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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (鳥居義処)

鳥居義処 トピック(テーマ) 鳥居義処 ねらい 旧小諸藩士で後に北佐久郡長,キーワード 北佐久郡長 小諸藩 御牧ケ原 軽井沢 牧野康民 雨宮敬次郎 落葉 松 概要を知,小諸藩主の命により御牧ケ原の開墾に着手。,北佐久郡志編纂会/編 北佐久郡志編纂会 1957.3 第一章「明治維新と佐久」の「開拓事業」で小諸藩,資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 鳥居義処 ー小諸藩騒動と御牧原ー 竹重茂/著
パスファインダー (牧野康哉)

牧野康哉 トピック(テーマ) 牧野康哉 ねらい 小諸藩主として、幕末に活躍,キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 小諸藩 天然痘,長野県歴史人物大事典 赤羽篤[ほか]/編 郷土出版社 1989.7 笠松藩主の次男として生まれ、小諸藩主牧野康命,序章 小松芳郎/監修 郷土出版社 2008.11 人物伝の中の一人として「わが子に種痘を試みた小諸藩主,5 書名 著者名 出版社 出版年 小諸藩(シリーズ藩物語) 塩川友衛/著 現代書館 2007.8
浅間山 (第十一編 拾遺雑編)

第十一編 拾遺雑編 第一 小諸藩日記  牧野氏が所有している天明三年の日記の抜粋です。,天明の大噴火と、それにともなう小諸藩の対応などがわかる第一次資料として貴重な日記です。  
小諸洪水流失改帳 ([解説])

小諸市古文書調査室 斉藤洋一  千曲川流域において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩,からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,なお、このうしろに小諸藩領全体の流家・流死・流馬のことも記されている。,それによれば、小諸藩領全体では流家三七三軒、流死五八四人、流馬二三疋であった。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

小諸市古文書調査室 斉藤洋一  千曲川流域において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩,からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,なお、このうしろに小諸藩領全体の流家・流死・流馬のことも記されている。,それによれば、小諸藩領全体では流家三七三軒、流死五八四人、流馬二三疋であった。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
小諸大変書 ([解説])

小諸市古文書調査室 斉藤洋一  千曲川流域において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩,からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,なお、このうしろに小諸藩領全体の流家・流死・流馬のことも記されている。,それによれば、小諸藩領全体では流家三七三軒、流死五八四人、流馬二三疋であった。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

小諸市古文書調査室 斉藤洋一  千曲川流域において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩,からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,なお、このうしろに小諸藩領全体の流家・流死・流馬のことも記されている。,それによれば、小諸藩領全体では流家三七三軒、流死五八四人、流馬二三疋であった。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

小諸市古文書調査室 斉藤洋一  千曲川流域において、一地域単位で「戌の満水」による最も大きな被害を受けたのは、小諸藩,からの幕府への報告、小諸藩領内の被害状況などがくわしく書き記されている。,なお、このうしろに小諸藩領全体の流家・流死・流馬のことも記されている。,それによれば、小諸藩領全体では流家三七三軒、流死五八四人、流馬二三疋であった。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に浅間山の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
浅間焼覚帳 ([解説])

ちなみに与良町は、市町・本町とともに、小諸三町と称される、小諸藩の城下町を構成する町である。,このほか、天明七年までに諸国で起こった大きな事件、たとえば天明七年の江戸の打ちこわしなどや、歴代の小諸藩主,となって「与良大橋」が架橋されているからである(八満村〈はちまんむら〉と八幡宿〈やわたじゅく〉は、ともに小諸藩領
浅間焼覚帳 ([現代訳])

このため小諸藩牧野遠江守様の番頭・奉行・代官・大目付・足軽をはじめとする役人たちが、小諸藩の城下町への,小諸町の西側の小諸藩領の菱野村・布下村へ行き、二、三軒打ちつぶした。  ,その後も捕り物が続き、小諸藩では日影通りを通った三人と中町又兵衛、合わせて四人を捕らえ、牢に入れた。,現在の小諸藩主である牧野氏が、小諸藩主となった経過。  ,元禄一五年(一七〇二)午年に小諸藩主となり、小諸へやってきた。  
パスファインダー (御代田町塩野のカラマツ人工林)

概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 天然カラマツ、人工カラマツ、小諸藩,22p 大井隆男著「カラマツ造林史漫歩-拙い研究遍歴-」に小諸藩の植林 に関する記載がある。,内容紹介 第二編歴史篇第八章徳川時代第四項勧業に、御用林についてふられ ている「安政四年小諸藩御用部屋日記
パスファインダー (小山久左衛門)

キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 江戸時代、小諸藩,「純水館」に関連する図書、記事論文などを探すことができる 新聞 1 見出し 初代小諸藩主
パスファインダー (北国街道小諸宿)

2 書名 著者名 出版社 出版年 江戸時代の小諸藩 資料で見る郷の歴史 塩川友衛/編 塩川友衛 ,3 書名 著者名 出版社 出版年 高原の城下町 小諸藩歴史散歩 飯塚道重/著 櫟 1998.4
パスファインダー (東信地方の薬用人参(朝鮮人参)栽培)

朝鮮人参 御種人参 朝鮮種人参 徳川吉宗 人参栽培 ぬ かご人参 五郎兵衛新田 志賀村 神津孝太郎 小諸藩
パスファインダー (純水館)

キーワード 酢久 小諸藩御用達 高橋平四郎 澁澤榮一 小山久左衛門  大里村 諸  茅ケ崎 小山房全
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([解説])

望月宿は戸時代を通じて小諸藩領である。  
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([解説])

望月宿は戸時代を通じて小諸藩領である。  
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書 ([解説])

望月宿は戸時代を通じて小諸藩領である。  
寛保三年三月復旧方懇願書 ([解説])

望月宿は戸時代を通じて小諸藩領である。  
パスファインダー (信州の藩学(藩校))

飯田藩・飯山藩・岩村田藩・上田藩・小諸藩・須坂 藩・諏訪藩・高遠藩・田野口藩・松代藩・松本藩の藩校が取
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

越後国与板藩主であった大殿様(祖父)の牧野周防守様が、元禄十六年九月に小諸藩主となってから四十二年目の,弁当は銘々持ちで、小諸藩よりのご馳走は受けませんでした。  ,小諸藩からは奉行の成瀬番左衛門様、代官の山本次右衛門様、下目付の黒沢権右衛門殿がおいでになりました。,本間善太夫様のお見舞いに小諸藩から臼田へ使者が派遣されました。
違作書留帳 ([現代訳])

松本様の江戸御上屋敷御類焼、御隣屋敷の松平伯耆様より出火、 四月十二日、桑山村(くわやまむら、佐久郡、小諸藩領
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

後に小諸藩槍指南役     小河直行の養子となり小川姓となった。     
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

玉座の床には掛物せざるが礼なりとて何も掛けざりしが、次の十畳間には小諸藩主牧野氏が四代将車より賜はりたるを
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