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寛保二壬戌歳満水記
([現代訳])
、 仁禮村 一流家50軒 男1人流死、諸所道が抜け50間破損、
山抜
により田地も損なわれた、,、内7軒
山抜
により埋まった、田畑残らず砂入、 仙仁村 一山沢押出し、家11軒流、内[寺1軒 ,あり、 青池村 一
山抜
覆り田畑
山抜
砂入、 広瀬村 一用水堰道橋諸所抜落、田畑
山抜
諸所,28ヶ所、寺尾ヨリ
山抜
9ヶ所 大熊村 一600余居村通
山抜
、水押出し、山手より沢崎迄砂水で道押崩,、田畑押流砂入、 埋牧村 一田畑
山抜
水押出、
山抜
石砂入、 馬曲村 一田畑
山抜
川欠石砂入
寛保二壬戌歳満水記
([翻刻])
、内七軒
山抜
埋申侯、田畑不残砂入、 仙仁村 一山沢押出、家拾壱軒流、内[寺壱軒 袮宜家一軒],、 (改頁) 12 青池村 一
山抜
クツカヘリ田畑
山抜
砂入、,ヶ所、寺尾ヨリ
山抜
九ヶ所 大熊村 一六百間余居村通
山抜
、水押出、山手ヨリ沢崎迄砂水二て道押崩,
山抜
石砂入、 馬曲村 一田畑
山抜
川欠石砂入、諸所多、 夏和村 一鬼無里ヨリ新町道拾五間抜落,小根山村 一田畑諸所
山抜
欠、西堰東堰道橋諸所損、 奈良井村 一家四軒
山抜
、田畑砂入、道橋諸所損
むしくら日記
(4巻 貞)
水上之儀ハ是か為ニ通路差支候付、 早速切開方申付候へ共、右鹿谷村之内岩下組 分地字大ばん之
山抜
崩,、 川下村々何様之変地出来可申哉難計、加之、右川筋 山合より押出口水内郡小市村之上字真神
山抜
崩,松平肥後守内 (改頁) 未五月 鈴木左兵衛 此中津川
山抜
,知候者も有之、一統御手充ハ夲潰へ金壱分ツヽ、半潰ヘ一朱之割 ニて被下候由、右之内吉村与申村方ハ
山抜
押埋,よりは五丈余も相湛居、川添村々地窪之場所 は、居家耕地共水中ニ相成居、其上右川筋所々 之
山抜
寛保二戌年満水御届書
([翻刻])
土手押流損 壱万四百八拾間余 一、道損 三万千六百四拾間余 一、大小橋流 百九拾七箇所 一、
山抜
寛保二壬戌歳満水記
([解説])
山抜
け988ヶ所。流木9,218本。
寛保二戌年満水御届書
([解説])
山抜
け988ヶ所。流失家屋1,733軒、潰家857軒。流死1,220人、流死馬51匹。
寛保二戌年満水御届書
([現代訳])
一、道が損なわれた場所 3万1,640間余 一、大小橋が流された箇所 197ヶ所 一、
山抜
善光寺道名所図会
(○小県郡田中)
、田中を出放れて、左に摺 (改頁) 臼宮とて一村の木立茂りてあり、往昔洪水にて
山抜
人里
地震後世俗語之種
([翻刻])
大地震発して彼の岩倉
山抜
崩 (改頁) れ、犀川の大河を止む。,やうすもわかりけるハ、岩倉山を (改頁) 始とし、数ヶ所の岩
山抜
崩,○山中岩倉
山抜
崩れし場所へは郡御奉行 [礒田音門、未年迄御預所町御奉行兼帯、御屋鋪殿町]諸役人を引連,○御領分村々多しといへとも地・水・火の三災をまぬ かれす、或は
山抜
崩れ、民家を押埋、田畑を損ふ &,乍去御城より彼の岩倉
山抜
崩れし場所まては (改頁) 31
むしくら日記
(1巻 元)
(改頁) とく迎人出サんと同心銕治と喜兵衛とをゑらび出ぬ、 御城に有し時追々注進に、山中に
山抜
,よと来しぬ、夜に入て戻り、 桜沢の沢水湛て小沼辺へ逆水し、村々より人足出て普 請最中ニて、其下ニ
山抜
, (改頁) 立鼻村 右村千曲川端ニ御坐候へ共、地震ニ而
山抜
無御座候、,も一円湛居申候、 壁田村 右村名所日向与申場、巾六七十間程
山抜
仕、川中へ四十間 計も押出候様,川巾多分押埋候間、此節湛留ノ犀水一時ニ押 (改頁) 41 出、真神
山抜
崩
浅間山噴火の被害記
([翻刻])
右村々近所ニ上州吾妻(嬬カ)山と申山有之、去月中旬より 浅間山焼、砂降り申候処、当八日ニ右吾妻
山抜
パスファインダー
(善光寺地震)
虫倉山 虚空蔵山 松代藩 むしくら日記 河原綱 徳 地震後世俗語之種 永井善左衛門幸一 権堂村 川津波
山抜
むしくら日記
(3巻 利)
出来兼候難渋者共有之、夫々御手充申 渡候、 飯山御領石村・三才等ハ耕地水入、地震潰多く 相見へ、
山抜
水押出候跡, 20 郡之内、去月廿四日夜大地震御座候処、其節 近領更級郡山平林村之内岩倉山辺
山抜
, 領分村々之儀は潰家死失人等夥数、其上田畑 道路地面震裂、土砂泥水等吹出、殊ニ山中筋者
山抜
崩覆等,ニ而一村人畜共地中へ押埋候村々 も不少、就中更級郡山平林村之内
山抜
崩犀川 押埋、水流堰留数日相湛,往還橋破損三ヶ所 一 苗代泥冠四百五拾四ヶ村 一 関口矢代川通石枠石積崩三十五ヶ所 一
山抜
崩二十四
『長野史料』索引
([翻刻])
一、水難 二、火災 地 編 一、地震 一、
山抜
浅間山噴火の被害記
([解説])
ツナミ」という記述(二八六~二八八頁)と、後者の上州群馬郡南牧村・北牧村・川島村の被害状況、吾妻山の
山抜
むしくら日記
(2巻 亨)
りいろ/\世話して後酒のみ けるか、近村より来りし者、我等ハ道遠し帰らんとて、 出懸ける途中にて
山抜
覆,御届左のことし、 私在所信州松代、先達而先御届申上候通大地 震ニ而、更級郡山平林村之内岩倉
山抜
崩犀川, 三月十四日 私在所信州枩代、此程先御届申上候通大地震 ニ而、更級郡山平林之内岩倉
山抜
,城内初家中屋敷破損并城下町領分村々 潰家死失人夥敷、田畑道路地裂、地陸床違ニ (改頁) 相成、又ハ
山抜
覆等之大変災,而北国往還丹波島村渡船場より凡二り半程川 上、真田信濃守領分平林村地内字虚空蔵山 凡二十丁程之処
山抜
覆
地震後世俗語之種
(絵の解説)
1-83 「山中虚空蔵山、又岩倉
山抜
崩、犀川之大河ヲ止メ、湛水ニ民家浮沈之大畧 下ノ巻ニ委シ」
地震後世俗語之種
([翻刻])
人々われや先人におくれしと荷物 を運ふゆゑに、また/\此所を逃去る頃しも、 誰いふとなく、地震にて
山抜
崩,爰に また山中にてハ
山抜
崩れしその場所の数多ありて、 土砂・磐石・樹木と共に川中におし埋、是かため
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