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松本藩庄内組大庄屋御用留
(3、大庄屋と折井家)
松本藩庄内組大
庄屋
御用留 / 3、大
庄屋
と折井家 松本藩の筑摩郡・安曇郡のそれぞれの組内の諸村を管轄するために、はじめは「組手代」,「組手代」は、のちに大
庄屋
(おおじょうや)となります。 ,享保11年に、松本藩の領主戸田氏は、大
庄屋
宛にだした「覚」のなかで、「これまでの組手代を大
庄屋
と唱え、,村々の名主を
庄屋
と唱え申すべきこと」と指示をだしています。 ,松本市域に関係する筑摩郡内の組の大
庄屋
の交代は、代々世襲となることがほとんどでした。 / 3、大
庄屋
と折井家
松本藩庄内組大庄屋御用留
(5、「御用留」にみる善光寺大地震の記録)
松本藩庄内組大
庄屋
御用留 / 本書によって、大
庄屋
の諸々の任務の実態の一端があきらかになります。 ,また、行方不明になった人の人相書を示して「左之人相之者村方へ参り候ハバ、留置右村
庄屋
方へ致通達候様組下村々
松本藩庄内組大庄屋御用留
(1、御用留)
松本藩庄内組大
庄屋
御用留 / 白板村の折井家は、この庄内組の大
庄屋
でした。 ,
庄屋
としての日々の勤めを書き記したりしていますが、ときには天候を記入しています。
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
松本藩庄内組大
庄屋
御用留 / 重兵衛 松本分 町分
庄屋
,嶋立組 上野組 高出組 大
庄屋
,、住居 逗留に致度申出候ハゝ、村役人 場ニおゐて生所身元得と相 糺し、大
庄屋
場申出、早速, 忠九郎方へ出張故、我等参ル、 外ニ金井藤井村役人与浅間
庄屋
弐人・惣社
庄屋
・筑摩
庄屋
,・南小松・湯原
庄屋
弐人 罷出ル、三日朝迄 九日三日 天気寒し、 大霜
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
松本藩庄内組大
庄屋
御用留 / 大
庄屋
の藤森・栗林・丸山・等々力・清水・上原・中沢・中田・小藤井・小藤森が出席した。,へ出張するゆえ、我ら参る、ほかに、金井藤井村役人と浅間
庄屋
二人・惣社
庄屋
・筑摩
庄屋
・南小松・湯原
庄屋
二人,・組頭久兵衛、桐原分
庄屋
一柳市郎左衛門、筑摩村
庄屋
百瀬庄二郎・組頭紋右衛門、中林村
庄屋
横内兵三郎・組頭三十郎,、渚村
庄屋
此右衛門、宮淵村組頭藤三郎、埋橋村
庄屋
三溝伝右衛門・組頭平左衛門、 (改頁), 小島村
庄屋
伝三郎・組頭忠兵衛、鎌田村
庄屋
権右衛門・組頭喜兵衛、両島村
庄屋
仁兵衛・組頭佐伝次、白板村
庄屋
折井仲三郎
松本藩庄内組大庄屋御用留
(4、御用留の書かれた年)
松本藩庄内組大
庄屋
御用留
松本藩庄内組大庄屋御用留
(2、松本藩筑摩郡庄内組)
松本藩庄内組大
庄屋
御用留
拾八町家並帳
(傳馬町弐丁目)
ニ 大工 文五郎 ハ 五間八寸 大工 藤七 五間一尺 ニ 大工 藤八 七間四尺八寸
庄屋
, 新兵衛 二間三尺五寸 ホ 道碩 ニ 二間八寸
庄屋
新兵衛扣 三間 ホ 角屋 利助
割田家文書
(史料3 寛保二年十二月 乍恐以書付奉願候御事)
利左衛門(印) 同 六右衛門(印)
庄屋
拾八町家並帳
(本町二丁目)
古川屋 七右衛門 五間一尺 ホ 小西屋 利右衛門 ニ 九間 伊勢屋 権三郎 六間一尺
庄屋
拾八町家並帳
(桜町壱丁目)
ホ 五間 福岡屋 彦四郎扣 五間 伊豆木屋 平八 ホ 七間三尺 福岡屋 彦四郎扣
庄屋
拾八町家並帳
(池田町)
西 六間五尺四寸
庄屋
拾八町家並帳
(松尾町壱丁目)
四間四尺一寸 綿屋 小三郎扣 五間 ロ 一文字屋 久蔵 ロ 四間 医師 邦助 九間 ロ
庄屋
割田家文書
(史料3 寛保二年十二月 乍恐以書付奉願候御事)
利左衛門(印) 同 六右衛門(印)
庄屋
拾八町家並帳
(本町三丁目)
西 イ 二間三尺 叶屋 源次郎 五間三尺
庄屋
格
拾八町家並帳
(知久町弐丁目)
西 イ 三間一尺 兵次郎扣 五間三尺 イ 南屋 勘蔵 十二間
庄屋
パスファインダー
(上田藩世直し騒動)
小県郡浦野組 入奈良本村 九郎右衛門 打ちこわし 焼き討ち 半プロレタリア-ト層 小農層 大
庄屋
村役人,村野磊三郎/著 信濃 1934 第一次第3巻9号 32-34 上田藩の世直し騒動について‐洗馬組の
庄屋
達
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([現代訳])
本陣・問屋・
庄屋
でも流死者がでました。 一 佐久郡は大災害となっています。
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
庄屋
新六方へ被参尋被申候訳之覚 一今朝致伺云候者、此間支配方ニ而塩之義ニ付、 ,、此間病気ニ而罷在候間もよりニも御座候へ者、貴殿江 参様子相尋候様ニ与申候間致伺云候
庄屋
新六,難有奉存候以上 (改頁) 15
庄屋
,・知久町
庄屋
喜三郎・池田町
庄屋
源次郎・松尾町
庄屋
新六此分東方薄縁之上 并十三町之水頭廿六人平町人筵上,、 運上取不申候 右之通依 御尋書上候趣如斯御座候 享保九年辰十二月廿六日
庄屋
拾八町家並帳
([解説])
町役人は、年寄・問屋・問屋格・
庄屋
・
庄屋
格などで、間口の長さが長かったり、家を何軒か持っていたりします
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
本町流死之人馬移(夥)敷押入、八月 二日より堀(掘)出申候、町在々人足移(夥)敷人込死人堀出申候、本町
庄屋
五右衛門父子,佐藤善太夫様御宿新町茂右衛門、御小人御目付之御宿新町与一右衛門仕候、廿一日ニ小枡堰御見分ニ御出被成候、当町
庄屋
,・年寄、新町
庄屋
・年寄罷出ル、御地頭様より御奉行成瀬 番左衛門様、御代官山本次右衛門様、下目付黒沢権右衛門殿御出,御普請方岡本養左衛門様ニ者、新町与一右衛門所ニ御泊り 被成候、同三日之晩上田御領海野宿ニ御泊り被成候付、三町
庄屋
又々御機嫌御伺,、早速札引取申候、右市も戌ノ八月十九日より新町ニ而本町市ヲ立申候、寛保四甲子ノ二月十七日ニ 本町
庄屋
久右衛門藤吉所
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
5月29日 【(朱書)5 ○】享保5(1720)年6月15日の朝、桜町
庄屋
三太夫
庄屋
新六方へ参,知久町
庄屋
与右衛門がこのことを申し出し、相談をしてきめた。,年寄福住兵次郎は御縁側の上、本町問屋九郎平・七町問屋文四郎・本町
庄屋
庄兵衛・知久町
庄屋
喜三郎・池田町
庄屋
源次郎,・松尾町
庄屋
新六並びに13町の水頭26人、平町人は筵の上に詰め、西方に桜町の水頭ならびに伝馬町
庄屋
与右衛門,
庄屋
三太夫も出てこなかった。
信濃国村名尽
([解説])
明治五年(1872)政府は、それまでの名主・
庄屋
・年寄など、江戸時代からの身分的職制を廃止し、地理的区画
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
本町
庄屋
五右衛門父子、問屋平右衛門父子・娘(妻は流されましたが、助かりました)、清右衛門と妻・母(娘は,二十一日には、小枡堰見分においでになり、当町
庄屋
・年寄、新町
庄屋
・年寄が出頭しました。,三町
庄屋
はまたまたご機嫌伺いに参上しました。与良町では兵七が参上しました。 ,そして二年後の寛保四年二月十七日に本町
庄屋
久右衛門が藤吉のところへ来て言うには、本町市はこれまで新町で
宿継要書留
([翻刻])
其上可差出事 一他所他国之者御城下町 住人罷成候義、年寄問屋 (改頁)
庄屋
遂吟味,、其上支配之 問屋・
庄屋
・町下代先立月 番奉行所江申達、差図 之上相極可申候 一雖為借屋之者, 信州伊奈郡飯田町 問屋 印
庄屋
, 堀大和守城下 宝暦十三未十月十日 問屋 印
庄屋
, 三郎右衛門 同 傳馬町
庄屋
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
飯田藩 脇坂氏 堀氏 飯田町 13町 5町 地子米 年寄 問屋
庄屋
組頭 商品流通
信州飯田町家控
([解説])
さらに裏表紙を見ると、「明治18年8月 蜂谷所蔵トナル」と記されており、綿屋から渡った先は、おそらく
庄屋
宿継要書留
([現代訳])
原久内代 町役人たちへ申し渡す覚 一公事・訴訟そのほか願い等のことは、その町支配の問屋・
庄屋
,、町下代迄内々に知らせ、それから差し出すこと 一他所他国の者が城下町住人になることは、年寄・問屋・
庄屋
,がよく調べ、支配の問屋・
庄屋
・町下代は、月番奉行所へ知らせ、差図を受けて決めること 一借屋の者であっても,届けておくこと 一町年寄役は城下町中の役儀であるので、すべてこころえていること 一町年寄・問屋・
庄屋
,
庄屋
源 六 傳馬町通
庄屋
新兵衛
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([解説])
本陣、問屋、
庄屋
の人々も流死しました。
パスファインダー
(力士雷電(1))
文武両道 旅日記 諸国相撲控帳 万御用覚帳 小県郡大石村 関半右衛門 けん 太郎吉 村相撲 長瀬村
庄屋
信州飯田町家控
([翻刻])
大横馬宿宜敷候故歟こぼれ (改頁) と名を付皆大横町へ参り、竪町淋敷成候故、知久町
庄屋
,御年貢米も村へ持 運ひ不申、大手御門之内八軒御蔵之南之角を則長熊 蔵と申長熊村町作分之内、米を
庄屋
参,何方不限売買致候ゆへか、寛文 十二年以来右九拾六両之御運上者不被召上候 一町方地子米之事町方役之問屋・
庄屋
之役替,御免許事 一三問屋諸役御免并居宅間口拾間分ハ地子米御免 毎年米八俵宛壱人ニ被下置候事 一町方
庄屋
六人,然共酒造米ハ随分減し株も五十三株 之外新酒屋停止被 仰付候事 一町中相談之上火事之時分人足支配之ため
庄屋
小諸洪水流失改帳
([解説])
これは与良町
庄屋
の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年大洪水余禄
([解説])
これは与良町
庄屋
の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
小諸大変書
([解説])
これは与良町
庄屋
の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1)
([解説])
これは与良町
庄屋
の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([解説])
これは与良町
庄屋
の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
信州飯田町家控
([現代訳])
一明暦3(1657)年上飯田村
庄屋
の原田源四郎が斬罪を仰せ付けられました。,蔵屋敷にいた人たちの茶畑があったのを、
庄屋
源四郎が差押え渡しませんでした。,
庄屋
が来て役人の改めを請け、納めることになっています。,一町方で出す地子米は、町方役の問屋・
庄屋
の役替えによって、間口の違いがあり、少しずつ増減があります。,一
庄屋
6人は地子米間口5間分免除されます。
『長野史料』索引
([翻刻])
小野通女逸事 玄古庵主ノ逸事 地京原女子狼ト格闘 矢島五左エ門ハ慶長以来代々ノ
庄屋
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([解説])
による出版 この図を出版した原昌言(1820―1886)は、上塩尻村(上田市上塩尻)の人で、後に
庄屋
上田の早苗
([翻刻])
此時之
庄屋
兼子七郎右衛門 添役兼子愛喜之助[兼帯諏訪部]田中 作左衛門山口村
庄屋
望月吉作 一同家之日記
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([翻刻・注記])
知久町三丁目 同断 桃燈屋源次郎殿息子 一 当酉九歳 柳瀬鹿次郎 爪印 上山村 十一月十五日 元
庄屋
吉右衛門殿息子
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)
而役人高百石ニ名主 壱人ツ々ニ御ふやし千石ニ拾大位之積ニ増 名主役弐百両組頭八十五両百姓代三十五両 大
庄屋
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
執事の下村氏(昔の
庄屋
)に面 会した処、旧藩時代に私の祖父には度々会ったが、面倒なこ と無理なことは
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