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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([解説])

1.塾や藩校・幼生寮から明治5年に学制発布後、松平学校になっていく様子は次のようであった。 ,「明治二年十二月末に藩制の改革があって、学制も改められ、幼生寮(注4)が拡張されたので、私も入学することゝなったので,、增田は退いたが、毎朝の読書は、従前通り先生の教授を受けた、幼生寮に移ったのは、明治三年と思ふ、……学科,は読書習字詩吟等であった、明治四年廃藩となったので、幼生寮も自然消滅となって、明治五年に学制が頒布(はんぷ
旧上田藩学制沿革取調書 全 ([翻刻])

所謂打込之稽古なり]弓術砲術 練兵測量之講習所を同所に移して[従来弓術馬術等之教塲ハ他処にあり] 其後又幼生寮,あり、明治二年藩制改革之令あるに及て、文 (改頁) 7 学校を講習西寮と称して生徒之教塲に為し、幼生寮,ニ同し] 師範[平士以上、俸禄一定之規則なし] 世話役[平士以下徒士以上、俸給定なし] 鐘美館幼生寮,惣司一人 頭取二人 目付三四人 定員なし 師範 定員なし 世話役定員なし (改頁) 鐘美館 幼生寮,学校構造及建物 地坪二千四百坪  文学校建坪凡百五十坪、武学校建坪凡百五十坪 但、文久以後区域を広め、鐘美館幼生寮病院并弓銃演習所
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

明治二年十二月末に藩制の改革があって、学制も改めら れ、幼生寮(注4)が拡張されたので、私も入学することゝなった,ので、增田は退いたが、毎朝の読書は、従前通り先生の教 授を受けた、幼生寮に移ったのは、明治三年と,思ふ、私の 祖父は幼生寮の世話役であった、此処(ここ)にて始めて、中島彌 門太、溝口多門司、宇川信三,付きになった、学科は読書習字詩吟等であった、明治四年   (改頁)   廃藩となったので、幼生寮
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