機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 4件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
秀吉と真田
(徳川秀忠軍の上田攻め)
徳川秀忠
軍の上田攻め 「秀吉と真田」の目次はこちら 徳川軍は家康が東海道を、秀忠は中山道筋を進むことになった,昌幸・信繁父子は上田城に立て籠もり、押し寄せた
徳川秀忠
軍三万八千を、わずか二千五百という兵で待ち受けた,八月二十一日 家康(花押) 真田伊豆守殿 真田信幸宛
徳川秀忠
書状 <史料解説,> 「真田信幸宛
徳川秀忠
書状」 真田宝物館蔵 慶長五年(一六〇〇)八月二十三日 上杉景勝討伐,のため下野宇都宮に滞陣していた
徳川秀忠
は、中山道筋を西へ上ることになった。 /
徳川秀忠
軍の上田攻め
秀吉と真田
(真田氏の動静)
真田」の目次はこちら この間の真田氏の動きを知る史料としては、まず慶長四年閏三月二十五日の信幸宛て
徳川秀忠
返書
木曾山林学校
(2.木曽の歴史)
慶長5年(注2-7)関ヶ原の事起るや
徳川秀忠
軍を率ゐて木曽路を過ぐ時に、木曽氏の遺臣山村良勝、千村良重召
上田の早苗
([翻刻])
首級千六百三十余級ト云フ、寄手利ヲ失ヒ引退キシ トソ、 二度ノ城攻ハ慶長五年九月朔日、中納言
徳川秀忠
卿野州宇都宮御陣
/ 1ページ