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宮坂弥五左衛門古記録
([解説])
宮坂弥五
左衛門
古記録 / [解説] [目録] 元長野県立歴史館 青木隆幸 「宮坂弥五
左衛門
古記録」(以下、「古記録」と略,宮坂家十代当主弥五
左衛門
が嘉永六年(1853)、34歳の折に編んだものという。,とはいえ、弥五
左衛門
が「古記録」を執筆したのは寛保の洪水からすでに一世紀余を経過した嘉永六年である。,結論としては、宮坂家十代当主弥五
左衛門
が嘉永六年に編んだ「宮坂弥五
左衛門
古記録」の記事は、水害から一世紀以上後
パスファインダー
(小山久左衛門)
小山久
左衛門
トピック(テーマ) 小山久
左衛門
ねらい キーワード 概要を知るた,の御用商人であった店をもとに、明治中期になって器 械製糸を創業し、佐久地域最大の製糸場に育てた小山久
左衛門
,信濃蚕糸業史 上巻 江口善次 日高八十七/著 大日本蚕糸会信濃支部 1937 人物編の47に小山久
左衛門
,製糸業者久
左衛門
についての言及はわずか であるが、彼が創業した純水館の写真は3枚載っている。,3 書名 南清製糸業視察復命書 著者名 小山久
左衛門
/著 出版社 小山久
左衛門
/ 小山久
左衛門
宮坂弥五左衛門古記録
([現代訳])
宮坂弥五
左衛門
古記録
宮坂弥五左衛門古記録
([翻刻])
宮坂弥五
左衛門
古記録
拾八町家並帳
(本町三丁目)
(文字の向きをそろえています) 北横町 南横町 辻ばん 十二間三尺四寸 問屋格 小
左衛門
,西 イ 二間三尺 叶屋 源次郎 五間三尺 庄屋格 五郎
左衛門
,イ 三間二尺 柏屋 万
左衛門
六間四尺 南部屋 五郎右衛門 イ 六間四尺 油屋 せつ,三間四尺 ハ 小松屋 半六 ロ 六間三尺 叶屋 利
左衛門
四間四尺 ハ 藤屋 権兵衛, 傳
左衛門
ヘ 二間四尺 大横丁 源四郎扣 北 大横町丁 南
拾八町家並帳
(桜町弐丁目)
善次郎 五間 ロ 野田屋 甚右衛門 イ 五間 こくや 善次郎 五間 ロ 河内屋 仁
左衛門
,ロ 五間 大嶋屋 彦兵衛 五間 ロ 穀屋 安
左衛門
ロ 五間 こく屋 六
左衛門
扣,七間三尺 ハ 穀屋 六
左衛門
ハ 七間三尺 三所屋 作右衛門 二間三尺 ハ 岐阜屋 ,嘉吉 ハ ニ間三尺 こくや 利助 五間 ハ 河野屋 奥
左衛門
ニ 五間 大工 久
左衛門
拾八町家並帳
(知久町弐丁目)
薬鑵屋 太兵衛 ロ 三間五尺 喜三郎扣 五間二尺 ロ 薬鑵屋 太兵衛扣 ロ 四間 善
左衛門
扣,文三郎 ロ 五間 紙屋 兵三郎 五間一尺 ハ 壺屋 茂助 ハ 四間二尺五寸 白木屋 市
左衛門
,四間三尺 ハ 近江屋 久
左衛門
ハ 四間二尺五寸 兵次郎扣 四間二尺一寸 ニ 兵次郎扣 ハ, 治
左衛門
ホ 五間五寸 山形屋 小十郎 三間 ト いたや 治右衛門 ヘ 五間四尺五寸,大工 卯吉 四間五尺五寸 ト いたや 治
左衛門
扣 ト 三間二尺 山本屋 吉五郎
拾八町家並帳
(池田町)
五間 ハ 丸井屋 伊八 ハ 四間三尺 綿屋 宇兵衛 六間二尺一寸 ニ 岐阜屋 喜
左衛門
,ニ 九間三寸 岐阜屋 吉
左衛門
五間 ニ 日野屋 弥四郎 ニ 四間四尺 小川屋 清蔵,二間五尺八寸 木綿屋 藤七 六間一尺 ホ 綿屋 治兵衛 ホ 四間四尺九寸 綿屋 甚
左衛門
扣,十一間四尺 ホ 綿屋 甚
左衛門
ホ 六間 綿屋 甚
左衛門
扣 北横丁 南横丁
拾八町家並帳
(知久町三丁目)
西 ロ 五間三尺 桶屋 七右衛門 五間四尺 イ 白木屋 伊
左衛門
後家,ロ 七間四尺 美濃屋 平助 五間三尺 イ 扇屋 仲
左衛門
ロ 二間三尺 平助母寿美 五間三尺,ロ 亀屋 新助 ハ 三間四尺五寸 近江屋 藤助 三間三尺五寸 ロ 桶屋 又
左衛門
,五間一尺 京屋 庄兵衛 三間一尺五寸 ホ 鍛冶屋 才兵衛 ヘ 四間四尺七寸五分 近江屋 久
左衛門
,四間 ホ 桧皮屋 兵
左衛門
ヘ 四間四尺五寸 麟庵妻里つ 五間三尺八寸 ヘ 金具屋 好兵衛
拾八町家並帳
(知久町壱丁目)
宗八 イ 三間三尺 兵次郎扣 三間一尺 ロ 紺屋 宗八扣 イ 六間一尺 樽屋 彦
左衛門
,三間 ロ 兵次郎扣 ロ 五間一尺 塩ノ屋 太兵衛 六間 ロ 善右衛門扣 ロ 五間一尺 善
左衛門
扣,五間一尺 桃井養伯 三間 ハ 善右衛門扣 ハ 六間一尺 油屋 五兵衛 三間 ハ 桔梗屋 伊
左衛門
,ハ 小路 十四間四尺 ニ 鉄屋 治郎
左衛門
ハ 七間一尺 榎屋 庄兵衛 五間 ニ
拾八町家並帳
(桜町壱丁目)
七間 清兵衛 御用屋敷 イ 五間 和泉屋 吉右衛門扣 十間 ロ 四間 槌屋 園
左衛門
,六間 ロ 問屋 三郎右衛門 ロ 五間 山村屋 五右衛門 六間三尺 ハ 和泉屋 六
左衛門
,福岡屋 彦四郎扣 五間 伊豆木屋 平八 ホ 七間三尺 福岡屋 彦四郎扣 庄屋 五郎
左衛門
,ホ 二間三尺 紀伊国屋 安
左衛門
後家 西裏道
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([翻刻])
中山道望月宿問屋 2 寛保二戌十一月 久
左衛門
,) 年寄 与三右衛門(印) 同 文
左衛門
, (印) 同 藤
左衛門
(印) 同 ,) 同 茂右衛門 (印) 惣百姓代 惣
左衛門
拾八町家並帳
(松尾町弐丁目)
クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています) 十三間三尺 年寄 金
左衛門
, 半七扣 六間五尺 ハ 大工 伊助 ロ 四間 白木屋 甚内 五間 ハ 藤屋 清
左衛門
, 源兵衛 ニ 五間 つう 六間三尺 ホ 柳屋 七五郎扣 ホ 三間二寸 椀屋 新
左衛門
,五間 ヘ 椀屋 勘
左衛門
ホ 四間 黒田屋 團助 八間四尺 ヘ 綿屋 弥兵衛扣 ヘ
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([翻刻])
以被為御 聞召分被仰付被下置候ハヽ難有奉存候、 以上、 寛保三亥二月 望月宿問屋 久
左衛門
,(印) 同所年寄 与三右衛門(印) 同 文
左衛門
, (印) 同 藤
左衛門
(印) 同 祖右衛門,(印) 同 茂右衛門 (印) 惣百姓代 惣
左衛門
拾八町家並帳
(傳馬町弐丁目)
イ 六間 蔦屋 新
左衛門
後家,ロ 竹丸屋 長兵衛 イ 五間八寸 靏屋 幸助 江戸町 イ 五間二尺八寸 白銀屋 治
左衛門
,二間三尺五寸 ヘ 大工 由右衛門 ヘ 五間五尺 大工 傳次郎 三間一尺 ヘ かぢや 徳
左衛門
,ヘ 四間五尺 丸や 定
左衛門
三間三尺 ヘ やねや 仙助 西教寺借屋 御用水通り 西教寺前
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([翻刻])
牧野内膳正領分 中山道望月宿 寛保三癸亥年二月 問屋 久
左衛門
, 年寄 与惣右衛門(印) 同 文
左衛門
, (印) 同 藤
左衛門
(印) 同, 同 茂右衛門 (印) 惣百姓代 惣
左衛門
拾八町家並帳
(松尾町壱丁目)
三間四尺五寸 ハ 若狭屋 市太郎 ハ 三間五寸 大工 清蔵 六間二尺五寸 ハ 檜物屋 与三
左衛門
,五間四尺 大工 庄三郎 五間六尺五寸 ニ 檜物屋 傳六 ハ 四間三寸 くずや 喜
左衛門
,九間三尺六寸 大工 要八 六間 ホ 檜物屋 弥三郎 ホ 七間 岐阜屋 善六 二丁目 金
左衛門
拾八町家並帳
(本町壱丁目)
すると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています) 辻番 六間 イ 北国屋 平
左衛門
扣, 亀之助 イ 四間 井筒屋 権六 五間三尺 イ 綿屋 平五郎 ロ 五間 知久町 善
左衛門
扣,五間三尺 伊実屋 清兵衛扣 三間一尺五寸 ホ のだや 仙次郎扣 ヘ 六間三尺 北国屋 平
左衛門
割田家文書
(史料5 寛保三年六月廿一日 覚)
名主 九郎右衛門 組頭 六右衛門 同 里
左衛門
, 村上茂
左衛門
様 惣百姓代 岡田甚九郎 様 又 六 右ハ出来方見分相済候節
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
廿一日ニ小枡堰御見分ニ御出被成候、当町庄屋・年寄、新町庄屋・年寄罷出ル、御地頭様より御奉行成瀬 番
左衛門
様,望月宿へ御出被遊候、望月宿江二月廿四日ニ御出被成、廿七日迄 川西村々御見分被成、廿八日之晩吉田久
左衛門
様,川向ニ而御覧被成、与良町分腰巻より御覧被成候而、二日之晩新町藤右衛門所ニ御泊り被成候、御普請方岡本養
左衛門
様,、安
左衛門
妾弐人、彦右衛門妾壱人都合七人、其外家来男女共ニ三拾人之余流死ス、土蔵壱ツ残ル、七郎右衛門家, 残ル、五郎右衛門家・喜
左衛門
家・吉右衛門家残、 一右大変後、八月末方より旅籠屋新町ニ而仕候、本町市
拾八町家並帳
(松尾町三丁目)
五間一尺五寸 ニ ひしや 清六扣 ニ 四間四寸 蔦屋 平八 三間 ニ ミノヤ 武
左衛門
,ニ 四間四尺二寸 扇屋 利八 二間三尺七寸 ホ 大工 源
左衛門
ニ 二間四尺 蔦屋, 平吉 四間一尺 ヘ 小川屋 平助 ホ 三間 塩屋 宗蔵 四間三尺 ヘ 扇屋 平
左衛門
松本繁昌記 上・下
(発行までの経過)
編輯人が、松本北深志町の関口友愛と浅井洌、出版人は松本南深志町の高美甚
左衛門
です。 ,出版人の高美甚
左衛門
らが長野県の県令(今の県知事)に提出した出版の願書と、明治政府に提出した出版届は、,御進達奉願候也 明治十六年九月一日 東筑摩郡南深志町二百七十六番地□□ 出版人 高美甚
左衛門
, 同 □□ 出版人 高美甚
左衛門
割田家文書
(史料5 寛保三年六月廿一日 覚)
名主 九郎右衛門 組頭 六右衛門 同 里
左衛門
, 村上茂
左衛門
様 惣百姓代 岡田甚九郎 様 又 六 右に記してある
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
岡本養
左衛門
様がおいでになりました。 ,その時、吉田久
左衛門
様が藤吉を召し呼ばれ、こう言われました。,普請方の岡本養
左衛門
様は、新町の与一右衛門の所へ宿泊されました。,太田彦右衛門殿家を押し流し、安
左衛門
妻子四人流死、安
左衛門
妾二人、彦右衛門妾一人、都合七人、そのほか家来男女合,これに対して番
左衛門
様は、新町へ市を開くことは申しつけていない。
松代まちあるきマップ
(25旧前島家住宅)
旧前島家住宅 旧前島家住宅は、初代民部
左衛門
以来、上田・松代藩を通し代々真田家に仕えている中級武士,幸村(信繁)父子が九度山蟄居の際、家臣十六名が昌幸に従って高野山に随行したが、そのひとりに前嶋家二代作
左衛門
,作
左衛門
は、昌幸が没した慶長十六年に、真田信之のもとに帰藩、その子孫が前島の家を継いだ。
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([翻刻])
進徳館開設以前高遠藩士学術有様ヲ御略記アリタシ】 文学師範 中村中蔵 同 海野喜
左衛門
, 筆学師範 荒木兵蔵 同 浅利力太 同 奥谷源
左衛門
,菅沼伝一郎 釼術師範 大矢貫治 砲術師範 阪本孫四郎 同 北原所
左衛門
,栗栖新弥 発砲所花畑大北村日影林六道原城山 ノ各所ニアリ、館中ニ列セス 軍学師範 藁科勘
左衛門
, 体術師範 小嶋治
左衛門
(改頁) 荒木流師範 伊藤文
左衛門
又文武俊秀
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([翻刻])
太 四 郎(印) (改頁) 年 寄 半
左衛門
, 内(印 )孫 平 次(印) 藤右衛門 半 弥 喜 伝 次 又右衛門 (印) 喜
左衛門
拾八町家並帳
(桜町三丁目)
クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています) 二間三尺 イ 黒田屋 吉
左衛門
,ヘ 二間三尺 茶屋 半蔵 二間三尺 ヘ 大工 佐右衛門 ヘ 二間三尺 一丸屋 久
左衛門
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([現代訳])
文学師範 中村中蔵 同 海野喜
左衛門
筆学師範 荒木兵蔵 同 ,浅利力太 同 奥谷源
左衛門
弓術師範 野木要人 同 岡野宗八郎,菅沼伝一郎 剣術師範 大矢貫治 砲術師範 阪本孫四郎 同 北原所
左衛門
,軍学師範 藁科勘
左衛門
体術師範 小嶋治
左衛門
荒木流師範 伊藤文
左衛門
又文武,進徳館では1か月に数回中村中蔵・海野喜
左衛門
に経書を講義させ、みんなで聞き入った。
拾八町家並帳
(傳馬町壱丁目)
彦右衛門 ホ 五間 亀屋 市郎右衛門 ニ 二間四尺 越後屋 善六 ヘ 三間一尺 上穂村太郎
左衛門
扣,ホ 二間四尺 池田町 弥平治扣 ヘ 四間 上穂村太郎
左衛門
扣 ホ 七間三尺 白木屋 利兵衛
パスファインダー
(純水館)
キーワード 酢久 小諸藩御用達 高橋平四郎 澁澤榮一 小山久
左衛門
大里村 諸 茅ケ崎 小山房全,小諸町の写真・絵図の項では「純水館第一工場」「第二工場」「小 山久
左衛門
」など純水館関連の写真6枚が載,信濃毎日新聞社開発局出版部 出版年 1974 内容紹介 「純水館」の項を設け「小山久
左衛門
,2012 洋画家小山敬三を知るための本であるが、「来し方の記」で彼の父であ り純水館創業者である小山久
左衛門
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
朔日御呼出しニ御座候、尤役人も 印形持参致候様、右申上度早々、以上、 金井源
左衛門
, 教諭 百瀬及
左衛門
取締方 石井右衛門太 , 藤井佐
左衛門
上条覚
左衛門
来ル十三日御通用所より, 藤井佐
左衛門
等々力伝右衛門 上条覚
左衛門
, 藤井佐
左衛門
殿 上条覚
左衛門
殿 中田源次郎殿 別紙囲穀世話役より認 出申候間
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高家村)
/堰上/本町/下中曽根/上真々部/中村/本郷/田中 川: 梓川/犀川/中萱渠/鳥羽渠/飯田渠/勘
左衛門
渠,/十ヶ渠/飯田渠/熊倉渠/矢原渠/勘
左衛門
堤/十ヶ堤 渡・堰: 犀川渡 橋: 梓川橋 道路:
秀吉と真田
(昌幸最晩年の書状 幸村筆)
追って書き(追伸)のなかで「次に
左衛門
佐(さえもんのすけ)(幸村)慮外ながら御言伝(ことづて)申し入れ,次に
左衛門
佐慮外ながら御言伝申し入れ候。,其の許(もと)様子久々承らず候間、半
左衛門
相下し候。御息災に候哉。承り度く候。,委細半
左衛門
申し達すべく候間、具(つぶさ)にする能(あた)はず候。恐々謹言。
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
]小沢喜
左衛門
政則 照阿興吽居士 [嫡子]小沢治兵衛氏朝 壁岸道鉄居士 喜
左衛門
二男 ,]外戚 吉
左衛門
子 小沢吉
左衛門
小沢小
左衛門
棟林元梁居士 ,貴嶽盛高居士 雪巌素仙大姉 永嶽寿昌大姉 小
左衛門
嫡子吉
左衛門
,ハ同村名主 小野長
左衛門
娘也 本家小
左衛門
ニ男女子供六人あり 惣領ハ鉄之助成長して小野序助上町綿屋江養子, 明キ居り是ニ而手習御教被成候 同村酒屋金
左衛門
殿 市
左衛門
殿 山しろや祖兵衛殿 源十郎殿 三十郎殿
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(東寺尾村)
/富士浅間社/愛宕社/秋葉社/天神社/皇大神宮社/駒形社 寺: 寺尾氏招魂墓/山本晴幸墓/寺尾伝
左衛門
墓,片口 民業男: 薪取り 民業女: 養蚕/織縫 その他特記ワード: 寺尾氏/村上義清/寺尾伝
左衛門
浅間焼覚帳
([翻刻])
追分宿孫右衛門殿家内 三拾四、五人宗兵衛殿方江にけ参り候、下河原治部右衛門殿 方へも、追分宿久
左衛門
殿家内三拾五,そうどうおこし、卯ノ十月 ノ朔日より佐平嶋方村(ママ)善兵衛・利兵衛始と而 打つふし、志賀村半
左衛門
,、 其次御家老牧野軍之進様、其次御家老(ママ) 二 一牧野内膳守(正)様御代御家老稲垣源太
左衛門
様,、此時より二番 御家老始(ママ)大田甚右衛門様二番御家老、 其次御城代江戸より御出被遊牧野庄
左衛門
様,、 四 一牧野遠江守御代、牧野八郎
左衛門
様一番御家 老也、二番御家老牧野庄兵衛様、当御代
パスファインダー
(善光寺地震)
善光寺 弘化四年 虫倉山 虚空蔵山 松代藩 むしくら日記 河原綱 徳 地震後世俗語之種 永井善
左衛門
幸一,4 書名 著者名 出版社 出版年 善光寺大地震図会:弘化四年 地震後世俗語之種 永井善
左衛門
/絵,著者の永井善
左衛門
幸一は権堂村の名主だったが、 地震被害により権堂の家屋敷、貸家、出店等全て焼失,内容紹介 善
左衛門
は絵が描け、筆も立ったので、せめてもの慰めとして地震の被 災記録を子孫に書き残,信濃毎日新聞社/編 出版社 信濃毎日新聞社 出版年 1977年 内容紹介 永井善
左衛門
幸一
地震後世俗語之種
(絵の解説)
その途中、午前10時頃に岩石町の裏通りを行く善
左衛門
一家が、右下に描かれています。,夜になると戌の刻(午後8時)に風が変わり、善
左衛門
の家も燃えてしまいました。,1-109 永井善
左衛門
幸一の仮屋です。,善
左衛門
の背後のピンと張った綱も印象的です。,町は完全に焼け野原となり、善
左衛門
の家の跡も「善左エ門焼跡」と表示されています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(塩名田村)
令和2年):佐久市(さくし) 明治初期:塩名田村(しおなだむら) 幕末から明治初期:塩名田村/市
左衛門
新田村,漁猟 民業女: 農桑・生糸製造/冬・春紡織 その他特記ワード: 唐沢冷泉/滝冷泉/明治8年市
左衛門
新田
浅間焼覚帳
([現代訳])
下河原治部右衛門殿方へも、追分宿久
左衛門
殿の家から三五、六人が逃げて来た。 ,そのため幕府代官伊奈半
左衛門
は、午年に米の買い上げを行った。それも相場より米を高く買った。,牧野内膳正康周様の代の家老は、稲垣源太
左衛門
様だった。 ,その次の二番家老は稲垣市右衛門様、その次の二番家老は牧野八郎
左衛門
様だった。 ,城代牧野八郎
左衛門
様、二番家老牧野庄兵衛様、御用人本間彦作様・佐々木重
左衛門
様・木俣重郎右衛門様、御奉行山本馬次右衛門
秀吉と真田
(伏見城普請)
普請奉行からの幾つかの通達の内の一通、文禄三年正月十八日付け書状(写真)の宛名には昌幸・信幸と並んで「
左衛門
様,」つまり
左衛門
佐(さえもんのすけ)信繁(幸村)の名も見える。,宛名に幸村(「
左衛門
様」)が見え注目される。,幸村(信繁)も信幸と同じく、やはり秀吉の命で、文禄二年九月には既に従五位下
左衛門
佐に叙任されていたものとみられる, 石尾与兵衛 治一(花押) 真房州様 真伊豆様 同
左衛門
様
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
書付をもって申し遣す 高橋権蔵代り藤沼九郎之丞、草間藤内、直段方広瀬小
左衛門
、教諭百瀬及
左衛門
、取締方,・藤井佐
左衛門
・上条覚
左衛門
来る十三日に御通用所より詮議の御用があるとの旨を、上条より達す 九日,の見分について御相談申したいので、来る八日に御出会下さるように、八月八日、 上条覚
左衛門
・金井源
左衛門
,・藤井佐
左衛門
・等々力伝右衛門・上条覚
左衛門
・中沢権右衛門・中田源二郎・金井佐源太・藤井澄之助・藤森善兵衛,・藤井佐
左衛門
殿・上条覚
左衛門
殿・中田源次郎殿、 別紙、囲穀世話役より認め出で申し、例のとおり御用があるので
秀吉と真田
(上杉景勝への従属と証人信繁(弁丸))
向後別して奉公有るべきの由に候の条、
左衛門
尉殿判形の如く出し置き 候。,(花押) 諏方久三殿 この文書は真田弁丸(信繁)とみられる「弁」が、「
左衛門
尉,この後の史料に諏訪久三が「屋代馬上衆」とあるところよりみても「
左衛門
尉」とは屋代
左衛門
尉秀正とみてよい
割田家文書
(史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)
難有可奉存候、以上 笠倉村惣百姓代 又 六(印) 寛保三年 組頭 利
左衛門
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([翻刻])
太郎八 (印) 藤太夫 (印) 武
左衛門
,新三郎 (印) 彦兵衛 (印) 弥
左衛門
割田家文書
(史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)
笠倉村惣百姓代 又 六(印) 寛保三年 組頭 利
左衛門
(印) 亥三月
小諸洪水流失改帳
([翻刻])
三ノ御門押流、 (改頁) 4 馬場裏押水、上ノ袋町ヲ押し、下ハ押兼五郎
左衛門
屋敷庭,一 御家中町方流家人惣〆書 右八月十三日立十七日着便来 覚 押兼五郎
左衛門
,御座候、北の方壁不残落申候、本屋茶の間、物置、居間、中の口辺水押入、縁の上え泥壱尺五寸程押入申候、五郎
左衛門
夫婦,男弐人 女壱人 一 与治兵衛家内 男弐人 女壱人 一 治郎
左衛門
家内
寛保二壬戌歳満水記
([現代訳])
3間塀潰 片岡志津馬 一8間塀潰 福田又四郎 一5間塀潰 安藤友弥 一44間塀潰 樋口武
左衛門
,一[8間長屋流 8間塀流] 樋口弥兵衛 一16間塀流 桑名文
左衛門
一[8間長屋潰 12間塀潰,] 大森作
左衛門
一[7間長屋潰 6間塀潰] 白川甚
左衛門
一17間塀潰 常田市郎右衛門 竹山町,一14間塀流 金子勘
左衛門
一20間塀潰 鈴木右近 一3間長屋潰 長谷川新蔵 一[7間長屋潰, 16間塀潰] 〆木兵
左衛門
一[4間長屋潰 居宅打潰] 佐野友
左衛門
代官町 16間塀流
割田家文書
(史料3 寛保二年十二月 乍恐以書付奉願候御事)
信州水内郡笠倉村 寛保二年戌十二月 惣百姓代 又 六(印) 組頭 利
左衛門
/ 4ページ