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松本藩庄内組大庄屋御用留
(4、御用留の書かれた年)
この大地震のため、善光寺西山地区で山崩れが発生し、とくに
岩倉山
の大崩落が犀川をせき止め、湛水湖をつくり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南向村)
民業男: 農/(農間)薪炭・漁 民業女: 農/(農間)養蚕・縫織 その他特記ワード:
岩倉山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(旦開村)
(わごう)/帯川(おびかわ)/心川/日吉/小枝/月瀬平/小枝/巾川/矢野/向/平沢 山: 丸山/
岩倉山
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([現代訳])
にもまれな大災害と言われたのは、更級郡平林村[姨捨山の西3里(12キロメートル)余]にある虚空蔵山[別名
岩倉山
,[一説によれば、
岩倉山
崩落による犀川のせき止め湖は3月下旬には1日に7~8尺(2.1~2.4メートル),[これは
岩倉山
の崩落による第1のせき止め場が崩壊し、水があふれ激しく流れ出したもので、その音は遠く松代
地震後世俗語之種
(絵の解説)
名橋として知られていましたが、
岩倉山
(虚空蔵山)が崩落して犀川を堰き止めたことにより水没し、流失してしまいました,2-33
岩倉山
(虚空蔵山)が崩壊し犀川を堰き止めてできた天然ダムは、4 月13日午後に決壊しました,犀川之湛水一時ニ押破リ、土砂・磐石・樹木民家ト共ニ押出シ、水煙リノ有様、川中嶋・小松原・岡田山辺ニ見ル」
岩倉山
地震後世俗語之種
(絵の解説)
1-83 「山中虚空蔵山、又
岩倉山
抜崩、犀川之大河ヲ止メ、湛水ニ民家浮沈之大畧 下ノ巻ニ委シ」 ,大地震によって
岩倉山
(虚空蔵山)が崩落し、犀川を堰き止めている図です。,
岩倉山
は西(右)と東(左)の2方向に崩落し、2か所で犀川を堰き止めました。
パスファインダー
(善光寺地震)
その範囲は惨害の最も甚だしかった松代領内は勿論、南 は松本藩領から北は越中富山藩領に及び、
岩倉山
崩壊と
地震後世俗語之種
([現代訳])
大地震が起こって例の
岩倉山
が崩落し、犀川の流れを堰き止めました。,ようやく
岩倉山
などで数か所の山崩れがあって、上流を堰き止めていることが分かって、たとえどのような状況の,慌てふためき嘆く間もなく、
岩倉山
の崩落で犀川が増水して逆流し、家や蔵が水面に浮かんで、
岩倉山
が崩れて水,○山中の
岩倉山
が崩落した場所へは、郡奉行(磯田音門)が役人たちを引き連れて出張されました。,しかしお城から
岩倉山
が崩落した場所までは2里近い距離があるので、決壊してもご注進が間に合いません。
地震後世俗語之種
([翻刻])
大地震発して彼の
岩倉山
抜崩 (改頁) れ、犀川の大河を止む。,いよ/\やうすもわかりけるハ、
岩倉山
を (改頁) 始とし、数ヶ,の大山崩れ、水増逆流れして家・ 蔵浮み出し、彼の
岩倉山
崩れて水のたゝ ひたる所に流れ行て、幾数しらぬ,○山中
岩倉山
抜崩れし場所へは郡御奉行 [礒田音門、未年迄御預所町御奉行兼帯、御屋鋪殿町]諸役人を引連,乍去御城より彼の
岩倉山
抜崩れし場所まては (改頁) 31
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([翻刻])
そが中にも殊に稀代の大変と聞へしハ、更級ノ郡[姨棄山西三里余]平林むらなる虚空蔵(こくうそう)山[又
岩倉山
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([解説])
中でも虚空蔵山(
岩倉山
)の崩壊は犀川をせき止めて天然ダムを造り、4月13日にはそれが決壊して大洪水を引
むしくら日記
(2巻 亨)
、] 後にハ奏者をも加へぬ、[是も四月半ニハ止ぬ、] ○磯田音門、廿七日に西山手を諭し廻りて後、
岩倉山
,の御届左のことし、 私在所信州松代、先達而先御届申上候通大地 震ニ而、更級郡山平林村之内
岩倉山
抜崩犀川, 三月十四日 私在所信州枩代、此程先御届申上候通大地震 ニ而、更級郡山平林之内
岩倉山
抜,凡之見積も出来兼 候得共、犀川湛場破方之儀は段々水嵩相増、探サ 二十丈ニも及、少々宛水乗候ニ随、
岩倉山
麓之方
むしくら日記
(2巻 亨)
◯磯田音門は27日に西山手を説明して廻った後、
岩倉山
の崩落箇所を調査しに行き、安庭村に泊まって百姓たちと,私の在所信州松代は、先達て先に御届けした通り大地震で、更級郡山平林の
岩倉山
が崩落して犀川を埋め立て、2,3月14日 私の在所信州松代は、このほど先にお届け申し上げた通り大地震で、更級郡山平林の
岩倉山
,犀川の湛水が決壊した箇所はだんだんと水嵩が増して深さ20丈にも及び、少しずつ水が溢れるに従い
岩倉山
の麓
むしくら日記
(4巻 貞)
国役御普請被成下間敷旨被仰出候付、其以来無拠 手普請ニ而相凌罷在候処、当未三月廿四日夜大地震 ニ而、更級郡山平林之内
岩倉山
抜崩犀川押埋,、 神代杉の色の如く也、 ○水湛御届 先達而先御届申上候私領分信州更級郡 山平林之内
岩倉山
抜崩,仰出候付、其以来無拠手普請ニ而相凌罷在 候処、当未三月廿四日夜大地震ニ而、更級郡 山平林村之内字
岩倉山
抜崩
むしくら日記
(1巻 元)
◯犀川をせき止めたのは、山平林村と安庭村との間にある虚空蔵山、一名
岩倉山
という山が2つに割れて崩れ落ちたもので,◯26日に夫役山越嘉善と城詰上村瀬平を選んで、
岩倉山
の土砂崩れの現場の状況の検分に遣わしました。,げてありました、犀川の上手で水がせき止められた箇所についてですが、更級郡のうちの安庭村、山平林村両村の辺りの
岩倉山
,そこから長井村に登り、遥かに山平林村の崩落の箇所を眺めましたところ、当27日に
岩倉山
で見た時より、格段
むしくら日記
(1巻 元)
云、 (改頁) ○犀川を堰留たるハ山平林村と安庭村との間なる虚空 蔵山一名
岩倉山
二,而 堰留候場所之儀ハ、更級郡之内安庭村・山平林村両 (改頁) 村之辺ニ
岩倉山
与申高山半両端抜崩,而抜落候様 子ニ御座候、夫より長井村ニ登り、遙ニ山平林之抜崩之 場所眺望仕候処、当廿七日
岩倉山
むしくら日記
(3巻 利)
け申し上げた私の領分信濃国高井郡で、先月24日夜大地震がございましたが、その節近領の更級郡山平林村の
岩倉山
辺
むしくら日記
(3巻 利)
20 郡之内、去月廿四日夜大地震御座候処、其節 近領更級郡山平林村之内
岩倉山
辺山抜
地震後世俗語之種
([翻刻])
爰にいかなる天災不思議なるか、山中 虚空蔵山また
岩倉山
ともいふ、此大山左右に抜
地震後世俗語之種
([現代訳])
なんという前代未聞の天災か、山中の虚空蔵山あるいは
岩倉山
ともいう大山が左右に抜け崩れて犀川を押し埋め、
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