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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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信濃国村名尽 ([解説])

一方、信濃の各藩は、明治四年七月の廃藩置県により、そのまま県となりました、松代県、上田県、松本県、飯田県,さらに、明治四年十一月二十日には、東北信の各県が長野県となり県庁を長野に置き、中南信の各県と飛騨が筑摩県
松代まちあるきマップ (38真田林大鋒寺)

江戸期は、本尊阿弥陀三尊の左右に信之の像と二代藩主信政画像が置かれていたが、明治四年(一八七一)、花の
伊那県布令書 ([解説])

このあと、中野騒動が起き中野県庁が焼失、明治四年六月長野へ県庁が移され、旧長野県が誕生しました。  
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行 (長野師範学校開業式)

弘              (『信濃毎日新聞』明治十六年一月十四日)     注 (1)明治四年
『説諭要略』巻一 ([解説])

[解説] [目録] 長野市公文書館 西沢安彦 筑摩県権令永山盛輝と『説諭要略』    明治四年
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([解説])

、従前通り先生の教授を受けた、幼生寮に移ったのは、明治三年と思ふ、……学科は読書習字詩吟等であった、明治四年廃藩
小県郡民謡集 (成人謡)

(明治四年東京鎭臺(ちんだい 注6)第二分營を上田におく) ○秋和鹽尻(あきわしほじり)嫁にもやるな,(歌詞郷土謠に出づ、明治四年上田分營設置に起因 す) ○西郷隆盛や枕はいらぬいらぬ筈(はず)よ首がない
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

後豊臣氏を経て徳川氏に至りても、屡々替代あ りしか元禄四年内藤丹後守清枚(きよかず)以後世襲して、明治四年廃藩置県,豊臣徳川二氏の世に至りても、屡々(しばしば城主の替代ありしか、寛文十二年堀氏之に移 りてより、子孫世襲して、明治四年廃藩
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

門太、溝口多門司、宇川信三、石谷四郎等の諸氏と、近か 付きになった、学科は読書習字詩吟等であった、明治四年,明治四年廃藩置県後は右大臣。     欧米視察団全権。明治十一年の巡幸の時は右大臣。,明治四年廃藩置県により免官。     
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

明治四年、廃藩置県後の府県官制改正により、知事のない府県に置き知事と同じ職務をつかさどった。,明治四年(一八七一)国幣中社となる。 (2)乗り物。車馬のこと。 (3)馬の首。
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

明治四年(1872)筑摩県権参事。同年十二月長野県権参事に転任。,(注六)断髪 散髪脱刀令―断髪・脱刀を自由とした明治四年(1871)の太政官布告。,明治四年(1871)伊那県が廃止となり新たに設けられた筑摩県参事に就任し、明治六年(1873)三月、筑摩県権令
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