• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧

NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 14件
辞書ファセット
/ 1ページ
秀吉と真田 (真田氏の動静)

左衛門佐(幸村)屋敷、其の方並びにて候。二間(軒)の内一間地形低く候て手間入り申し候。,其の方事は留守と申し、よき所を請取り候はでかなはぬ由に存じ、手間入り候屋敷は左衛門佐かたへ相渡し候。
秀吉と真田 (昌幸最晩年の書状 幸村筆)

追って書き(追伸)のなかで「次に左衛門佐(さえもんのすけ)(幸村)慮外ながら御言伝(ことづて)申し入れ,次に左衛門佐慮外ながら御言伝申し入れ候。
秀吉と真田 (伏見城普請)

つかの通達の内の一通、文禄三年正月十八日付け書状(写真)の宛名には昌幸・信幸と並んで「左衛門様」つまり左衛門佐,幸村(信繁)も信幸と同じく、やはり秀吉の命で、文禄二年九月には既に従五位下左衛門佐に叙任されていたものとみられる
川柳真田三代記 ([書誌・解題])

真田一徳斉幸隆、其子安房守昌幸、昌幸の子左衛門佐幸村の三将、いずれも智勇兼備を以て聞ゆ。,これによって、真田三代とは、真田幸隆、安房守昌幸、左衛門佐幸村(信繁)、または昌幸、幸村、大助(信昌)
贈答百人一首 ([凡例])

8)一番の左衛門佐基俊歌、百番の賀茂季鷹を除く98首については、十一丁ウラの2番西行法師と十二丁オモテ
パスファインダー (真田氏研究の基本史料・古記録)

真田幸貫 河原綱紀 一徳斉殿幸隆 信綱寺殿信綱 長国寺殿昌幸 寒 松院 大鋒院殿信之 大蓮院 大光院左衛門佐信繁,寒松院殿 昌幸夫人の部が1巻、大鋒院殿信之関係が全て25巻、信之夫人関係が 上下2巻、大光院左衛門佐信繁
パスファインダー (真田三代の妻妾・子女)

14巻、寒松院 殿昌幸夫人の部が1巻、大鋒院殿信之関係が全て25巻、信之夫人関係 が上下2巻、大光院左衛門佐信繁
パスファインダー (真田信繁(幸村)と大坂の役)

著者名 出版社 出版年 田中誠三郎/著 信濃路 1979年 「御所様(家康)の御陣へ真田左衛門佐
贈答百人一首 ([解説])

掲出の和歌についてみると、巻頭に左衛門佐(藤原)基俊を配し、以下、西行法師(二番)、(藤原)俊成卿(三番
秀吉と真田 (三成ほか西軍諸将よりの書状)

    <訓読>   「真安房守殿   白以    左衛門佐殿人々御中,伊豆殿(信幸)女中改め候間、去年くだり候時、左衛門佐(幸村)方へくやみ候様子までを証跡に申し別儀無く候
上田の早苗 ([翻刻])

捨曲輪捨堀ノ唱残レリ、[今城ノ松樹ハ多ク寛政年間植タリ    ト云フ]是城慶長五年石田関原乱後安房守昌幸左衛門佐信繁等高野,浅井小右衛門永田角右衛門ト云モノ先登ニ追テ戦ケルトキニ城中ヨリ木戸ヲ  開キテ突テ出寄手ノ先陣ツキ立テラレケル処城中ヨリ左衛門佐大勢,父弟ノ助命ヲ御免ノ儀御  訴訟再三奉願ラレケルニ仍テ、神君モ其忠孝ヲ御感ノ余リ別儀ヲ以テ安房  守左衛門佐
贈答百人一首 ([本文、奥付])

01_左衛門佐基俊 01_左衛門佐基俊(さゑもんのすけもととし) 奥山の やつほの椿(つばき) 君,)の長男にして幼きより雅才ありて和哥を詠ず、鎌倉扇ヶ谷上杉定政に属して武州築都、豊嶋、入間等を領し、左衛門佐持資
信州飯田町家控 ([翻刻])

   同 八郎九郎周常公 弘治二年甲斐源氏              武田晴信ニ属ス    同 左衛門佐周次公
信州飯田町家控 ([現代訳])

同 式部    同 八郎九郎周常公 弘治2年甲斐源氏武田晴信に属しました    同 左衛門佐周次公
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました