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松本藩庄内組大庄屋御用留
(1、御用留)
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 /
御用
留があります。,また『日本史用語辞典』(柏書房)では、「
御用
書留帳ともいう。,村は、廻状や触書を受け取り、それを
御用
留に控えたのち隣村に廻した」と説明しています。,松本藩筑摩郡庄内組白板の折井家の「
御用
留」をみましょう。,折井家には80冊ちかくの
御用
留が所蔵されていますが、弘化4年(1847)の「
御用
留」が、今回紹介したものです / 1、
御用
留
松本藩庄内組大庄屋御用留
(4、御用留の書かれた年)
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 / 4、
御用
留の書かれた年 この「
御用
留」の書かれた弘化4年、5年の、信濃国の出来事をみてみましょう。 / 4、
御用
留の書かれた年
松本藩庄内組大庄屋御用留
(5、「御用留」にみる善光寺大地震の記録)
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 / 5、「
御用
留」にみる善光寺大地震の記録 収録した「
御用
留」の記述は、弘化5年正月元旦からはじまりますが,収録した「
御用
留」によっても、当時の様子を知ることができます。,各地域での対応のありかたが「災害文化」であるといわれますが、この
御用
留には、地震情報の伝達のありようと / 5、「
御用
留」にみる善光寺大地震の記録
松本藩庄内組大庄屋御用留
(3、大庄屋と折井家)
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 / 収録した弘化四、五年の
御用
留を書いたのは、時期的にみて、折井伴右衛門正我だと考えられます。,本書の「
御用
留」の裏表紙には、「折井伴右衛門」と書かれています。,この折井伴右衛門正我は、嘉永3年、本書収録の「
御用
留」を記した2年後に亡くなっています。
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 / 渡候、 午 十二月 朝鮮種人参作立之儀、当分之内野 州一国之儀者不残
御用
,野州ニおゐて猥 ニ売買致候よ里隠作、又者参根 相対売候もの有之哉ニ相聞、不 埒之事ニ候、右国中
御用
作, 五左衛門 庄右衛門後家 くに 右之者共
御用
之儀有之候,六月十日 桐原分 沢村 定吉 右者来ル十三日御町所江
御用
,折井庄左衛門 右者明後十日御郡所 御呼出し 池上弥次兵衛 右者来ル十一日御町 所江
御用
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
松本藩庄内組大庄屋
御用
留 / 朝鮮種人参の作立てについては、当分のあいだ野州(下野国、しもつけのくに、今の栃木県)一国はのこらず
御用
,右の国中
御用
作になれば、今後は野州一国中のもの、人参種いっさい売らないようにすること、もしこれからも隠作,藤森善太夫・丸山杢右衛門・金井源左衛門・藤井佐左衛門・上条覚左衛門 来る十三日に御通用所より詮議の
御用
,牢扶持の話し合いがなかったので、早々に話し合うようにとの御達しがあった、金井より 一、宮淵村の役人に
御用
,改頁) 二十五日 天気、朝雨、地震折々 書付をもって申し遣す 松本分庄屋伊兵衛、右の者に
御用
松本藩庄内組大庄屋御用留
(2、松本藩筑摩郡庄内組)
松本藩庄内組大庄屋
御用
留
拾八町家並帳
(桜町壱丁目)
クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています) 御制札 辻番木戸うらなり
御用
水,中屋 イ 儀兵衛 南 イ 嶋田屋 三間 留兵衛扣 イ 二軒屋 七間 清兵衛
御用
屋敷
原町問屋日記(嘉永6年)
([翻刻])
3)嘉永六年九月十七日 一 夕方御奉行様より御使ニ付太郎兵衛両人参上候処、御家中面々異国船一件ニ付
御用
意向差支,ニ付金子才覚被成度之処、御勘定奉行も此度ハ両問屋江頼入申度先自分より申聞置呉候様、何れ成とも才覚
御用
立可然候
寛保二戌年水害御届書
([翻刻])
城内并侍屋鋪・町家 損失之覚 一、本丸二丸三丸并居宅床上三尺 所ニより四、五尺泥水押込申候 一、
御用
米蔵城下迄泥水入,
御用
米五百石泥下罷成用立 不申候 但随分防候得共急水押懸退合 不申(候)
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([現代訳])
田地の堤防工事をしていただいても、宿場を維持できなければ、田地を所持している甲斐がなく、宿場としての
御用
,まず宿場の堤防工事をしていただけば、宿場を維持することができ、往還
御用
を務めることができありがたく存じます
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([翻刻])
以田地 川除被成下置候而茂、駅宿難相立仕合ニ 御座候而ハ、田地所持仕候甲斐無御座、往還
御用
相勤,儀者追々手前普請ニ可仕候、左候得ハ重 2 畳之御慈悲ヲ以駅宿相立、往還
御用
寛保二戌年水害御届書
([現代訳])
丸・三の丸並居宅床上浸水約90cm、 所により約1.2~1.5m泥水が押し込みました、 一、
御用
米蔵,や城下まで泥水が入り、
御用
米500石余に泥が入り、用を なさなくなりました、 但
パスファインダー
(御代田町塩野のカラマツ人工林)
著者名 出版社 出版年 天然カラマツ、人工カラマツ、小諸藩、御林、牧野康哉、保護林、天保の 飢饉、
御用
部屋日記,北佐久郡役所/編 北佐久郡役所 1915 内容紹介 第二編歴史篇第八章徳川時代第四項勧業に、
御用
林,についてふられ ている「安政四年小諸藩
御用
部屋日記」が掲載されている。
拾八町家並帳
(傳馬町弐丁目)
徳左衛門 ヘ 四間五尺 丸や 定左衛門 三間三尺 ヘ やねや 仙助 西教寺借屋
御用
水通
パスファインダー
(力士雷電(1))
勝率九割六分二厘 寛政力士伝 江戸文化 落語 芝居 雲州藩 松平不昧 文武両道 旅日記 諸国相撲控帳 万
御用
覚帳,スーパースター名大関・雷電為右衛門は、現役中から 旅日記ともいうべき「諸国相撲控帳」と公文書メモ「万
御用
覚帳,1999.2 名大関雷電為右衛門は、現役中から旅日記とも言うべき「諸国相撲控 帳」と公文書メモ「万
御用
覚帳
検地仕法
([翻刻])
十字 (改頁) 御検地御役人 御勘定奉行 豊田藤之進
御用
人, 門田田門 同 高柳小三郎
御用
人 峰本助市, (改頁) 8 田中新五兵衛
御用
人小泉仁助 御普請役永井杢太夫
寛保二戌年水害御届書
([解説])
急に水が押しかけたので防ぎようがなく、城詰
御用
米蔵にも泥水が押しこみ、使えなくなりました。
寛保三年三月復旧方懇願書
([翻刻])
鹿曲川橋壱筋へ たゝり申ニ付、別高ニ而罷有候、勿論 本町ニ引続候ニ付、加宿同前(然)ニ昼夜 往還
御用
相勤
パスファインダー
(力士雷電(2))
佐久間象山撰文 力士雷電之碑 深川富岡八幡宮 無類力士 雷電像 雲州松江潘 上覧相撲 八重 諸国相撲控帳 萬
御用
覚帳,スーパースター名大関・雷電為右衛門は、現役中から旅 日記ともいうべき「諸国相撲控帳」と公文書メモ「万
御用
覚帳
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長地村)
る キーワード 字地: 上村/下村/中町/横河/中村/中屋/花田/福沢/神宮路/神明木/御所/
御用
地
松代まちあるきマップ
(33尼巌山浄福寺)
藩
御用
商人・豪商八田家の墓地がある。
寛保三年三月復旧方懇願書
([現代訳])
もちろん、本町に続く村なので、望月宿の加宿同然に昼夜往還
御用
を務めています。
明治3年歎願書
([現代訳])
不肖の私が申し上げるのも恐れ入るところではございますが、養父のときから長年にわたり藩のご勝手方
御用
を勤,私自身も文久元年から志願し、藩の
御用
を勤めるようになり、非常時の手当として囲い米などをしてまいりました,かねて志願し勤めさせていただいています藩の御勝手向きの
御用
が行き届かなかったことを残念に存じます。
違作書留帳
(1、「違作書留帳」)
「
御用
留」などの公的な記録の綴りとちがって、角之丞が被害の様子や飢饉時の心構えを後世に伝えたいという意図,当時の丸山家当主の丸山角之丞は、毎年作成している「
御用
留」や家政に関わる公的日誌のほかに、とくに天保4
検地仕法
([現代訳])
、六尺、二間、杖に寸尺あり、十字 (改頁) 御検地御役人、御勘定奉行豊田藤之進、
御用
人門田田門,、同(御勘定奉行)高柳小三郎、
御用
人峰本助市、 (改頁) 田中新五兵衛、
御用
人小泉仁助
秀吉と真田
(伏見城普請)
伏見御作事の
御用
に候の条、柾板百五十駄、国本に残し置き候人数を以って、木曽より朝妻迄相届け、即ち石川兵蔵奉行,急の
御用
に候条、由断すべからず候。尚石川兵蔵申すべく候也。
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([翻刻])
申者取扱御聞済之由ニ候 (2)安政六年六月二十四日 一 神奈川横浜貿易十九日相始糸引合相成候旨、此方より
御用
掛
松代まちあるきマップ
(18松代まち歩きセンター 八田家)
年末~正月三ヶ日、お盆期間 駐車場完備 八田家 八田家 八田家 江戸時代には松代藩の
御用
商人
宿継要書留
([翻刻])
ケ宿惣代之者共帰村仕候様被 (改頁) 79 仰付候、松本町問屋之儀者
御用
,不相弁候、商人益有之候荷物随分継 送、右之助成を以
御用
并武家通行 之用事相勤可申儀与被 仰候, 右御答 只今迄
御用
筋之儀者、先達而申上候通 余斗人馬入用之節者、地頭役人江相願 相勤申候,り町内困窮仕候、 当時入之上
御用
ニ難義仕、見合罷遣候 申上候得ハ 上 拾八丁一同ニ相成候得,ハ左程義も 有間敷候、慥被仰候品々継荷相成候 (改頁) 得ハ、明日より上ノ
御用
パスファインダー
(純水館)
キーワード 酢久 小諸藩
御用
達 高橋平四郎 澁澤榮一 小山久左衛門 大里村 諸 茅ケ崎 小山房全
パスファインダー
(東信地方の薬用人参(朝鮮人参)栽培)
4 書名 野州―国
御用
作朝鮮種人参の歴史 著者名 熊田一/著 出版社 熊田一先生著作頒布会
明治3年歎願書
([翻刻])
是迄従前御領民御救済ニ付而者厚く被為尽 御仁恵候御儀ニ而、不肖之私奉申上候茂恐入候得共、養父以来 長々御勝手
御用
向相勤
パスファインダー
(上田藩世直し騒動)
層 小農層 大庄屋 村役人 豪農商 チャラ金 二分金の引き換え 米の高値 村役人の選挙 入り札選挙
御用
パスファインダー
(貞享3年(1686)の加助騒動)
明治38年6月29日 成立苦悩、水野家の時代、戸田家時、諸改革、幕末・維新 信州安曇郡長尾組与手代
御用
留日記
パスファインダー
(小山久左衛門)
概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 江戸時代、小諸藩の
御用
商人
パスファインダー
(鳥居義処)
浅科村史 浅科村史編纂委員会/編 浅科村 2005.5 明治3年からの御牧原の開拓を藩士と旧藩
御用
達
信州飯田町家控
([翻刻])
り 下伊那郡五万石を御知行被成、当御代江戸御 城之御天守御普請ニ付而信州之諸大名へ材木
御用
被仰付,上総国長柄郡 一之宮ニて御領知 一御城下町拾三町古来京極高知公御代迄毎年
御用
,同前伝馬宿ニ被仰付町名 桜町と御付被成る候、御伝馬相勤候故町役御地子米ハ 御免被遊候、御伝馬
御用
一, 宛毎年上納仕候、村方之もの一切不相成事 一御領分中諸職人国役として一ケ月ニ一日年内ニ十二日宛
御用
,ハ国役 と申候而古来より一ケ月ニ一日宛作料無之御扶持方斗り ニ而御領主様江相勤め来り候、此外
御用
宿継要書留
([現代訳])
松本町問屋は
御用
があるので、残っているように仰せ付けられた。,一馬継場の問屋は不勝手では、
御用
のことをわきまえていない。,12月8日 有幸様
御用
■■ 覚 御定借
御用
金について,答 追々江戸の
御用
が重り、町内困窮しています。,当時金子の
御用
に困り、見合せていると申上げる。
絵頭入書百性往来童子宝全
([翻刻])
助郷問屋人 馬割触順番宿駅 (改頁) 10 之到着
御用
無指
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([翻刻])
閏三月朔日万延ト改元 同月五日老中連署ノ奉書ヲ以明六日 (改頁) 大和守ニ
御用
有之名代
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
脇坂氏 堀氏 飯田町 13町 5町 地子米 年寄 問屋 庄屋 組頭 商品流通
御用
金
信州飯田町家控
([現代訳])
この時江戸城の天守普請について、信州の諸大名へ材木
御用
が仰せ付けられました。,一城下町13町は京極高知公代迄、毎年
御用
の榑木を伐出し、
御用
に遣われていました。,伝馬
御用
は1ケ月の内10日までは伝馬町で勤め、11日より29日晦日迄は、桜町3町が勤めます。,奉行・代官・役人中の村への
御用
の通知・触書等を送っています。,このほか
御用
で行っても、仕事内容により作料を下さることになっています。
寛保二壬戌歳満水記
([現代訳])
により埋まった、田畑残らず砂入、 仙仁村 一山沢押出し、家11軒流、内[寺1軒 袮宜家1軒]
御用
木,一家14軒流 渋湯湯坪共に押払い、 保科村 一家78軒内[51軒流、27軒潰] 流死7人、
御用
漆木大小,間皆山抜、水押出した、 専納村 一山抜水押出、道橋諸所損申侯、 中沢村 一古川通柳
御用
木残
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
平手代相沢斧右衛門様 広瀬彦七郎様
御用
人馬渕六郎右衛門様,又候塩名田宿へ 十二日ニ御帰被成候、 一四月十九日御見分ニ御出被遊候御方 御勘定方村上茂左衛門様
御用
人松田藤太夫殿, 右同断岡田甚九郎様
御用
人県(あがた)藤八郎殿 御普請方桜井文八郎様御一所
パスファインダー
(田中芳男)
作成した図鑑などの写真を多くのせている 2 書名 著者名 出版社 出版年 田中芳男「虫捕
御用
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([現代訳])
同月5日老中たちが名を連ねた書が来て、6日大和守に
御用
があるので、代理の者を登城させるようにと書かれていた
寛保二壬戌歳満水記
([翻刻])
内七軒山抜埋申侯、田畑不残砂入、 仙仁村 一山沢押出、家拾壱軒流、内[寺壱軒 袮宜家一軒]
御用
木五百本余流, (改頁) 一家七拾八軒内[五十一軒流二十七軒潰] 流死七人、
御用
漆木大小七百本流,#160; (改頁) 16 一山抜水押出、道橋諸所損申侯、 中沢村 一古川通柳
御用
木不残流申侯
『長野史料』索引
([翻刻])
切支丹宗門人別改帳 東町 人二 明和二年善光寺領人別調 人二 二三 測量
御用
書上
地震後世俗語之種
([翻刻])
をはしめ川辺に連な る村々其数多しといへとも、今にも水の押来り なん事を恐れて家に在もの壱人もなく、
御用
,御役掛りの面々、桜の馬場 左右に軒を連ねて仮役所を補理ひ、此上の急変 如何なれはとて万端此所において
御用
弁,因て西条村開善寺へ[御祈願所] 御立退の
御用
意ありけるとかや[
御用
意而已ニテ御立退ハ未有]。,此時 御主君の御一大事を存る旨の御 家臣 御立退の
御用
意言上す。,○後編五の巻にハ、 おのれ不肖たりといへとも、時にあたりて勤役 してあれハ、
御用
にかゝハる
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