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書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([現代訳])
[現代訳] 八月一日に雨が降り出して千曲川が急に満水し、日暮れには
押切
の土橋に達した。,その時の水によって、
押切
の高札場近くの道が三尺から六、七尺ほど押し掘られた。 ,羽場や
押切
では多くの家が屋根のグシまで水没したが、流されて死ぬ人はいなかった。 ,れ、水の流れと風のかげんで再び
押切
へ戻された。,それから山王島の北へ来たところ、またまた
押切
の方へ流されて来て、ようやく山王島と
押切
との村境の柳の木にひっかかった
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(下室賀村)
神宮寺/上ノ平/樋ノ詰/白砂/大洞/一ノ谷/白砂山/嶽ノ里/嶽ノ鼻/嶽ノ木/太屋ノ沢/池下/赤坂/
押切
前,下堰/赤坂堰/神宮寺沢/日蔭沢/平芝池/樋ノ詰池 橋: 上ノ橋/中ノ橋/下ノ橋/宮ノ平橋/田中橋/
押切
橋
寛保二壬戌歳満水記
([現代訳])
袮宜家1軒] 御用木500本余流、田畑砂入、用 水堰10町押抜、 上平村 一用水堰土手
押切
,、田畑砂入、 千田村 一煤鼻川岡田村より水
押切
、田畑石砂入数多く、 向八幡村 一家,、 柳沢土手50間余、滝沢土手15間、日方沢土手20間、犀口土手 30間、シブタ堰土手30間
押切
, 広瀬村 一用水堰道橋諸所抜落、田畑山抜諸所、家屋敷砂入、 吉田村 一浅河原土手
押切
,れ、河原堰50間、氷沢堰50間程
押切
、家11軒 押払い、但石川分 久保寺村 小柴見村 一
寛保二壬戌歳満水記
([翻刻])
用水堰 拾町押抜、 (改頁) 8 上平村 一用水堰土手
押切
,、半死九人退ニヤ、尓今不 見、田畑水入、 四屋村 一犀口三堰上下幅六間、同所両堰九間余
押切
,田畑諸所砂入、 (改頁) 10 南堀村 一浅川原土手吉田方
押切
, 牧島村 一家三拾弐軒流 男壱人女壱人流死、田畑砂入数多、 南俣村 一煤花川諸所
押切
,、河原堰五拾間、氷沢堰五拾間程
押切
、家拾壱軒 押拂申、但石川分 (改頁)
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([翻刻])
(改頁) 64 ○寛保二戌年八月二日大満水之事 八月朔日雨ふり出し急満水、同日暮方
押切
分,共千曲川水以之外ふへ、西村残らず、東村ニ而も 中村之中より下も水入ル、上ミ村ニ而も松川の水ハ入 申候、羽場
押切
西村,#160; (改頁) 山王島の西より屋ねの上へに人四五人乗り流レ 来り、
押切
,小沼の前へ 流出候所、夜間瀬川押かけ候ニ付、大熊桜沢の 前を南へながれ申候、水風のかげんか又
押切
,山王島村の北へ参り候所、又々 山王島村西水先ニ懸り、水土橋之方へ流れ 来り候所、水土橋の南山王島村
押切
村地
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([解説])
牛島の者達が漂流して一周した、
押切
から小沼、大熊、桜沢にかけての地域は、延徳沖と呼ばれる水害常襲地域である,幕府へ直訴した二十三か村は、現在の小布施町の山王島、飯田、小布施、
押切
、北岡、羽場、清水、矢島、六川、,一行は滞在途中で旅費が足りなくなり、
押切
、小布施、六川、東江部、草間の五か村の名主を残して、十八か村の
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日影村)
蒲田/田中/萩之峯/樽/祖山/古在家/十二平/大久保/西京/府成/落合/岩下/入川/小佐出/田之頭/
押切
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(青木島村)
/北町/南町/南町裏/横町/北町裏/中河原/入殿/北河原/柳河原/諏訪河原/外河原/狐島/太子河原/
押切
河原
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(押羽村)
現在(令和2年):小布施町(おぶせまち) 明治初期:押羽村(おしはむら) 幕末から明治初期:
押切
村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大島村)
: 横割(よこわり)/切次(きりつぎ)/青島(あおしま)/小金島(こがねじま)/本軒(ほんけん)/
押切
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([翻刻])
ニ、 此度之満水ニ而村東ハ千曲川、村南ハ大石川、村西ハ八郡川、 2 北者沢入川河除
押切
むしくら日記
(3巻 利)
(改頁) 大室村軒下又ハ鴨居下迄水付、居家流候も多分、 川田宿千曲川除土堤
押切
, 同御領吉野村より御夲領御預所与三領組合之、或八間 馬踏弐間高サ平均七八尺之土堤所々ニ而
押切
,御預所中嶋村水入五六尺、流家八軒、流死六 人、市村之船十一間余一艘流れ寄居、 同村山村住居囲土堤
押切
,23 候間、川辺村々水中ニ相成申候、尤岩石ニ而数十丁 之間堰留候儀ニ付、水勢ニも難
押切
様子,一 御料・私領組合土堤敷八間馬踏弐間、延長千 七百五十間之内数ヶ所ニ而、延長千二百間余押埋
押切
等
むしくら日記
(2巻 亨)
皆思ひ居しに、大浪一度打懸るとみし間に、忽チ 十丁の堰留を一時に押払、高浪打て二の湛をも 一時に
押切
,、右山之方大ニ致鳴動、引続き瀬鳴之音高く 相聞候処、一時ニ激水右川筋へ押出し、忽左右之土 堤
押切
或乗越,此程先御届申上候通大地震 ニ而、更級郡山平林之内岩倉山抜、犀川へ押埋 候場所、去十三日夕一時ニ押出、大川筋江
押切
,、里 方江之出口より左右之土堤
押切
乗趣、夫より川 中嶋一円水押来、城下より一里程上同郡横田村
むしくら日記
(1巻 元)
ケ所ハ五丁程の間川中へ押入、其辺押埋候 村方も有之、然処多分岩石之儀ニ付、迚も水勢ニ而
押切
兼候様子,より小川ニ御坐候へ共、是亦川上 抜崩流水〆切、去十日迄湛水ニ相成居候処、同日昼過崩 埋之場
押切
宿継要書留
([翻刻])
以飛札致啓上候、弥御堅固ニ 可被成御暮珍重奉存候、然者 四年以前丑年継荷物御裁許 御書下御
押切
之御本紙,尤次日割致遣申候扣 (改頁) 98 前ニ 御本紙 奥書文言左ニ 右御
押切
有之候御本紙
地震後世俗語之種
([翻刻])
持 合せたるきれものもなけれハ、脇差引抜、髻を (改頁)
押切
宿継要書留
([現代訳])
、右御書下しの末に預かりの印 形をし、日割をして遣わした控え 前に 御本紙奥書文言は左に 右御
押切
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