機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 21件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
松代まちあるきマップ
(19白鳥山證蓮寺)
;白鳥山證蓮
寺
證蓮
寺
證蓮
寺
写真をクリックすると、フルサイズの画像が表示されます。, 證蓮
寺
は、親鸞聖人の高弟・西仏坊覚明の子、
康
楽
寺
二世の法眼淨賀を開基とし、東条村に建立され、慶長年間,西仏坊覚明は、篠ノ井塩崎の
康
楽
寺
を開山。,その子・證蓮
寺
開基の法眼淨賀は、東本願
寺
蔵「聖人御絵伝」の原絵師。,
寺
内には、六代幸弘直筆の「親鸞聖人御影」や「聖徳太子像(上越市浄興
寺
像と姉妹仏)」がある。 / 19白鳥山證蓮
寺
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
(伝説の宝庫)
伝説の宝庫 『二十四輩順拝図会』のおもしろさは、単なる
寺
の由来の説明にとどまらず、宝物にまつわる伝説,瀬踏の阿弥陀如来(本誓
寺
)、落涙の太子(本誓
寺
)、柴阿弥陀堂の由来、身代名号(
康
楽
寺
)などは、それぞれが
善光寺独案内
([翻刻])
善光
寺
独案内 / 前一歩 清浄地 (改頁) 3 皆徃安
楽
国 歳在丁酉 春二月上浣,太皷 三個及諸音
楽
の器、皆 此処に供す。,祭神 大己貴命 延喜式神社帳ニ曰 美和神社 (改頁) 白鳥山
康
楽
寺
,安
楽
山往生
寺
山の苅萱といふ。 本尊 無量寿仏 苅萱親子地蔵尊あり。 ,後 松平遠江守に奉仕し、中古善光
寺
に居 定め、朴菴と号し仁術を施し、夙に風流 専ら茶事を
楽
ミとす
善光寺独案内
([現代訳])
善光
寺
独案内 / 、頼朝公は
寺
を建て、
寺
号を奉った。,太鼓3個および諸音
楽
の
楽
器、皆ここに供えてある。,「本多善佐は信濃守となり、勅命により
寺
を建立した。すなわち父の名によって、善光
寺
という
寺
号を賜った。,祭神 大己貴命 延喜式神名帳によると 「美和神社」 白鳥山
康
楽
寺
東町にある。,安
楽
山往生
寺
山の苅萱という。本尊 無量寿仏 苅萱親子地蔵尊がある。
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
善光
寺
道名所図会 / それから血脈(けちみゃく、師から弟子に法灯がうけつがれていくこと)相承して他力易往(いおう、極
楽
浄土にたやすく,文録元(1592)年に松本の六九に移り、松本藩主石川
康
長の菩提所となりました。,この
寺
は宝徳年間(1449~1452)に小笠原信濃守(しなののかみ)従三位中将源政
康
の草創です。,室町時代に林城主で信濃守護であった小笠原政
康
の開基です。,その後、徳川家
康
が幕府を開くと、これはあの兎のお蔭であると、正月には諸侯に兎のお吸い物を振る舞うこと幕府
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
(著者、絵師等)
著者、絵師等 『二十四輩順拝図会』の著者了貞は、河内の国専教
寺
(大阪府守口市)の僧でした。,信濃の部 越後から信濃に入り、戸隠山、明専
寺
、平出の藤兵衛宅、善光
寺
、堂照坊、西厳
寺
、長命
寺
、芝阿弥陀堂,、本誓
寺
、
康
楽
寺
、正行
寺
、長称
寺
、宮川神社を、絵を交えて紹介しています。,善光
寺
では、「善光
寺
朝参りの図」が貴重です。お朝事に集まった人々が描かれています。,これは『信州善光
寺
御堂額之写』にも取り上げられた有名な絵馬で、「幽霊の絵馬」として現在は善光
寺
史料館に
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長野町)
/西町/長門町/東町/伊勢町/元善町/栄町/立町/桜枝町/下西之門町/上西之門町/横沢町/狐池/西方
寺
裏,/下長野/御殿/来間池/上長野/村前/八幡裏/獅々沢/堂西/一本松/南往生
寺
平/北往生
寺
平/高岡/湯福,/湯福神社/伊勢社/八幡社/弥栄神社/天神社/稲荷社/諏訪社/山神社/御嶽社/大神宮社/西宮大神
寺
:,林昌院/西方
寺
/随勝院/
康
楽
寺
/法蓮
寺
/聞光
寺
/竜樹院 学校: 長野師範学校/長野学校 古跡・名勝,: 兄弟の墓/圧死人之墓/死事者之墓/本城墟/大峯城墟/真慶
寺
廃址/十二院廃
寺
跡/宝林院廃址/宝勝院廃址
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(筑摩村)
ねんらいじ)橋/大昌
寺
(だいしょうじ)橋 道路: 北国西往還/武石(たけし)街道/飛騨街道 社:,極
楽
寺
古跡・名勝: 戸田丹波守
康
長墓/松平丹波守光年墓/松平光領墓/松平光領室光子墓/松平丹波守光行墓,/旧生安
寺
址/旧瑞松
寺
址/旧長松院址/旧宝泉院址/旧常福
寺
址/旧長善
寺
址/旧広福
寺
址/旧本立
寺
址/旧大昌
寺
址,/旧念来
寺
址/旧全昌
寺
址/旧前山
寺
址/旧清宝院址/旧正福
寺
址/旧本秀院址/旧明覚院址/旧往生院址/清水里,/桜井清水/埋橋(うずはし)の調布/丹波塚の桜/権現の池/念来
寺
の時鐘/念来
寺
の大杉 物産1: 稲
パスファインダー
(松井須磨子)
牡丹刷毛(ぼたんばけ) 前澤誠助 女優 坪内逍遥 文芸協会 島村 抱月 芸術座 須磨子芸術倶
楽
部,2 書名 著者名 出版社 出版年 女優の愛と死 戸板
康
二/著 河出書房新社 1963年 内容紹介,出版年 須磨子への旅:前澤誠助との出会いと別れ 島村抱月の愛と苦悶 宮下明彦 上田図書館倶
楽
部,市誌研究ながの 出版年 2017.3 巻号頁数 第24号 2 論題名 かるかや山西光
寺
の,サーチ URL http://iss.ndl.go.jp/ 1 記事 松井須磨子芸術倶
楽
部
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([翻刻・注記])
寺
子屋入門記録「壱番入門記録」 / 当福屋才八殿娘 一 当戌拾一歳 前沢おみき 爪印 同断 同断 叶屋忠兵衛殿娘 一 当戌拾一歳
寺
尾, 17 同断 本町一丁目近江屋安兵衛殿息子 一 当亥拾歳 伊原善太郎 爪印 同断 来迎
寺
, 爪印 同十一日 町内真砂屋
康
吉殿息子 一 当子七歳 福沢松太郎 爪印 (改頁) ,小池豊次郎 爪印 (改頁) 33 丑正月二十三日 知久町二丁目伊賀や孫子 一 当丑拾一歳
寺
沢,町内加兵衛殿息子 一 当丑七歳 森下平二郎 爪印 (改頁) 34 35 二月 町内永
楽
屋庄兵衛殿孫
パスファインダー
(長野市篠ノ井地区)
キーワード 塩崎 共和 川柳 東福
寺
西
寺
尾 信里 布施高田 布施五明 瀬原 田 御幣川 会 横田,長谷
寺
康
楽
寺
どんど焼き 茶臼山 恐竜公園 川柳将軍塚古 墳 石川条里 川中島合戦 南長野運動公園 ,「篠ノ井」「塩崎」「共和」「川柳」「東福
寺
」「西
寺
尾」「信里」が篠ノ井地区である。,なお「西
寺
尾」は松代町西
寺
尾 も含んでいる。,西
寺
尾、信里の7地区に分けて、史 跡・文化財を説明し、それぞれ地図を添えている。
パスファインダー
(信濃の高僧)
普化宗の 祖という心地覚心、南禅
寺
を開いた無関普門、妙心
寺
を開いた関山慧 玄など、信濃出身の臨済宗の高僧, 天台宗 真言宗 浄土宗 浄土真宗 真宗 臨済宗 曹洞宗 普 化宗 虚無僧 無関普門 大明国師 南禅
寺
,五山 心地覚心 無本覚 心 法燈円明国師 規庵祖円 南院国師 関山慧玄 無相大師 妙心
寺
此山妙在 性海霊見, 西仏坊
康
楽
寺
浄賀 等順 道鏡慧端 正受庵 半田孝淳 天台座主 井上氏 保科氏 海野氏 善光
寺
,2 書名 著者名 出版社 出版年 信州の仏教
寺
院 第3巻 禅宗 郷土出版社編集部/編 郷土出版社
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
親鸞聖人は九字の名号を3幅お書きになり、1幅はこの明専
寺
に与え、1幅は現地の五郎大夫に下さり、1幅は播州魚橋安
楽
寺
,未詳) 白鳥山
康
楽
寺
(西派、院家) 柴村より2里半、塩崎(長野市篠ノ井塩崎)にある。,一
寺
を建立し、これを
康
楽
寺
と称した。,〇御伝絵四巻(御伝は覚如上人の御筆、絵は
康
楽
寺
2代目浄賀法眼筆。),西仏は
康
楽
寺
の開基で、海野小太郎幸親の息子、進士蔵人通広、後に大夫坊覚明と言った人である。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
は播州 魚橋安
楽
寺
に授け給ふとかや。,未詳] 白鳥山
康
楽
寺
[西派、院家] 柴村より二里半、塩崎に有。 報恩院と号す。,始め海野庄白鳥に一宇を開き、 壮んに真宗を弘め、後又塩崎に一
寺
を建立し、是を
康
楽
寺
と称す。,〇御伝絵四巻[御伝ハ覚如上人の御筆、絵ハ
康
楽
寺
二代目浄賀法眼筆。],西仏ハ
康
楽
寺
の開基、海野小太郎幸親の息、進士 蔵人通広、後大夫坊覚明といふ是也。
小諸繁昌記
([解説])
しばらくして、『下高井繁昌記』(同三十六年)、『長野繁昌記 一名善光
寺
案内』(同三十七年)などが続き、,第三章 小諸名士伝 第一節の「小諸名士列伝」では旧藩主であった牧野
康
哉から石塚重平まで、九人を挙げている,第四章 霊場案内記 「浅間山真
楽
寺
」「菱野薬師」「浅間登山」「布引山」が載っています。,布引山については特に詳しく、白い筋が入る布引岩、「牛にひかれて善光
寺
参り」の仏話発祥地であること、釈尊
寺
,三軒の商家)「純水館」の三製糸場 第六章 小諸の雪月花と雑報 大久保のつり橋、懐古園、光岳
寺
、
地震後世俗語之種
([現代訳])
自らが招いた禍いは逃れがたく、健
康
を損ね、恥を忍んで再び故郷に帰り、養母が立腹されるのをたしなめて許しを,慕って訪れ、緑を添える呉竹や常盤の松の枝にさえずり、毛氈ならぬ真菰(まこも)の莚(むしろ)を携えて田
楽
に,そのむべの山(吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋
康
秀)ではないけれど、仮寝が岡,のどかな春から「いざ行かむ雪見に転ぶ所まで」(芭蕉)の冬まで、四季折々の風流を
楽
しみ、御開帳の真っ最中,夕べには花の林に遊ぶかのように歓
楽
をほしいままにし、数万の灯火が昼を欺き群衆は所狭しと町中に溢れ、毒竜
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
は一斉に
楽
を奏す。,
楽
器の音が高らかに響きわたる)
楽
を奏す。, 林 敷右衛門 東 町 陸軍少輔
康
,
樂
寺
元善町仁王門前 内務書記官 兄 部 坊,生吉[七十歳]は稍(やや)健
康
を失ひたるも尚生存す。
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
今伯
楽
(はくらく)(注12)ノ一顧ヲ得テ。 ,人々健
康
ヲ保チ。且智達ヲ求メントナレハ。 速ニ截髪(さいはつ)(注15)シテ。,仮リニ村
寺
ニ設ケタリ。此
寺
ヲ安
楽
寺
ト云。最 大ノ梵宇(ぼんう)(注2)ニテ。イト壮観ヲ極メタリ。,注 (1)現駒ヶ根市 (2)
寺
。
寺
院。 (3)目的のために利用する便宜的な手立て。,勉強スル者又
楽
ミモ ナクテハナラス。其訳ニテ。学校盛ノ村々ハ。
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
(えい)、讃岐守原家村建武の功に依て之 を領し、子孫九代之を襲ひ、天文の始め、木曽の木曽左京大夫義
康
の,又同氏の周旋にて、如来
寺
伊那の善光
寺
の什宝なる臼を見る。 ,(改頁) 10 当
寺
は畳秀山開善
寺
と号し、小笠原貞宗の創建にして、開山は福州連江人清拙正澄,
寺
後の丘腹に又大なる墓 穴あり。
寺
の西に琴原の古墳あり。,川の西岸は神原村を以て、三河国北設
樂
郡冨山村に接し、其東岸は平岡村を以て、遠江国周智郡奥山村に接す
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
聞けば母堂(ぼどう)が十三歳で君を産んだとのことである が、家
康
も母が十五歳の時の子である、誰かが母,夕刻石堂の某
寺
についた。,当時の代表的な
寺
子屋師匠。,翌八日に善光
寺
大勧進に着蓮された。,清華家の徳大
寺
家から西園
寺
家の養子となる。徳大
寺
実則は兄。
違作書留帳
([現代訳])
塩尻市)の親方を潰したことを、十月十五日に御役所へ届けた、 洗馬宿(せばじゅく、中山道の宿場、善光
寺
道,の見かえし(布)を切ってくれた、 (改頁) 十一月六日 先年、石川玄蕃頭様(石川
康
長, ここに少し甲州紙があるで書き置く、 一休和尚のうたに、世の中は、貧しい、徳がある、苦しい、
楽
しいと,治るというのはこくだ、この七苦を、丹田(たんでん、下腹部の臍の下にあたるところ、ここに力を入れると健
康
と,落とさないという道理のように、私ごときは、百あれば五十くらいの身上に見せかけ、借用しないようにし、安
楽
に
/ 1ページ