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善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
この宿の西に近く
有明山
という高山があります。,このあたりを
有明山
の里というのは、この山のあたりゆえでしょうか。,(注)
有明山
は、別名信濃富士ともいわれ、平安末期から鎌倉時代にかけて中央の貴族等のあいだで、残月の名所,「
有明山
に鉢巻雲が現れると雨になる」の諺にあるように、祈雨を願う山でもありました。
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
六丁程相対して巷をなし、其余町裏に散在す、繁昌の地なり、これ より大町へ三里、此宿の西に近く
有明山
,あり、屏風岳五六岳 の間に見ゆ、信濃富士と称す、鶏・雷鳥・熊・くらしゝ等多しといふ、此あたり を
有明山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(松川村)
/細野/大泉寺/小ノ口/神戸(ごうど)/鼠穴/北/南 山: 馬羅尾(はらを)山/雨吹山/大洞山/
有明山
,大和田社/諏訪社/春日社/諏訪社/諏訪社/稲荷社/御(みたけ)社/禿神社 古跡・名勝: 西行の古跡/
有明山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(有明村)
/西方/茨原/小岩岳/中木戸/下木戸/大久保/庄内渡/藤ノ木/南矢村/浜成/渡場/北田沖 山:
有明山
,古跡・名勝: 小岩岳氏墓/小岩岳城墟/正真院址/松尾寺址/明王院址/青原寺址/常勝寺址/鬼ノ窟/
有明山
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
、況や郷村も開けざりし時、 たま/\たま有所乃人家ハ山ニのミ住せり、其頃ハ此 所ヲ有明の里と云、
有明山
,といへル大山乃麓ナルガ 故ナリ、
有明山
ハ今の松川組なり、
有明山
の名ヲ戸放カ嶽とも云フ、其 子細ハ往昔日乃神岩戸,ケル故、手力雄命岩戸ヲ取りて投 給ひしカハ、岩戸此所ニ落止レリ、夫ヨリ天下又明カニ 成故ニ、此山を
有明山
共,、子細ハ此山ニ鶏ニ似タル鳥アリて、 時ヲ作ル故とかや、一説此山月乃頃ハいつも陰なく 照スニ依テ、
有明山
卜
善光寺道名所図会
(○下戸倉)
○下戸倉 53左 ○下戸倉 八丁程相対して巷をなす、立場なり、
有明山
の麓にて、姥捨山ハ西に
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北穂高村)
高瀬渡/保高川渡/常盤橋 道路: 北国(ほっこく)脇往還 社: シッロ狐 古跡・名勝:
有明山
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
けていなかった頃、たまたまあった人家は山にだけ住んでいた、そのころにはこの地を有明(ありあけ)の里といった、
有明山
,(ありあけやま、標高二二六八メートル)という大きな山の麓だったからその名がついた、
有明山
は、今(江戸時代中頃,)の松川組(まつかわぐみ、松本藩安曇郡のうち)である、
有明山
の名を「戸放カ嶽」ともいう、詳しくいえば、,取り上げて投げたところ、この岩戸がこの有明の場所に落下した、それから天下が明るくなったので、この山を
有明山
,、時を作るからとか、また別の説によれば、この山は月の頃(満月の日の前後数日)には陰もなく照らすために
有明山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(森村)
興正寺/禅透院(ぜんとういん)/観龍寺/念仏寺/華厳寺 学校: 有明学校 古跡・名勝: 鏡台山/
有明山
善光寺道名所図会
(○下戸倉)
有明山
のふもとで、姨捨山は西に見えます。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(深志村)
ヶ崎/山ノ神/御小屋場/峯/北上野/木沢(きざわ)/豆田/今町(いままち)/白板(しらいた)/宮所/
有明山
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
鏡台山・
有明山
につらなり、其間に更科川の流れあり。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
鏡台山・
有明山
に連なり、その間に更科川が流れている。
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