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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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分県之建白 (信濃国から二つの県へ)

明治4年7月14日の廃藩置県によってそれらの藩がすべて県となります。,廃藩置県の4か月後の11月20日、明治政府の方針によって、信濃国内のすべての県が二つの県に合併されます,「長野県」(第2次)の範囲は、それまでの「長野県」(第1次)に、廃藩置県で置かれた松代県・飯山県・須坂県
龍駕の跡 (2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より))

侍従長加瀬直孝、宮内少輔吉井友実等65名余     *六大巡行の始まりとなった明治5年の九州・西国巡行は、廃藩置県後,明治4年7月の廃藩置県により藩知事(旧藩主)は東京在住を命じられたが、諸藩の対応は比較的従順でした。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (雨宮村)

(くにのみやつこ)/金刺氏(かなざしし)/村上氏/雨宮孫五郎/清野氏/村上義清/松平忠輝/真田信之/廃藩置県
信濃国村名尽 ([解説])

一方、信濃の各藩は、明治四年七月の廃藩置県により、そのまま県となりました、松代県、上田県、松本県、飯田県
伊那県布令書 ([解説])

四年十一月に長野県は、廃藩置県のときに県となっていた松代県・上田県などを含めた「長野県」、伊那県は、松本県
パスファインダー (中野県分県と長野県誕生)

そのなかで、 廃藩置県などによる信濃国支配体制強化が取り上げられており、中野 県分県と長野県誕生の背景
パスファインダー (信州の藩学(藩校))

明治維新期における藩校改革や廃藩置県後の藩校から学校創設の経過も学 ぶことができる。
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行 (長野師範学校開業式)

             (『信濃毎日新聞』明治十六年一月十四日)     注 (1)明治四年(一八七一)廃藩置県後
松本繁昌記 上・下 (2人の編輯人)

明治4年(1871)の廃藩置県で帰国。5年5月に開設した筑摩県学に出仕し、教師として出発します。
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと) ([解説])

明治4年(1871)7月、廃藩置県によって高遠藩は廃止となり、新たに高遠県が設置されました。
分県之建白 (分県の建白)

7月の廃藩置県で、12の藩を廃止して12の県とし、11月には12の県と伊那県を廃止して長野県の管轄を拡
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

明治四年廃藩置県後は右大臣。     欧米視察団全権。明治十一年の巡幸の時は右大臣。,明治     四年廃藩置県後、アメリカに留学し、帰国後明治     十三年に外務省に勤めた。  ,明治四年廃藩置県により免官。     
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

を経て徳川氏に至りても、屡々替代あ りしか元禄四年内藤丹後守清枚(きよかず)以後世襲して、明治四年廃藩置県
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

明治四年、廃藩置県後の府県官制改正により、知事のない府県に置き知事と同じ職務をつかさどった。
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

其者は筑摩郡深志村の須澤猪野藏[八十歳許]と云ふ者にて、松本藩の頃一代士族となりしが、廃藩置県の際廃禄
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