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拾八町家並帳
(田町)
田町 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています,卯右衛門 五間四寸 ホ 高田屋 源兵衛 ヘ 五間四寸 石砂屋 金四郎 二間三尺五寸 ヘ 二
文字
屋, 権太郎 ヘ 四間四尺六寸 萬屋 吉右衛門 五間一尺 ヘ 二
文字
屋 与吉 ヘ 二間三尺
拾八町家並帳
(松尾町壱丁目)
松尾町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向,善三郎 五間三尺 イ 高野山 成徳院扣 ロ 四間四尺一寸 綿屋 小三郎扣 五間 ロ 一
文字
屋
拾八町家並帳
(知久町壱丁目)
知久町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
検地仕法
([翻刻])
サイミト云七、八尺程有之竹の先へわら を結付、畑之四方へ建、其間々四方ヘぼんでん を建、夫より縄を十
文字
,ニ張、三方ニ而四方を ため、細見・ぼんでんを真直に見通す、夫より縄の十
文字
ニなり候処へ壱人立居、,十字を入れる、 此十字 如此
文字
之内みぞをつき、縄の十
文字
へはいり侯様ニ致ス、如何様成
拾八町家並帳
(桜町弐丁目)
桜町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(本町二丁目)
本町二丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(番匠町)
番匠町 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(桜町壱丁目)
桜町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(池田町)
池田町 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(本町壱丁目)
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文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(知久町三丁目)
知久町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
拾八町家並帳
(松尾町弐丁目)
松尾町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
拾八町家並帳
(桜町三丁目)
桜町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(本町三丁目)
本町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
拾八町家並帳
(知久町弐丁目)
知久町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
拾八町家並帳
(傳馬町弐丁目)
傳馬町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
拾八町家並帳
(松尾町三丁目)
松尾町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
拾八町家並帳
(傳馬町壱丁目)
傳馬町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向
善光寺道名所図会
(○安曇 大町)
、佐野の二 僧の塚は往還の左側に有り、傍に碑銘を建、高サ五尺はかり、巾三尺 程の石なり、苔むして
文字
鮮
拾八町家並帳
(大横町)
大横町 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (
文字
の向きをそろえています
善光寺道名所図会
(○安曇 大町)
佐野の二僧の塚は往還の左側にあり、傍に碑銘が建っていて、高さは五尺ばかり、幅3尺ほどの石で、苔むして
文字
検地仕法
([現代訳])
二メートル以上)ほどもある竹に藁を結び付け、畑の四方へ建て、その間々四方ヘ梵天を建て、それより縄を十
文字
,に張り、三方にて四方をため(正しくする)、細見(さいみ)・梵天を真っ直ぐに見とおす、それから縄の十
文字
,になった所に一人が立ち、十字を入れる、この十字の
文字
の如く十字に溝をつき、縄の十
文字
に入るようにする、
松代まちあるきマップ
(39阿弥陀山東光寺)
この寺の名は、練光寺の
文字
から糸偏をとったものだという。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(梓山村)
p2639に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 本屋敷通り 山: 甲武信ヶ岳/三方山/十
文字
山
善光寺独案内
(『善光寺独案内』の広告)
これらの薬は、「善光寺の霊薬」「善光丸」「善光堂」などの
文字
からも、善光寺の知名度を生かして、参拝者向
寛保二年大洪水余禄
([翻刻])
ことく水中ヨリ火 花ヲちらして水 押来、与良口木戸 〓《ヒサ》シより高ク水 はね、押通リ、一
文字
「長野県下ノ小学教員二告ル文」
([ルビ・注記])
又
文字
モ実体的ナラズ。,空想ニ因 テ覚ヘタル
文字
ハ徒(いたずら)ニ其言詞ヲ誦読(しょうどく)スル ノミニシテ、他日其言詞ヲ,領解(りょうかい)(注25)知覚セシメ、然ル 後其言詞ヲ耳ニテ聴覚セシメ、夫(それ)ヨリ其 言詞ヲ
文字
,ニ代ヘテ其形状ヲ目ニテ視 覚セシメ、其
文字
ノ形ヲ見レハ其実物ヲ真 ニ視タル如キノ観念ヲ脳裏ニ生ゼシメ,児童ノ 思慮ヲ労セズシテ架空ノ言詞ヲ発シ無意 ノ
文字
ヲ書スルノ習慣ヲ絶チ、
文字
ナルモ ノハ心脳ニ
絵頭入書百性往来童子宝全
([翻刻])
[翻刻] 百性往来 4 凡百性取扱
文字
農業耕作之道具 鋤鍬鎌犂馬把 钁竹把鉄把箆,作者浪花禿菷子 于時明和八歳辛卯仲秋吉辰 此一冊ハ農家童子乃為に新に綴て 版行して、猶亦
文字
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(根々井村)
『長野県町村誌』 2巻 p2310に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 南原/原/十
文字
絵頭入書百性往来童子宝全
([解説])
本文では、まず、鋤・鍬・鎌などの耕作道具を上げていますが、以下も百姓・農民として知らなければいけない
文字
木曾山林学校
([総合解説])
108年に及ぶ同校の教育活動は、
文字
通り我が国の中等教育としての森林・林業教育をリードする歴史そのものであった
信濃国諳射図記
([解説])
「
文字
だけで著された地図帳」と言い換えてることができます。
地震後世俗語之種
(絵の解説)
右側の上段に
文字
を書くスペースが用意されていますが、これは原本にはありません。,行列の順序は画中にも
文字
で示されていますが、2-61と2-62に詳しく載っています。,背後の茶屋には、「即席御料理」「かん酒」「にしめ」「でんがく」などの
文字
があります。
違作書留帳
(1、「違作書留帳」)
過去の非日常的な出来事を乗り切るための取り組みと、その対処法を残した角之丞の記録は、未来の人々に、
文字
パスファインダー
(村上義清と村上氏)
村上義清の
文字
の見へる宝篋印塔 栗岩英治 信濃 第1次第1巻06号 上杉憲政と村上義清等の反武田「上信同盟
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([解説])
善光寺は本堂・山門・仁王門(いずれも
文字
はない)が一列に並んでいますが、町と接した仁王門のみが赤く塗られていて,(
文字
不鮮明。
拾八町家並帳
([解説])
名前の下に、「扣(控)」という
文字
が書かれている家がどの町にもあります。
検地仕法
([解説])
藁作りの細見を畑の四隅にたて、その間、四方にも梵天をたててそこから縄を十
文字
に張り、三方を基準にして四方
秀吉と真田
(武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸)
、滝川一益の人質に出されていた信繁(幸村)の身柄を確保しており、昌幸を鞍替えさせる工作の材料として、
文字
通
地震後世俗語之種
(絵の解説)
その上に2枚の看板があり、右には「新製 犀川 まさご」の
文字
が書かれていて、舟渡しの絵が描かれています,左の看板には「しんせい 梅笑堂出店製」の
文字
があり、桜の花?,また柱には千社札が貼ってあって、「丸徳」「角源」「二十四輩」「大惣」等の
文字
が読めます。
扶桑之蚕6巻
([解説])
同じ広告内には蚕業学校長三吉米熊の出身地である山口県長府の
文字
が見える。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
して再び天台宗に帰す、 本堂南向、高サ十丈、二重屋根撞木造、柱の数百三十六本、垂木の数法華 経の
文字
,の数[法華経
文字
の数ハおよそ六万九千三百八十四字といふ、]に准ふなり、四方に上り段有リ、正面 の板舗,の北につゞきて東向の道場なり、] ○忠信・次信の五輪ニッ並び立、[三門の内西側にあり、古代の姿にて、
文字
,に御逗留の間、戸隠へ御参詣の御 帰に、風越といふ所に暫く御休の時、御手慰に路傍の岩笹を 採たまひ
文字
諸国道中商人鑑
(4 小田井から本山まで)
温泉内湯の
文字
と絵が見える。
木曾山林学校
(アイヌ物語)
アイヌ種族の教育は往時
文字
無かりし為、其の往時の歴史を知るに甚だ困難なり。
養蚕往来
([翻刻])
なくいそがしき 事なり 睦く活たる神の其家へ至給と心 得悪欲悪言無之様慎肝要也、 然バ
文字
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
本堂は南向きで、高さは10丈、二重屋根の撞木造(しゅもくづくり)、柱の数は136本、垂木の数は法華経の
文字
,の数(法華経の
文字
の数はおよそ6万9384字だという)にならっている。,大昔の姿で、
文字
も斑になっていて分かりにくい) ○鉄灯籠(かなどうろう)・石灯籠 相馬弾正少弼(だんじょうのしょうひつ,りに、風越(かざこし)という所でしばらく休んでおられた時、たわむれに道端の岩笹を採って、南無阿弥陀仏の
文字
上田の早苗
([翻刻])
ト見ユレバ、聞書ハ広瀬翁ガ人ヨリ聞知リタルコトヲ筆記セルモノト見ルベシ、 本文ノ上部ニ細書セル
文字
,ヲ 開キテ突テ出寄手ノ先陣ツキ立テラレケル処城中ヨリ左衛門佐大勢ヲ随ヒテ秀 忠卿ノ御本陣へ一
文字
,武州江戸深川住 御鋳物師 太田近江大掾藤原正次 右の外に
文字
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
とのせて、古き郷名なり、今ハ其郷失て名のみ残れり、[山部ハ桓武の御 (改頁) 諱の
文字
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
もあかぬみたらしのみゆ 60代醍醐天皇が敦仁親王といっていたころ、温泉に行啓し、両岳を拝み、結府二
文字
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
以テ是ヲ四方ニ逹スルハ
文字
ナリ。,
文字
ナト措(おい)テ不問モノ丶如シ。然ルニ客歳(かくさい)(注5)北方村(注6)卜 云ト。,男子スラ
文字
ナト 措(おい)テ不問(とわず)モノヽ如シ。然ルニ山間僻土(へきど)ニ至マテ。,況 ヤ
文字
ナト措テ不問ナリ。然ルニ今般権令廻村シテ。 其光景ヲ見ルニ。山林ノ間ニ学旗ヲ翻シ。,注 (1)粘板岩の薄板に木製の枠をつけ、石筆で
文字
・絵などを書くようにしたもの。
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