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寛保三年三月復旧方懇願書
([解説])
その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道
望月宿
(現佐久市)が存在した。,
望月宿
は戸時代を通じて小諸藩領である。 ,「別高」(別村)になっているが、
望月宿
に橋一つでつながっているので
望月宿
の「加宿同然」に役目をはたしてきた,また、
望月宿
への往還道も、鹿曲川の上流側へ移動している。 ,ちなみに、大森久芳家には
望月宿
と望月新町の被災絵図も所蔵されている。
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([解説])
その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道
望月宿
(現佐久市)が存在した。,
望月宿
は戸時代を通じて小諸藩領である。 ,「別高」(別村)になっているが、
望月宿
に橋一つでつながっているので
望月宿
の「加宿同然」に役目をはたしてきた,また、
望月宿
への往還道も、鹿曲川の上流側へ移動している。 ,ちなみに、大森久芳家には
望月宿
と望月新町の被災絵図も所蔵されている。
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([解説])
その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道
望月宿
(現佐久市)が存在した。,
望月宿
は戸時代を通じて小諸藩領である。 ,「別高」(別村)になっているが、
望月宿
に橋一つでつながっているので
望月宿
の「加宿同然」に役目をはたしてきた,また、
望月宿
への往還道も、鹿曲川の上流側へ移動している。 ,ちなみに、大森久芳家には
望月宿
と望月新町の被災絵図も所蔵されている。
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([解説])
その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道
望月宿
(現佐久市)が存在した。,
望月宿
は戸時代を通じて小諸藩領である。 ,「別高」(別村)になっているが、
望月宿
に橋一つでつながっているので
望月宿
の「加宿同然」に役目をはたしてきた,また、
望月宿
への往還道も、鹿曲川の上流側へ移動している。 ,ちなみに、大森久芳家には
望月宿
と望月新町の被災絵図も所蔵されている。
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([翻刻])
[翻刻] 1 乍恐以書付奉願上候口上之覚 一当八月朔日洪水ニ付、鹿曲川満水
望月宿
,川除御普請被成下置候ハヽ難有奉存候、 以上、 牧野内膳正領分 中山道
望月宿
問屋
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([翻刻])
[翻刻] 1 乍恐以書付奉願上候御事 一
望月宿
去戌八月大満水ニ而、此度御見分 ,奉存候、御慈悲を以被為御 聞召分被仰付被下置候ハヽ難有奉存候、 以上、 寛保三亥二月
望月宿
問屋
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([翻刻])
[翻刻] 1 乍恐以書付奉願上候口上之覚 一
望月宿
去ル戌之八月大満水ニ而、当宿御伝馬,相勤り可申と難有奉存候、以上、 牧野内膳正領分 中山道
望月宿
寛保三年三月復旧方懇願書
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、中山道望月新町は、本町(
望月宿
)に続,もちろん、本町に続く村なので、
望月宿
の加宿同然に昼夜往還御用を務めています。
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([現代訳])
] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、当八月一日の洪水により鹿曲川が満水になり、
望月宿
北側
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る事 一、
望月宿
は去年戌八月の大満水によって、このたびご
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([翻刻])
一 諏訪無難、長久保、あした中山通(ママ)之内、
望月宿
砂入、其外ハ田畑。
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、
望月宿
は去年戌八月の大満水によって伝馬役屋敷二十軒
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([現代訳])
長久保・芦田の中山道では、
望月宿
に土砂が流入、そのほか田畑への被害がありましたが、宿々への被害はそれほどではありませんでした
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([解説])
長久保、芦田の中山道筋では、
望月宿
に土砂が流入し、田畑に被害はありましたが、それぞれの宿はそれほどの被害
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
千七百三拾五石之余御座候由申上候へ者、小枡より此方迄ハ移(夥)敷キ広キ事と御意被遊、夫レ(より脱カ)
望月宿
,へ御出被遊候、
望月宿
江二月廿四日ニ御出被成、廿七日迄 川西村々御見分被成、廿八日之晩吉田久左衛門様
諸国道中商人鑑
(4 小田井から本山まで)
・「も 中山道
望月宿
芦田宿え一里八丁」旅籠屋五軒、店二軒 古代、駒の里であった望月にふさわしく「
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
二月二十四日に
望月宿
へ行き、二十七日まで千曲川の川西村々を見分し、二十八日の晩、吉田久左衛門様は桜井村
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