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原町問屋日記(嘉永6年)
([現代訳])
以上のことを町
年寄
へ廻状した。
拾八町家並帳
(知久町壱丁目)
兵次郎扣 ニ 八間 善右衛門扣 五間 ニ 野田屋 太兵衛 ニ 五間二尺 善右衛門扣 拾三間
年寄
拾八町家並帳
(松尾町弐丁目)
きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています) 十三間三尺
年寄
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([翻刻])
同 断 八 三 郎(印) ○以下
年寄
五名連印省略
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([翻刻])
久左衛門 (印) 同所名主 半 兵 衛(印)
年寄
原町問屋日記(嘉永6年)
([翻刻])
、万一多分之米売候ハゞ其節申出、差図次第可致心得として取計候様被仰聞候間、穀屋並搗之者江寄々申付候、
年寄
衆江廻状出候
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([翻刻])
久左衛門 (印) 同所名主 半 兵 衛(印) 同所
年寄
原町問屋日記(嘉永6年)
([解説])
十二月に入ると、藩主忠優から両町問屋や町
年寄
に次のような申し渡しがあった。,もしペリー艦隊と戦闘状態になれば、世の中は混乱するだろう、人々が混乱しないよう問屋や町
年寄
は前もって心得
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([翻刻])
(印) 同断 名主 半 兵 衛(印)
年寄
パスファインダー
(牧野康哉)
めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 小諸藩 天然痘 疱瘡 種痘 興復方 若
年寄
,安政5年に若
年寄
に なり、大老井伊直弼のもとで幕末の政治に関わったことも挙げる。
松代まちあるきマップ
(18松代まち歩きセンター 八田家)
菊屋八田家は酒造業・呉服商などを営み、町人町最高町役の町
年寄
を代々勤めた。
秀吉と真田
(三成ほか西軍諸将よりの書状)
一内府(家康)去々年以来御仕置、大閤様御定に相背かれ、秀頼様御成り立ち成り難き由候て、
年寄
衆・輝元・備前中納言殿,一出陣の諸侍妻子御
年寄
衆より相卜され候。御両所の御内儀、我等頂り分に仕り候事。 ,御
年寄
衆へもみせ申し候様に調へ下さるべく候。委曲御
年寄
衆よりの触状条目進めらるべく候。,猶
年寄
衆より申し入れらるべく候。恐々謹言。
信濃国村名尽
([解説])
明治五年(1872)政府は、それまでの名主・庄屋・
年寄
など、江戸時代からの身分的職制を廃止し、地理的区画
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
飯田藩 脇坂氏 堀氏 飯田町 13町 5町 地子米
年寄
問屋 庄屋 組頭 商品流通
拾八町家並帳
([解説])
町役人は、
年寄
・問屋・問屋格・庄屋・庄屋格などで、間口の長さが長かったり、家を何軒か持っていたりします
パスファインダー
(力士雷電(1))
諸国相撲控帳 万御用覚帳 小県郡大石村 関半右衛門 けん 太郎吉 村相撲 長瀬村 庄屋 上原源五右衛門
年寄
浦風
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
寛文四年甲辰正月十三日 進 藤 源 助 書判 飯田 町
年寄
,ニ而罷出不申候、凡町役人不残
年寄
福住兵次郎御縁側之上、本町問屋九郎平七町 問屋文四郎・本町庄屋庄兵衛,文四郎 同断 九郎平
年寄
, 殿 同断 岩崎宇左衛門 殿 右之書面ハ福住兵次郎殿へ相渡
年寄
同家,十四末 ○】 市場之義抜書 一安永二巳年九月市場廻り手板すれ候ニ付、新ニ板ニ彫付 相改置、古板両
年寄
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
佐藤善太夫様御宿新町茂右衛門、御小人御目付之御宿新町与一右衛門仕候、廿一日ニ小枡堰御見分ニ御出被成候、当町庄屋・
年寄
,、新町庄屋・
年寄
罷出ル、御地頭様より御奉行成瀬 番左衛門様、御代官山本次右衛門様、下目付黒沢権右衛門殿御出
宿継要書留
([翻刻])
其上 不相済儀ハ町下代迄内意 申達、其上可差出事 一他所他国之者御城下町 住人罷成候義、
年寄
問屋,へも 届置可申事 一町
年寄
役之儀御城下町 (改頁) 中之役儀ニ候得ハ、万事存, 可罷在事 一町
年寄
問屋庄屋諸事 申談、万端内々ニ而相済候 様可相心得事 一伝馬町・桜町,ハ古来より伝 馬役相勤候宿場ニ而、十三 町とハ格別ニ付、町内何 事ニよら須町
年寄
共江 ,不及相談之段相聞候、併 御城下町中之
年寄
役ニ (改頁) 13 候得
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
1月13日 進 藤 源 助 書判 飯田 町
年寄
,町
年寄
山村九郎右衛門者病気で出てこなかった。そのほかの町役人は残らず出た。, 同断 岩崎宇左衛門 殿 右の書面は福住兵次郎殿へ渡し、
年寄
,き 一安永2(1773)巳年9月市場を廻す手板が傷んできたので、新に板に彫り付けて改め、古いものは
年寄
,一願書の趣旨を
年寄
福住太郎太夫がいちいち尋ね、久四郎がくわしく答えました。
宿継要書留
([現代訳])
すまないことは、町下代迄内々に知らせ、それから差し出すこと 一他所他国の者が城下町住人になることは、
年寄
,をもらうこと 一後家の家に婿に入ること 右のようなことは、問屋・庄屋が聞き届け、その者たちより3
年寄
,へも届けておくこと 一町
年寄
役は城下町中の役儀であるので、すべてこころえていること 一町
年寄
・問屋,城下町中の
年寄
役であるので、右両町の役人たちも相談をすること、公事訴訟または他国の者が両町の内へ長く居住,することについては、
年寄
たちへも相談の上申し出ること、そのほか宿役等何事によらず、今までのとおり支配役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
二十一日には、小枡堰見分においでになり、当町庄屋・
年寄
、新町庄屋・
年寄
が出頭しました。
地震後世俗語之種
(絵の解説)
最後に裃の町
年寄
2人・医者などが続きます。
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
を賜ふ、 禁制 埴原之郷 保福寺 一伐採山林竹木事 一於寺内殺生之事付狼藉之事 一
年寄
共無断者致入寺事
信州飯田町家控
([現代訳])
しかし角屋はだいたい町
年寄
衆・問屋・肝煎衆の家なので、訴訟の企てもなかなかできず過ぎて、知久町通り・松尾町,一町
年寄
は諸役を免除され、地子米は間口13間分免許されます。
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
禁制 埴原之郷 保福寺 一、伐採山林竹木事 一、於寺内殺生之事付狼藉之事 一、
年寄
共無断者致入寺事
信州飯田町家控
([翻刻])
改頁) 脇坂様御代御組長屋ニ而有之候処、御所替以後町 屋ニ被仰付、地子米増候事 一町
年寄
諸役御免并
地震後世俗語之種
([翻刻])
其程を
年寄
もとめて問ひけるに、善光寺を (改頁) 中はに取らハ
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
差入組之訳出来追々延候処漸引渡之時節 到来四月下旬後名主落札市郎左衛門殿江首尾克諸帳面諸書付役人
年寄
立合之上相調
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
小藤井・小藤森 四 日 一当日寺院御目見被仰付、 鍛之助差出是又首尾能 相済、夫より御
年寄
方
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
それから、御
年寄
方・御奉行・御代官・御勘定所、そのほか年始の御礼に廻っり、その日のうちに済ませた。
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
去る中に此金を貯へて卒業の時には十数金を持ちて去りし若物の
年寄
もあり。
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