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西江部村篠田家文書
([現代訳])
] 吟味につき申上げる文書 田高四四石余は用水がなくて畑作になっていたが、これまで田の賦課率で
年貢
,を納めてきたので、当戌(寛政二年)よりは畑の賦課率で
年貢
を納めるようにお願いしたい。 ,ち水を使って耕作してきたが、用水が不足して干あがってしまうので、仕方がなく水田を潰して畑作にし、田の
年貢
,前書の三町七反歩余の田から畑になった分は、これまで納めてきた田としての
年貢
を許していただき、当戌より畑,としての
年貢
にしていただければ、百姓一同は助かり幸せである。
西江部村篠田家文書
([解説])
こうした
年貢
の過重負担が、西江部村を「極貧窮」の村に追いこむことになった。,しかも、水田が畑地化しても
年貢
は水田分を負担していたのである。,再度、
年貢
引下げの訴願が活発化したのは、文化十二年である。,内容は、干損田の
年貢
を十五年間畑地なみの課税とし、その
年貢
量の差額分を溜池築造の経費にあてる。,長年の
年貢
率引き下げ運動が一応の実を結んだのである。
パスファインダー
(江戸時代中期に起きた安永中野騒動)
安永騒動 大原騒動 中野騒動 安永6年 江戸廻米
年貢
皆済期日 石代納制 安石代 貼紙値段 信州の河岸場,/著 ほおずき書籍 2012.11.10 内容紹介 安永6年正月、奥信濃の幕府領の農民が
年貢
納入延期,による結果ととらえ、江戸廻米・
年貢
皆済期付繰上げ・騒動の様相について述べるとともに、飛騨の大原騒動,飯山市誌 歴史編 上 飯山市誌編纂専門委員会/編 飯山市 1993 安永中野騒動について、
年貢
上納仕法改革,への抵抗としてとらえ、江戸 廻米・
年貢
皆済期付繰上げの内容及び騒動の様相を解明している。
パスファインダー
(桜井常五郎)
情報 桜井常五郎 慶応4年2月、「岩倉殿官軍嚮導隊」として小県郡和田村(現長和町)へ 「
年貢
半減,」「残納
年貢
免除」を触れた佐久郡春日村(現佐久市)出身の 桜井常五郎は、その後「偽官軍」の汚名をきせられ,明治維新 御一新 官軍 赤報隊 官軍先鋒嚮導隊 相楽総三 偽官軍 桜井常五郎
年貢
半減令 追分戦争,出版社 出版年 高木俊輔/著 日本放送出版協会 1970.3 内容紹介 第5章から7章に、
年貢
半減,1 書名 信州佐久・小県の「御一新」:
年貢
半減令と伊那県御影局の政治手法 (信濃史学会研究叢書)
西江部村篠田家文書
([翻刻])
、本畑書 面免合を以、当戌より畑成御
年貢
上納被 仰付 候様相願申候 右者当村田方之儀、隣郷高井郡岩舟村吉,ニ而田方用水ニ仕候落水 計ニ付、用水不足仕田方旱損仕候ニ付、致方無之田方 相潰畑方仕置候而田方御
年貢
上納仕候故,窮ニ、再応名主方へ相歎候得共村役人方ニ而も取計 難及難儀至極ニ付、御慈悲を以畑成田之分相当之 御
年貢
被,、不容易願 筋ニ付可成丈手入出情御
年貢
上納可仕旨被 仰渡願書御取上無之、無是非弁納仕罷有、其後原,、本畑免合を以、当 戌より畑成御
年貢
之積相当之御取箇被 仰付、 百姓相続仕候様被 仰付候ハヽ、
パスファインダー
(貞享3年(1686)の加助騒動)
藩の
年貢
増徴を撤回しようと領内3分の2の農民が城下 に結集した。,貞享3年 多田加助 松本藩
年貢
2斗5升 義民 1 書名 松本領貞享義民一揆の実像,松本領加助騒動 横山篤美/著 郷土出版社 1984.1 騒動の発端、
年貢
制度、5項目の要求、時代相の分析等々
明治5年 議定書
([解説])
維新当初は、
年貢
を納めるという旧来と同じ土地税制でしたが、明治五年に「壬申地券」が交付されることになりました,さらに、秋田県などでは記載地価額で国に土地を買い上げられるのではないか、新潟県ではこれまでの
年貢
の上に
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([解説])
「上畑村水災につき当立毛御見捨願」は、右のような大被害を受け、わずかな田地が残っただけなので、今年の
年貢
,
年貢
などとても納められる状態ではなかったことがうかがわれる。
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願
([解説])
「上畑村水災につき当立毛御見捨願」は、右のような大被害を受け、わずかな田地が残っただけなので、今年の
年貢
,
年貢
などとても納められる状態ではなかったことがうかがわれる。
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([解説])
「上畑村水災につき当立毛御見捨願」は、右のような大被害を受け、わずかな田地が残っただけなので、今年の
年貢
,
年貢
などとても納められる状態ではなかったことがうかがわれる。
松本藩庄内組大庄屋御用留
(3、大庄屋と折井家)
組の代表である大庄屋の職務は、組内取り締まり、用水・道路などの普請入用割、
年貢
の割付や取りたて、藩からの
パスファインダー
(赤報隊と上田の丸山久成、斎藤謙助)
鳥羽・伏見の戦い 西郷隆盛 東山道鎮撫総督 赤報隊
年貢
半減令 草莽 相楽総三 奥田元 丸山久成 丸山徳五郎,赤報隊と上田の丸山久成、斎藤謙助 雑誌 インターネット情報 新聞 「倒幕」と「
年貢
半減
パスファインダー
(近世北信濃の酒造)
年貢
米 天領 金納 石代納 米相場 酒造 酒株 酒造米高 株改め 勝手造り 他所酒訴訟 歴史人口 酒造運上金
パスファインダー
(松代騒動)
大切なり 義民 万治峠 六ケ郷 松明 太政官札 藩札 2割5分引 松代商法社 大谷幸蔵 蚕種生糸
年貢
パスファインダー
(中野騒動2)
出版社 出版年 ほおずき書籍 2012.12 安永6年正月、奥信濃の幕府領の農民が
年貢
納入延期
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
さらに江戸時代の飯田町の町役人や地子米(
年貢
)など基本的なこ とがまとめられている。
伊那県布令書
([翻刻])
新田開発を始 御国益筋之義存 付候ハゝ申出、吟味を受可申事 (改頁) 一 御
年貢
始
パスファインダー
(長野県の地名)
地形に由来する地名、地質に由来する地名、河川に由来する地名、開 発に由来する地名、耕地に由来する地名、
年貢
地震後世俗語之種
(絵の解説)
浜善光寺のある善光寺村は、大本願に
年貢
の塩を納めていました。
小県郡民謡集
(成人謡)
(依田窪中武 石村のみ上田領、死米(しにごめ 注12)碎米(くだけまい 注13)を除き
年貢
米を改むるを,15.おくらまい……領主の米倉へ収納する
年貢
米(ねんぐまい)。
宿継要書留
([翻刻])
御尋 一飯田町問屋ニ宿料有之哉否哉候段々 御答 此義者六年以前御書上仕候通、宿置屋敷 御
年貢
御免被遊,付替荷物ニ相障り候、宝永三 戌年出入之節、通馬・継馬可為勝手次第 旨御裁許有之、中馬稼ヲ以御
年貢
相,ヲ論外ニ而承之、勝手を以申争ひ 候儀ニ而、中馬方之者共義、右渡世致来り候 段ハ相違なく候得共、御
年貢
者有合之, (改頁) 毛ヲ以定候儀ニ付、右助成を以て御
年貢
相納 候由之申分ケ者難相立、寛文,茂無之、尤宿馬拾疋ニ而不足 仕候節ハ、近村々より雇馬仕継立 申候、依之地頭より宿並屋敷
年貢
諸役御差免
信州飯田町家控
([翻刻])
別府村之内桜町市右衛門分之高四拾俵有之 (改頁) 右之分ハ村役御免被遊候、名古熊村ハ御
年貢
米, 池田町通り問屋下也 但箕瀬町境大川より北方西側間口四間上飯田村之内 箕瀬分ニ而
年貢
出候也
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
これに対し吉田久左衛門様は、領主からそのように補助があり、
年貢
も安くしてくれているのなら、あなた方が貯金
宿継要書留
([現代訳])
御尋 一飯田町問屋に宿料はあるかないか 御答 このことは6年以前書き上げた通り、宿置屋敷御
年貢
は,中馬稼により御
年貢
を納め、百姓を続け、中仙道助郷役も勤めてきました。,中馬方の者たち は、渡世をしてきたことは間違いなく、御
年貢
は調べて定めているので、稼ぎの利益をも,って御
年貢
を納めるというのは成り立たない。,これにより地頭より宿並屋敷をいただき、
年貢
・諸役を免除され問屋給米4俵ずつ渡されてきました。
信州飯田町家控
([現代訳])
名古熊村は御
年貢
米も村へ持ち運ばないで、大手門の内の八軒蔵の南の角を、名古熊蔵と言い、名古熊村の町作分,但し箕瀬町の境の大川より北方の西側間口4間分は、上飯田村の内箕瀬分で
年貢
を出しています。
むしくら日記
(3巻 利)
年貢
はもちろんのこと、それぞれが食べるあてもなく、自然人心にも影響が出て、どんな心得違いの事件が起こるやも
地震後世俗語之種
([現代訳])
善光寺の近隣の松代藩領の村々に指示して、今年の
年貢
は善光寺へ差し出すように命じ、それを当面の救援手段とするということで
違作書留帳
([翻刻])
九十八反五セ廿八歩皆無 申十月十一日初納角之丞分 一壱両壱分 初納 十一月六日より
年貢
割
違作書留帳
([現代訳])
)、九十八反五畝二十八歩(皆無)、 申十月十一日初納、角之丞の分 一両一分を初納、十一月六日より
年貢
割
地震後世俗語之種
([現代訳])
のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀)ではないけれど、仮寝が岡(善光寺東側の城山)では雁の行き交う田の稲も
年貢
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