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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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明治天皇御巡幸の折奉りたる地図 ([解説])

明治天皇御巡幸の折奉りたる地図 / 明治天皇御巡幸の折奉りたる地図 [目録] 長野県図書館協会 宮下明彦 明治天皇は明治11年8月30,その上田行在所は白亜の殿堂で、3階に露台(バルコニー)が設けられ、明治天皇が上田地域を展望することとなり,「私は前に飯島翁の幼児は神童と呼ばれたことを述べたがその例をいへば、明治十一年明治天皇の北陸御巡幸に当
信濃名勝詞林 (陸路廼記)

明治天皇の巡幸 明治天皇は、明治時代前半に6度にわたって地方を巡幸しています。,北陸・東海道巡幸の旅程 明治11年8月30日に東京を出発した明治天皇は、浦和、桶川、熊谷、新町、前橋
龍駕の跡 (おわりに-近代天皇制国家への道)

羽賀祥二によれば、昭和8年に明治天皇の足跡の最初の史跡指定がなされてから敗戦直前まで「聖跡」の指定が続,神として鎮座する明治神宮を頂点にし、全国の千数百ヶ所の「聖跡」とそこに立てられた記念碑を底辺とした、明治天皇顕彰,国家が国民の支持を必要とするとき、明治天皇の巡行が呼び出されたのである。  
龍駕の跡 (はじめに)

はじめに [目録] 長野県図書館協会 宮下明彦  明治天皇は地方行幸・巡行を97回行いましたが、,地方の布達と人々の対応-』(長谷川栄子 熊本出版文化会館 2012年)  戦前は巡行先だった地方で明治天皇
上田市街全図 ([解説])

上田市街全図 [目録] 長野県図書館協会 宮下明彦 明治天皇は明治11年8月30日、北陸御巡幸,その上田行在所は白亜の殿堂で、3階に露台(バルコニー)が設けられ、明治天皇が上田地域を展望することとなり,「私は前に飯島翁の幼児は神童と呼ばれたことを述べたがその例をいへば、明治十一年明治天皇の北陸御巡幸に当
龍駕の跡 (1明治5年前の巡行)

1明治5年前の巡行 明治天皇の最初の地方巡行は戊辰戦争の鳥羽伏見の戦い直後の慶応4年(1868)3月
龍駕の跡 (『龍籠の跡』解説)

『龍籠の跡』解説 本書は明治天皇北陸・東海巡行30周年の明治40年9月に、長野師範学校佐々木秀一編集
善光寺道名所図会 (○筑摩 郷原)

郷福寺には、明治13年(1880)6月25日に、明治天皇巡幸のさいに御小休の石碑が建っています。
木曾山林学校 (学校要覧)

同年同月実業教育国庫補助法に依り同年より向ふ5ヶ年間毎年金1,200円宛交付の旨文部大臣より達せらる 〇同年10月8日明治天皇
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

この巡行で明治天皇は始めて信州の土を踏みました。時に明治天皇二十六歳。,明治天皇の側近としてその死去まで補佐した。,北陸・東海道巡行の際も側近として明治天皇の鳳輦に陪乗した。  ,翌年の明治天皇巡幸の際も改修が加えられた。,従って、明治十一年の明治天皇巡行の際もこの舟橋を渡った。
木曾山林学校 (校友会の起源と岐蘇林友の発達)

元年9月第35号紙上に於て、謹みて明治天皇奉悼     (改頁)      47  
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

(注2)明治十一年、明治天皇の北陸・東海巡行がなさ     れた。,明治天皇はじめ一行約千名が上田に入っ     たのは九月七日夕刻のことで、宿泊所はこのと     ,明治十一年明治天皇御巡幸のときは大蔵卿。            ,明治十一年、明治天皇北陸御巡幸の際、行在所となったが、     明治三十一年火災で焼失した。,明治十一年に明治天皇巡行のため     行在所(あんざいしょ)としてつくられたが、     後町民
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

明治13年の明治天皇の巡幸の際には、御膳水として使用されました。
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