小諸町,史料ID:2-1 12-43 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
パスファインダー (1600年代における佐久地方の新田開発)

小諸市誌 歴史篇3 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 1991.12 第2章第4章に御影新田開発,御影 用水・新田・陣屋 柏木易之櫟/編 柏木易之 2006.1 小諸市御影新田の用水・新田開発・陣屋の
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (西原村)

西原村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:西原村(にしはらむら,史料ID:2-1 12-41 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
浅間焼覚帳 ([翻刻])

[翻刻] (表紙)      1 「天明三年   小諸与良(よら)町   浅間焼覚帳  癸卯ノ,平之方迄石ふり申候、  其中ニ大石もヲヒタヽシクフリ、 一湯平ノ方迄石落候事、大石おびたゝしき  小諸江見,綿屋・  油や・替(両脱カ)屋、其外よき見セ分ハ不残打つふし申候、江戸ニ而  百文ニ付白米三合、小諸,はいり申候、然共小諸ハ何  之事なく通り申候、小諸通りぬけ、西御領  菱野村・布下村罷出、二、三間,ニ而日影通り  物(者)三人、小諸中町又兵衛、都合四人籠しや  被仰付候、それより段々御味三被遊候
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (和田村)

和田村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:和田村(わだむら,史料ID:2-1 17 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
天明三年浅間騒動記 ([解説])

天明三年浅間騒動記 [目録] 小諸市古文書調査室 市川包雄 天明3年(1783)の浅間山の噴火は,佐久の各地を回った騒動勢は、小諸城下を目指した。,しかし藩主牧野遠江守(康満)は、それを許さず、結果小諸では炊き出しをして、騒動勢を通過させた。,家老の評議で、年長の木村新助が小諸と同様に炊き出しをして通過させることを主張したが、師岡嘉兵衛の意見で
善光寺道名所図会 (○小県郡田中)

○小県郡田中 28中央    小諸へ2里半、8丁ほどがにぎやかな町通りで、民家が多くあります。,西原村を越えると小諸の城下になります。  ,(注2)現在は小諸市と東御市の境です。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (加増村)

加増村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:加増村(かますむら,史料ID:2-1 12-37 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 小諸市誌
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