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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (徳川秀忠軍の上田攻め)

徳川秀忠軍の上田攻め 「秀吉と真田」の目次はこちら  徳川軍は家康が東海道を、秀忠は中山道筋を進むことになった,昌幸・信繁父子は上田城に立て籠もり、押し寄せた徳川秀忠軍三万八千を、わずか二千五百という兵で待ち受けた,八月二十一日 家康(花押)      真田伊豆守殿   真田信幸宛徳川秀忠書状 <史料解説,> 「真田信幸宛徳川秀忠書状」   真田宝物館蔵   慶長五年(一六〇〇)八月二十三日  上杉景勝討伐,のため下野宇都宮に滞陣していた徳川秀忠は、中山道筋を西へ上ることになった。 / 徳川秀忠軍の上田攻め
秀吉と真田 (真田氏の動静)

真田」の目次はこちら  この間の真田氏の動きを知る史料としては、まず慶長四年閏三月二十五日の信幸宛て徳川秀忠返書
木曾山林学校 (2.木曽の歴史)

慶長5年(注2-7)関ヶ原の事起るや徳川秀忠軍を率ゐて木曽路を過ぐ時に、木曽氏の遺臣山村良勝、千村良重召
上田の早苗 ([翻刻])

首級千六百三十余級ト云フ、寄手利ヲ失ヒ引退キシ  トソ、  二度ノ城攻ハ慶長五年九月朔日、中納言徳川秀忠卿野州宇都宮御陣
信濃名勝詞林 (戸隱山紀行)

えいろくくわんねん)戊午八月(ほこはちくわつ)) 九 西山公書翰(せいさんこうのしよかん) 十 德川秀忠和歌
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