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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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善光寺独案内 (『善光寺独案内』の広告)

『善光寺独案内』の広告 『善光寺独案内』には、末尾に長野市の商店の広告が大量に掲載されています。,大門町は江戸時代以来、最も商店の多い町であったのは事実ですが、本書の出版元が大門町にあり、広告が取り易,広告の内容は、末尾近くにある薬の広告が目を引きます。,中でも、「岩間水」「雲切光明香」「明治水」といった目薬類の広告が目に付きます。 / 『善光寺独案内』の広告
別所温泉誌 (《交通》)

巻末には七ページの広告があります。,温泉案内書に旅館広告は当然ですが、蚕種広告が載るのはめずらしいことです。,その広告主は「有信館・倉澤運平」で、本文中にあった氷澤の蠶卵紙(蚕種)貯蔵用風穴会社の運営者です。
浅間山 (第十一編 拾遺雑編)

本文が終わると、写真入りの広告が多数載せられています。,広告の一つ一つが、明治後期の小諸地域と商業の様子を知ることのできる貴重な資料であるといえます。
曲亭一風京伝張 ([解題])

江戸時代後期は、引札などの広告文化が発展した時期でもある。,本書は、その中で生まれた「タイアップ広告」として、広告の歴史の中に位置づけることができる。
扶桑之蚕6巻 ([解説])

当時の雑誌には、広告が巻末に載っていることが多い。  ,同じ広告内には蚕業学校長三吉米熊の出身地である山口県長府の文字が見える。,3ページ後には三吉米熊が個人で「謹賀新年」のあいさつ広告を載せている。  ,載せられた広告の中で多いのはやはり蚕種である。,明治中期に多く製造販売された蚕種が、雑誌の広告からわかる。
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

はじめは旅籠屋名か店名が載せられていたが、広告料金を納入しないので削除したのか。,「商人衆定宿」の広告中に「しなのそば」「酒さかな」「御茶漬」など、飲食物が記されていることから、中小の,本陣や脇本陣などの大きな旅籠屋には飲食物の広告は見られない。  ,『商人衆定宿』の広告には「名物ど志やう汁」。現在も川魚の料理屋がある。  ,・「志 中山道塩尻 洗馬え一里三十丁」旅籠屋八軒、店四軒  2軒の薬屋、菓子屋の広告が見える。  
上田案内 ([解説])

案内書であるためか、目次のあとに商店の広告。続いて「上田市街図」と上田城址ほか写真三点。,梅毒にかかる者が多かったとみえ、このころから大正昭和前期にかけて発行される多くの地元新聞にもこの薬の広告,終わりに、三十五ページにわたって広告が続く。,本文九十余ページ中、三十五ページが広告とは、『上田案内』ならである。,明治期の上田の特色が、広告にまであらわれている。
小諸繁昌記 ([解説])

第四節 小諸町の写真・絵図  まず、商店の広告が九ページ載っています。,大久保のつり橋、懐古園、光岳寺、唐松、小諸商工歌などが紹介され、雑報として十九ページにわたって商店の広告,これで『小諸繁昌記』は終わっていますが、印象に残る記述は商店の広告を含め小諸の商家の紹介でした。
伊那繁昌記 ([解説])

また「本書は主として広告を集めてあるところから一種の広告帳とでも言うべきであろう。」,一種の広告帳と書いていますが、前半の神社・寺院の紹介より、むしろ後半の写真部分の方が目的だったのかもしれません
別所温泉誌 ([解説])

『別所温泉誌』が発行された同三十三年ごろには本だけでなく、商店の広告も活版刷りになります。  
科野佐々礼石 ([解説])

明治時代に鎮兄の子孫が長野市東町で薬店を営んだことは、この『標註科野佐々礼石』の末尾の広告で知ることができます
古今百馬鹿 ([解題])

刊行する本に自店「式亭正舗」の広告を載せる三馬の商法はたくましい。  
パスファインダー (小諸小学校浅間山研究会)

当時の商店など の広告も掲載されている。貴重図書として復刊された。
パスファインダー (花街権堂の歴史)

「善光寺権堂町之部」に水茶屋の広告があり(8軒は絵入り)、 当時の水茶屋の実態が絵を通してよく分かる。
諸国道中商人鑑 (2 『中山道道中商人鑑』の成立)

旅人が多くなり商品流通が活発となった江戸後期、冊子への掲載を希望する旅籠や店などから広告料を集め、出版
パスファインダー (蚕都上田)

広告にみる絹の文化―蚕都上田を中心に― 尾崎行也 繊維製品消費科学 2007  48 巻
諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

碓氷峠には5軒の「御小休所」が載っており、餅・餅菓子砂・糖餅・御茶漬の広告を載せている。  
川柳真田三代記 ([書誌・解題])

広告「月刊やなぎ樽研究」等5頁。  序「昭和五年十一月 時雨する夜 花岡百樹識」。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

夫(そ)れが四月に入学 試験の広告が出た処、アンドレイの歴史が、ウェルテルの 歴史に、変更されてゐたので
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

人力車滞にて爪も錐(すい きり)も立つる余地なく、例の御巡幸日誌や、絵図を鬻(ひさ)ぐ連中は処々にて広告
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