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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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信州善光寺御堂額之写 ([翻刻])

「尾州田中村   与左衛門」   (上段)   尾州田中村与右衛門、四人つれにて善光寺へ  ,権堂村田町   九月十六日未明    宮下勝右衛門  御導師の図」   (上段)   「尾州中島郡
信州善光寺御堂額之写 ([現代訳])

(絵)「尾州田中村与右衛門」   尾州田中村与右衛門が、4人連れで善光寺へ参詣して、帰る途中、木曽の,(絵)「天保三壬辰九月十六日未明 御導師の図 権堂村田町 宮下笹右衛門」      (杖の絵)「尾州中島郡
宿継要書留 ([翻刻])

筑摩郡松本町商人与同国伊那 海道拾六ケ宿問屋継馬諍論 事、中馬之者申趣伊那海道諸 色商荷物、従古来尾州,出所より之作物与申之、松本売買 之荷物付通り候ニ付去春訴候処、 次荷物証文之通宿次ニ致候故、 尾州,売出候義無之由口書さ し出シ之、其上松本町ニ而売出し荷 物為宿次由宿問屋是又随申 之、右荷物拾六宿之者買出尾州,哉之段被聞奉承知候     (改頁)     此儀飯田町ニハ中馬稼仕候者無  御座候得共、尾州,売買仕候者     (改頁)   有之候与申義者不奉存候得共、左様之義 仕候者有之候而者、尾州
宿継要書留 ([現代訳])

中馬の者が言うことは、伊那街道のいろいろな商い荷物は、昔から尾州・三州・松本へ通し馬で通行してきた。,継荷物証文の通リ宿継にするため、尾州・三州より七品の荷物の内、付通した900駄程を差し押さえた。,むかしより三州・尾州へ山越で馬を追い、塩荷あるいは魚等付けて来ました。,私たち町方だけでなく、尾州・三州・遠州までが衰微します。,松本町商人たちは近在より付出 された荷物を買い請け、尾州・三州そのほかへ売送りをした。
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

 連々御当地繁昌ニ付、或者弐駄追ニ茂三駄追ニ茂罷成付  来申候、此出所之義者参州吉田専一と致付参、尾州名古,大公事有之荒増書留也 一御城下町塩并肴之儀者、古来より十三町市廻ニ仕来候、市場  申合定書等有之、尾州,其外へ  おろし候儀者一切無御座候、肴之儀者十三町之者共相対ニ  ておろし売買仕候 一誰によらず尾州,・にんじん・うと・梅   干葡萄・ねぎ・千切大根・尾張大根・鳥魚類     (改頁)     尾州三州遠州,而買分仕来候、右  品々者 御領分往還筋ニ而荷替等之義迄も不相成古法御座候  処、近来在方之者共心得違仕、尾州
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

尾州名古屋からも付けて来た。このことから塩に準じて市を廻した。運上銭1駄について24文とってきた。,尾州・三州から来る荷物は、むかしから13町の中で自由に商売することができた。,魚については13町の者たちと一緒に卸し売買すること 一誰によらず尾州・三州より来た塩・魚の荷物は、荷主,・生姜・楪や、そのほかいも類・牛蒡・にんじん・うと・梅・干葡萄・ねぎ・千切大根・尾張大根・鳥魚類は、尾州,このごろ村方の者たちは心得違をし、尾州・三州・飛州そのほか魚ならびに柑類など出所元へ出かけて、買ってきて
秀吉と真田 (三成ほか西軍諸将よりの書状)

一拙者儀、先づ尾州表へ岐阜中納言殿(織田秀信)申し談じ、人数出し候。
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「年内諸事控日記 小沢和徳(注1) 慶応四戊辰年正月吉日」)

り不申候 定而拝みニ参り候哉   (○中略)   松島御陣屋太田様之御領五ヶ村之惣百 姓尾州様之御百姓
信濃奇談 (信濃奇談 下)

寛永中に尾州の有司上の命を請て山廻りし時に、絶頂にて駒の雲に登りしを見たりと、新著聞集に出たり。
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)

おじや辺江引取居東方勢強ク奥羽両 国一円ニ背キ候趣依之北陸道ヲ大軍ニ而 仁和寺宮様東将軍ニ而御進発尾州
違作書留帳 ([翻刻])

俗名よね七十七歳     (改頁)   十月十七日 前書ニ有之 助郷村血判、にへ川宿へ 尾州,78   四月十七日江戸飛脚帰ル 右飛脚両人   神林町 国之助   神戸村 又 蔵 是ハ尾州様御通行
義烈百人一首 ([翻刻])

のぼればくだる 世をぞ思ひて 【頭注】 斯波治部太輔義銀は足利尾張守高経の末にて、父は吉統といひて尾州清須,住時、時雨左之助と号し、加藤喜明に仕へ千石を領し、戦功ありしが、爰も浪人して金吾秀秋につかへ秀秋卒後、尾州,とくぜんゐんげんいほういん) 常にこそ 曇もいとへ 今宵ぞと 思ふは月の ひかりなりけり 【頭注】 玄以法印は尾州
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)

本家小左衛門ニ男女子供六人あり  惣領ハ鉄之助成長して小野序助上町綿屋江養子ニ行  二男ハ小源治幼年より尾州名古屋江医学,相成申候 コノ頃ハ  毎春二三四月ハ善光寺参詣人諸国より老若男女夥(おびただ)シク且京 大坂  尾州
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

ハ堂上方の姫君にて、善光寺上人と称  す、日本三上人の其一なり、[日本三上人といふハ、善光寺上人、尾州勢
違作書留帳 ([現代訳])

麟長姉、俗名よね七十七歳、     (改頁)   十月十七日 前に書いた助郷村の血判は、贄川宿へ尾州,  (改頁)   四月十七日 江戸飛脚が帰る、この飛脚二人は、神林町の国之助と神戸村の又蔵、これは尾州様
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([翻刻])

今日御届申上侯処、  右者六ヶ月建札いたし  相尋候者無之候ハゝ、其段申  出候様、御達し候、 一庄内村へ尾州領之者参候
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([現代訳])

、これは六か月のあいだ建札をして尋る者がいなかったので、その旨を申し出たと御達した、 一、庄内村へ尾州領
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