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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (御馬寄村)

御馬寄村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):佐久市(さくし) 明治初期:御馬寄村(みまよせむら,) 幕末から明治初期:御馬寄村/上木戸/下木戸/木戸口/流鏑馬/的場 幕末から明治初期(よみ):よませむら,民業女: 製糸工女・農事補助と養蚕/冬・春紡織 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 御馬寄村全図 / 御馬寄村
パスファインダー (中山道千曲川往還橋)

トピック(テーマ) 中山道千曲川往還橋 ねらい 江戸時代、中山道の塩名田宿と御馬寄村,キーワード 中山道、塩名田宿、御馬寄村、千曲川、往還橋、中津橋、川越し、 船渡し 概要を知,/著 浅科村教育委員会 1999.03.31 橋のことも含めて、千曲川をどう渡ったか、地元塩名田・御馬寄,) 臼田町誌編纂委員会/編纂 佐久市臼田町誌刊行会 2008 中山道千曲川往還橋(一)―塩名田宿・御馬寄村間,1973.05.01 第25巻第5号 40-54 通巻281号 414-428 中山道千曲川往還橋(二)―塩名田宿・御馬寄村間
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (山本村)

キーワード 字地: 西洗馬(にしせば)/小野沢(「おのざわ)/針尾(はりお)/古見(こみ)/御馬越,御嶽社/山神社 寺: 光輪寺/薬師堂/古川(こせん)寺/十王堂 古跡・名勝: 武居城址/旭城址/御馬越
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日義村)

前合渡/大庭/堤洞/御霊/陣垣外/宮木 山: 神谷(かみや)山/砂ヶ瀬山/野上山/通シ山/西山/御馬沢
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

、本町裏馬場へ押出し、押兼五郎左衛門様屋敷へ押上、御居宅不残、表御門押流ス、御座敷・長屋計残ル、其水御馬屋前押通,り、  御長屋押流ス、御馬屋計残ル、御花見御櫓押掛ケ、水壱尺之余御櫓之壁へ上ル、大手口之水者瓦御門へ,御城内江御入被成、袋町侍屋敷北側にて六軒御侍屋敷  水押流之跡より御覧被成、馬場町鹿嶋裏並本町南裏御馬場御馬屋前通,二之御門江御入、二之御丸・御本丸・御城裏御天守之台、荒神・天神・稲荷之御宮、御銭蔵・御詰蔵、御城裏  御馬場無残所御覧被遊
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (天明騒動記)

佐久郡では、志賀、内山、平賀、中込(下中込)、野沢、三塚、桜井、下県、八幡、原新田(五郎兵衛新田)、御馬寄
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

(改頁)      4   馬場裏押水、上ノ袋町ヲ押し、下ハ押兼五郎左衛門屋敷庭より裏門塀押流、御馬屋外塀
秀吉と真田 (小田原出陣)

是は先年御馬太刀をも納められ候者の事に候間、助命され、家康へ遣はされ候。,これは先年御馬太刀をも納められ候者の儀に候間、是非無く御助け成され候。即ち家康へこれを遣はされ候。
秀吉と真田 (北条氏討伐へ)

抜公事表裏仕り、重々相届かざる動きこれ在るに於いては、何れの所成り共、堺目の者共一騎懸けに仰せ付けられ、自身御馬
寛保二壬戌歳満水記 ([現代訳])

一長屋半潰  興津民之進 一家残らず流れ  山寺藤八 一居宅潰   大島武左衛門 一両御厩の御馬流死,流された箇所と御領内の被害を訴え出た村、訴え順で不同、 一木町橋 一紺屋町橋 一片端(羽)町橋 一御馬出橋
寛保二壬戌歳満水記 ([翻刻])

沢十大夫 一長屋半潰  興津民之進 一家不残流  山寺藤八 一居宅潰   大島武左衛門 一両御厩御馬流死合三拾弐疋,  松代之内橋流事附御領内訴出時分不残村順訴次第不同 一木町橋 一紺屋町橋 一片端(羽)町橋 一御馬出橋
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

塩名田は対岸の御馬寄村とともに、千曲川往還を守り、継立を遅滞なくするために置かれた宿だった。
浅間焼覚帳 ([翻刻])

小諸牧野遠近(江)守様番頭・御奉行・御代官・  大目附・御足かる始とて、与良町きと口江  十月二日ニ御馬乗
明治二年八月上田騒動一件書留 ([翻刻])

出役之上夫々相渡ス、 中沢哲次郎 切田善左衛門 (改頁) 22 九月廿日 天気、五ツ時頃  殿様御馬,、御付之方々皆御ひろい 御馬の上ニて銘々之宅前ニ而御意、不慮ニあいこまるだろふ、夫より向源寺へ 御立寄
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

けられ、同じく八時、鹵簿(ろぼ 天子の行列)整ひたる旨の奏上(そじょう)によりて、赤坂皇居御車寄より御馬車,其後ガ則チ聖上ノ御馬車ナリ。,次ニ右大臣ノ馬車ニテ其美麗ナルコト御馬車ニ劣ラズ。,聖上ニハ御馬車ニ在シテ、屡々(しばしば)浅間山ヲ望ミ給ヒシカド、折節昨日ヨリ山ノ半腹以上ハ雲霧(うんむ,御馬車台の上高く座せる二人の中何れが至尊(しそん 天皇のこと)なるかを甄別(けんべつ はっきり区別する
むしくら日記 (1巻 元)

してハ震続けけるまゝに、大書院の庇の瓦ぐ わら/\と崩れ落ける、斯震つゝけ侍りてハ御城も 危うし、御馬場,山和合院が物語也と聞しが、其時二十ケ所程に火みえたりしとそ、]先に賄の焚出しせよと 有司に申せしかば、御馬場,ありたれど見合ニ成、其まゝに有 しか、少しく斜ハ出たるや、更に損せす、御厩ハ大斜み 倒るゝ計なる故、御馬御本丸,    (改頁)      15   遣りぬ、暫く過て倉田熊作一人戻り、御注進/\と呼 はり、御馬場仮
上田の早苗 ([翻刻])

大事ヲ前ニ置テ空ク日ヲ経玉ハンコト如何ナリ、先軍勢ヲ引上ラレ  上方へ御急キ可然由申ニヨリ、秀忠卿御馬,せ り、[此大火ニ付、大久保山口御林より材木伐出し類焼人江被下、] 一同月廿五日朝、御館炎上す、御馬屋
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

岩村田宿を 打立、夫より内山・志賀之辺え押寄、中込・野沢・ (改頁) 19 三ツ塚・原新田・下県・御馬寄
むしくら日記 (1巻 元)

先に賄いの炊き出しをせよと役人に申し付けてあったため、御馬場の二か所に火を焚いて大釜で飯を炊いていたので,しばらくすると倉田熊作一人が戻り、「ご注進、ご注進」と呼ばわり、御馬場の仮屋の前にうずくまって、「水です
むしくら日記 (3巻 利)

       以上 ○須坂侯いまだ御壮年十六七のよし、十六七日の比川辺   村々御巡見あり、猩々緋の御馬具見事
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([翻刻])

右之者印形持参、明廿五日  御召出し候、   廿四日 雨天   廿五日 同断 一馬商ひ之儀、江戸御馬役,より国許  御馬役江、別紙之通申参候ニ付、  売買等之義、委細取調急之  申出候様、郷目附被仰聞候
おらが春 ([翻刻])

一茶   鶯の馳走ニ掃しかきね哉 ゝ   馬迄もはたこ泊や春の雨 ゝ   雀の子そこのけ/\御馬
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([現代訳])

持参し、明日二十五日に御召し出た、 二十四日 雨天 二十五日 同じ 一、馬の商いについて、江戸の御馬役,より国もとの御馬役にあてて、別紙のとおり申し参ったので、売買等について、委細取り調べて急いで申し出るように
源氏百人一首 ([本文])

(やしろ)を見て其以前(そのかみ)、齋院の御禊(ごけい)に源氏の御ともせし事を思ひ出て詠る也、源氏と御馬
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