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木曾山林学校
(2.木曽の歴史)
木曾
山林学校 / 2.
木曽
の歴史 5
木曽
は古書、吉蘇・岐蘇又は吉祖に作り、近世の詞人或は岐岨に作るものあり。,源平の世、中原某此に居り
木曽
中太と称す。,慶長5年(注2-7)関ヶ原の事起るや徳川秀忠軍を率ゐて
木曽
路を過ぐ時に、
木曽
氏の遺臣山村良勝、千村良重召,此に
木曽
谷政次権革の大要なり。,今や鉄路は
木曽
路を貫通すると共に、
木曽
谷は東山道の枢機(すうき:かなめ)たるに於て、又其林業地たるに於 / 2.
木曽
の歴史
木曾山林学校
(1.木曽ノ天然)
木曾
山林学校 / 実に夏の
木曽
は一種の極楽郷と云ふを得べし。
木曽
は既に山間の一狭谷なり。,
木曽
谷を貫流するもの之を
木曽
川となす。,
木曽
川は源を鉢盛山に発し
木曽
山谷の水流を併せ滔々(とうとう)西南に流れ去る。,而(しか)して中山道(注1-4)は東北より
木曽
に入り鳥居峠以南は行々
木曽
の水流に沿ひ遂に美濃路に入る。,小野瀑布、風越の晴嵐、与川の秋月、徳音寺の晩鐘、之を加へて
木曽
八景の目あり。 / 1.
木曽
ノ天然
木曾山林学校
(木曽御料林雑詠十首)
木曾
山林学校 /
木曽
御料林雑詠十首 13 三 村 千 載 千早振神代の代よりしけりけん ,ひるもをくらき
木曽
の檜原は 朝な夕な真木の茂れる
木曽
山に 雲のかゝれるさまのをゝしき,山といふ山はあれどもとこもはに 真木木のしけれるやまは
木曽
山 そのむかし伊勢の宮木を伐,いてゝ こたまにひゝくほまれ高くも 君むかしゆつりまつりし
木曽
山の ,や 小
木曽
の檜原つくるときなし 山といふ山の檜原にとはすとも
木曽
のみ山 /
木曽
御料林雑詠十首
木曾山林学校
(3.木曽と産業)
木曾
山林学校 / 3.
木曽
と産業 7
木曽
谷は面積114方里(注3-1)、人口47,211。,153 3,507 歩 合 35% 2% 1.9% 47% 以上の如く
木曽
谷,今順を追うて
木曽
の産業の一般を略述せん。,
木曽
の林業
木曽
谷の大半は林地を以て蔽(おお)はれ、即ち全地積153,278町歩の中、 御料林 ,即ち其2、3を挙ぐれば、
木曽
の漆器は古(いにしえ)より木地堅牢・実用的なるを以て知らる。 / 3.
木曽
と産業
木曾山林学校
(木曽の五木と害虫)
木曾
山林学校 /
木曽
の五木と害虫 13 菊 池 生(注6) 赤松や落葉松等は昆虫の害が甚だしい,
木曽
で私の眼に触れたもの丈でも尠なくはない。其中の2、3は本『林友』に記した通りである。,然るに
木曽
の五木には寄生虫は殆ど見当らない。,
木曽
は
木曽
で特有の者も居るに違ひない。他の地方には見られぬ者が居るであらう。,扨(さ)て
木曽
の五木にはどんな害虫が居る事やら知りたい。 /
木曽
の五木と害虫
木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会の沿革)
木曾
山林学校 / ◎
木曾
山林学校々友会の沿革 33 本会は名称を
木曾
山林学校々友会と称して、会員相互 / ◎
木曾
山林学校々友会の沿革
木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会々則)
木曾
山林学校 / ◎
木曾
山林学校々友会々則 32 第1章 名称 ,位置 第1条 本会は
木曾
山林学校々友会と称し
木曾
山林学校内に設置す 第2章 目的 / ◎
木曾
山林学校々友会々則
木曾山林学校
(木曽御料 伐木運材の改良を望む)
木曾
山林学校 /
木曽
御料 伐木運材の改良を望む 15 脇 田 山 の 人
木曽
御料の伐木運材,然して
木曽
の天地を順次開発せられしならば真に名実共に完備するので好模範を造る事になり、引いては中央山林国 /
木曽
御料 伐木運材の改良を望む
木曾山林学校
(祝木曽山林学校創立20周年)
木曾
山林学校 / 祝
木曽
山林学校創立20周年 13 宮 川 丑 作(注8) 岐蘇山下学寮清 / 祝
木曽
山林学校創立20周年
木曾山林学校
(木曽山林学校創立 20年記念を祝て)
木曾
山林学校 /
木曽
山林学校創立 20年記念を祝て 14 安 井 正 夫(注9) /
木曽
山林学校創立 20年記念を祝て
木曾山林学校
(24.木曾山林学校々友会々則)
木曾
山林学校 / 24.
木曾
山林学校々友会々則 56 第一章 名称 位置 第1条 本会は
木曾
山林学校々友会,と称し
木曾
山林学校に設置す 第二章 目的 第2条 本会の目的は会員相互の智徳を練磨し、 / 24.
木曾
山林学校々友会々則
木曾山林学校
(8.長野県立甲種木曾山林学校学則)
木曾
山林学校 / 8.長野県立甲種
木曾
山林学校学則 18 第 1 章 総 則 第 1 条 本校, 上 右父母後見人 何 某 (印) 長野県立甲種
木曾
山林学校長氏名殿,氏 名 (印) 生年月日 長野県立甲種
木曾
山林学校長氏名殿,修了シタルコトヲ証ス (校 印) 年 月 日 長野県立甲種
木曾
山林学校,(注 「長野県立甲種
木曾
山林学校学科目及程度並毎週授業時間表」の表は原本ビューワ26コマを参照) / 8.長野県立甲種
木曾
山林学校学則
木曾山林学校
(◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)
木曾
山林学校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林学校学則 28 第1章 総則 第 1 条 本校は農業学校規程甲種, 同上 右父母後見人 何某 (印) 長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林学校,注50)し其業を了(お)へたり仍(よっ)て之を証す 年月日 長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林学校長姓名,したることを証す 年月日(校印) 長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林学校,#160; 了へたり依て茲に之を証す 年月日 長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林學校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種
木曾
山林学校学則
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
木曾
山林学校 / ◎第1回
木曾
山林学校生徒修学旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,かけはし:上松町)の名所に休憩したが、此の処(ところ)は鬱蒼たる御料林が左の側に繁茂し、右方脚下には
木曽
川,(注 「伐木地の面積及び其の材数」の表は原本ビューワ16コマを参照) 備考 右材木中は主として
木曽
の / ◎第1回
木曾
山林学校生徒修学旅行記
木曾山林学校
([総合解説])
木曾
山林学校 / [総合解説]
木曾
山林学校は、実業学校令に基づき、我が国最初の森林・林業を専門とする実業学校として、,明治34年(1901)4月に、現在の
木曽
町に創設された学校である。,幕を閉じ、その教育は
木曽
青峰高等学校に引き継がれた。,・
木曽
山林高校百周年記念誌『山霊生英傑』(
木曽
山林高等学校) ・『沖縄近代林業の父園原咲也と
木曽
山林学校,』(手塚好幸編著) 【
木曾
山林資料館】 長野県
木曽
町新開4236(
木曽
青峰高校新開キャンパス内
木曾山林学校
(◎職員任命)
木曾
山林学校 / 教諭 手塚長十 西筑摩郡林業巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県
木曾
山林学校助教諭兼西筑摩郡林業巡回教師,助教諭兼舎監 浮田吉太郎 酉筑摩郡農事巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県
木曾
山林学校助教諭兼西筑摩郡農事巡回教師,嘱託教授兼舎監 宮田重郎 先きに西筑摩郡三留野(みどの)尋常高等小学校長たりし同氏は、明治34年6月20日
木曾
山林学校教授兼舎監,雇教員兼舎監心得 中野有作 中野有作氏は、治34年10月15日
木曾
山林学校雇教員兼舎監心得に命ぜられしも,書記 鈴岡実造 氏は明治34年4月19日
木曾
山林学校書記に任ぜらる。
木曾山林学校
([解説])
木曾
山林学校 / [解説] [目録]
木曽
山林資料館 山口登 『
木曾
山林学校要覧』は、当時の学校教育を窺い知る貴重,その中で
木曽
が歴史・地理的に林学・林業を学ぶに適した地であること。,それ以後、年によっては5割を超える県外生が入学することもあり、ますます「
木曾
山林」の名は全国に知られるようになった
木曾山林学校
(◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9))
木曾
山林学校 / が適当の地であると云ふ事であつたけれども、不幸にして当
木曽
に設ける事が出来なかつたのである。,あつても
木曽
は山間であるからして行つてくれる人が無と言ふ様な訳で、遂に東京に設けられた。,抑も
木曽
の森林と云ふのは実に立派な森林であつて日本には外にない。,又欧州にも森林は沢山あるけれども、樹木に就ては
木曽
立木の如(ごと)き良材はあるまい。,「
木曽
の如(ごと)き森林、及び
木曽
に於ける如き運材の方法を実行して居る所は、まあ世界にあるまい」と。
木曾山林学校
(6.本校の沿革)
木曾
山林学校 / 66,763円35銭を以て新築工事の件を議決す ○同 43年2月5日文部省告示第17号を以て、長野県立甲種
木曾
山林学校,の位置を同県西筑摩郡新開村に変更の件認可を経たり ○同 44年11月長野県立甲種
木曾
山林学校を長野県立
木曾
山林学校
木曾山林学校
(創立20周年を迎へて所感を述ぶ)
木曾
山林学校 / 創立20周年を迎へて所感を述ぶ 11 長野県
木曾
山林学校長 岡 部 喜 平(,注1)
木曾
山林学校の創立せられたる明治34年頃は林学教育の大本山たる農科大学林学科ですら、僅に十数名,の学生しか居なかった時代であったから、長野県の
木曽
に郡立の山林学校が出来て松田林学士が校長になられたと,、其後益々発展して既に600有余の卒業生を出し、此等の卒業生が帝国領土内到る所で盛んに活動せる結果、
木曾
山林,それに卒業生は長野県に止まらずして、全国の官公署や民間会社抔(など)に就職する者が多い為め、或る一部には
木曾
山林学校国立論
木曾山林学校
([注記])
木曾
山林学校 / (注2)松田力熊(まつだりきくま):
木曾
山林学校初代校長。島根県出身。,同40年(1908)、帝室林野局となり、全国7カ所に支庁が設けられ、
木曽
町にも
木曽
支庁が置かれた。,ネズコという和名は
木曽
地方でよく使われるが、クロベという和名が一般的である。,
木曽
の開田村出身。,開校前は設立準備に奔走し、設立後は同校教諭として松田校長を助け、
木曾
山林学校の礎を作った。
木曾山林学校
([注記])
木曾
山林学校 / [注記] (注記 1.
木曽
ノ天然) (注1-1)広袤(こうぼう):広さ。,織田信長が伊勢神宮御造営材を
木曽
から伐出したという記録がある。,1615年から尾張藩の管轄になり、
木曽
川を筏に組んで流送されてきた
木曽
材が、いったん伊勢湾に出てから堀川,これが紙盆で、
木曽
では南
木曽
町の田立で作られた。 ,ちなみに山林学校という名称は、この時点では
木曾
山林学校のみである。
木曾山林学校
([解説])
木曾
山林学校 / [解説] [目録]
木曽
山林資料館 山口登 『
木曾
山林学校校友会報』1号は、開校2年目に校友会
木曾山林学校
([注記])
木曾
山林学校 / [注記] *この注では、
木曾
山林学校のことを「
木曾
山林」、校友会報のことを「会報」、岐蘇林友のことを, (注1)岡部喜平:
木曾
山林学校第5代校長。静岡県出身。,(注3)蘇門(そもん):「蘇」は
木曽
、即ち岐蘇の「蘇」で地名を表す。,
木曽
の学校即ち
木曾
山林学校のこと。 (注4)西澤静人:教諭。長野県出身。,明治42年5月静岡県立農林学校から
木曾
山林へ。
木曾山林学校
([本文])
木曾
山林学校 / 岡部喜平 卒業生に望む 西澤静人 記念号へ 米山太郎吉
木曽
,の五木と害虫 菊池生 祝詞 宮川丑作
木曽
御料林雑詠 ,安井正夫 20年の過去と将来 宇佐美生 祝母校隆盛 脇田山の人
木曽
御料伐木運材改良
木曾山林学校
([解説])
木曾
山林学校 / [解説] [目録]
木曽
山林資料館 山口登 第2代校長江畑猷之允は、『
木曾
山林学校々友会報』の
木曾山林学校
(◎小川木山祭を視(み)る)
木曾
山林学校 / 吾等
木曾
山林学校職員及生徒一同は修学旅行を兼ねて木山祭(注24)を見んと午前5時校庭へ集まつて出発しました,此上松から小川へ行くには道も細いし、其上
木曽
川が流れて居(お)りますから誠に之からの道が困難なのである,それに
木曽
川には橋がないから舟で越さんければならない。
パスファインダー
(木曽の文学)
木曽
の文学 トピック(テーマ)
木曽
の文学 ねらい キーワード 概要,中山道
木曽
路 兼好法師 和宮
木曾
義仲 菊池寛 恩讐の彼方に 芭蕉 更科紀行 幸田露伴 風流仏 泉鏡花,】(岩波文庫) 島崎藤村/著 岩波書店 2003.7 内容紹介 徳川封建制度の崩壊と、
木曽
,風流仏は
木曽
街道須原宿の冬の日の二夜を中 心として描かれたもので、幸田露伴の出世作。,」 地域文化 2013 第105号 通行手形における
木曽
の女性と旅―
木曽
福島関所を中心として― 生駒勘七 /
木曽
の文学
木曾山林学校
(12.本校の実習に対する便宜)
木曾
山林学校 / 然るに本校は林業に関する教育を施すべき目的を以て設置せられたるものなれば、其位置の如きも有名なる
木曽
の,かくのごとく)至便の位置に広大なる演習林を有し、完全に実習を施行し得るのみならず、有名なる10万余町歩の
木曽
御料林,2、
木曽
御料林の伐木運材事業は遠く徳川時代以前より連続し、多年の経験を積み幾多の改良を重ねて、今や最良至便,の装置を工夫し、且つ近年に至り御料局
木曽
支庁の設置せらるや、更に欧州に於ける最新式の伐木運材法を施行し
木曾山林学校
(◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説)
木曾
山林学校 / ◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説 8 今度私は
木曽
の山林を視察に出ました序(ついで)に本校の模様,を伺ひたいのであつて、先月28日東京を出発して名古屋御料局から段々
木曽
へ這入(はい)つて、小川(おがわ,元来林業も学術上より得たる智識を実地に応用するのであるから此
木曽
は誠によい地である。
木曾山林学校
([本文])
木曾
山林学校 / [本文]
木曾
山林学校要覧 目次 2 1.
木曽
ノ天然………………………………………………,…………………… 1 2.
木曽
ノ歴史…………………………………………………………………… 4 3.,
木曽
ト産業…………………………………………………………………… 8 4.中等程度ノ森林教育ノ現状……
パスファインダー
(幕末の木曽騒動)
幕末の
木曽
騒動 トピック(テーマ) 幕末の
木曽
騒動 ねらい 慶応2年、中山道洗馬宿,・本山宿から
木曽
地域の村びとが、米穀が底を ついて生活が立ちいかなくなるという危機感から蜂起した、世直,米騒動ともいえる
木曽
騒動の動きを調べる キーワード 洗馬宿 本山宿 慶応二年 野口庄三郎 ,の歴史 小松芳郎/著 郷土出版社 1982
木曽
騒動の概要をまとめる 図説・松本の歴史 上巻 樋口一,page =ref_view&id=1000161491
木曽
騒動について、楢川・
木曽
地域の資料紹介 / 幕末の
木曽
騒動
木曾山林学校
(福島通信)
木曾
山林学校 / ちゅうじき:昼食)を了(りょう:おえる)し後、長野より遠征し来れる芸者の美篶(みすず)音頭及福島芸者の
木曽
踊,尚(なお)一行はステーション内、
木曽
の名産陳列場等を見物し、2時半頃夜会場諏訪へ向けて出発仕り候。
木曾山林学校
(過去20年より将来の20年へ)
木曾
山林学校 / が出来たと云ふ声は洵(まこと)に空谷の鞏音(くうこくのきょうおん:人けのない谷にひびく足音)で、当時
木曽
,山林は
木曽
の真情(まごころ)
木曽
は山林の代名詞として天下に鳴った当時、我校の出現は当然と云へば当然であったが,由来十有七年、我校は県立となり新築を加へられ設備は完成し、校長其の人は幾度替れども
木曽
の一角に覇(は)
木曾山林学校
([解説])
木曾
山林学校 / [解説] [目録]
木曽
山林資料館 山口登 『岐蘇林友』144号は、創立以来20年の教育実践を
木曾山林学校
(◎発刊の辞)
木曾
山林学校 / ◎発刊の辞
木曾
山林学校々友會報 第一號 2 (明治35年10月 日発行
木曾山林学校
(母校を思ひて)
木曾
山林学校 / 母校を思ひて 20 S K 生 山林学校が
木曽
の谷間に産声を挙げてから20歳漸,ずることは、開校当時裏山へ植栽したる扁柏(ヒノキ)も矢張20周の年輪を数へ、経営宜(よろ)しきを得て将来
木曽
木曾山林学校
(造林上の雑感)
木曾
山林学校 / (1)
木曽
地方に現れたる造林 天下に冠絶せる扁柏(へんぱく:ヒノキ)天然林の本場たる
木曽
御料林の伐採後,
木曽
の如き急傾斜地の植付は指導者をして務めて斜面植込みに注意せしめざれば、目的の本数より多く植込むものである
パスファインダー
(慶応2年の木曽騒動)
慶応2年の
木曽
騒動 トピック(テーマ) 慶応2年の
木曽
騒動 ねらい
木曽
方面,キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 雑誌 慶応2年
木曽
騒動 松本領 尾張領 ,近世 著者名 松本市/編 出版社 松本市 出版年 1995.11 内容紹介
木曽
騒動,/編 出版社 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会 出版年 1968 内容紹介
木曽
騒動,出版年 1989.2 内容紹介 騒動勢が押し掛けた家の記録 1 論題名 慶応二年
木曽
一揆 / 慶応2年の
木曽
騒動
木曾山林学校
(学校要覧)
木曾
山林学校 / 66,763円35銭を以て新築工事の件を可決す ○同43年2月5日文部省告示第17号を以て長野県立甲種
木曾
山林学校,て記念として校友会雑誌を毎月一回発行の月刊となし、其の第12号を出す ○同44年11月長野県立甲種
木曾
山林学校,を長野県立
木曾
山林学校と改称の件文部大臣の認可を得たり ○同45年4月福島町所在の実習地の一部を返却,本年度より1学級を増し4学級となす ○同年同月23日県令第38号を以て本校名称の立の字を削除し、長野県
木曾
山林学校
木曾山林学校
(我が故郷の森林状態)
木曾
山林学校 / 右の如(ごと)き状態なれば、一般民家の薪炭材を得る途としては僅かに
木曽
支庁諏訪出張所の管轄にかゝる東俣,故に建築材等の如き良材に至りては山梨県方面に需(もと)むる次第なるも、此中央線の開通後は当
木曽
方面へも
木曾山林学校
(祝母校隆盛)
木曾
山林学校 / 祝母校隆盛 15 脇 田 山 の 人(注13) 蘇峡(そきょう:
木曽
谷)20
パスファインダー
(『平家物語』と木曽義仲)
『平家物語』と
木曽
義仲 トピック(テーマ) 『平家物語』と
木曽
義仲 ねらい,『平家物語』『源平盛衰記』等の中で
木曽
義仲や信濃の地名や人名はど のように描かれたのか。,キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト
木曽
義仲 巴御前 葵御前 山吹 源義賢
木曽
義高,
木曽
で育った
木曽
義仲。,2 書名 著者名 出版社 出版年
木曽
義仲に出会う旅 伊藤悦子/著 新典社 2012.7 / 『平家物語』と
木曽
義仲
木曾山林学校
(手紙の一節)
木曾
山林学校 / もうそろそろ
木曽
も紅葉で奇麗になる、一度遊びに来たまへ失敬。
木曾山林学校
(11.実習)
木曾
山林学校 / 8、森林利用及森林経理等の実習は、可成本校演習林に於て作業せしむる外、
木曽
御料林に於て視察及見習をなさしむ,前者は福島停車場の西方
木曽
川に面する山腹に在り、全部落葉松(からまつ)を新植し一部分は既に10余年生に,然(しかれ)ども10万町歩の
木曽
御料林と御岳・駒ヶ岳の両高山は温寒両帯に生ずる無数の林木を有し、自由に,然りと雖も10万余町歩の
木曽
御料林は自然の大教室にして大実習場たり。
木曾山林学校
([注記])
木曾
山林学校 / 彼は卒業後、御料局
木曽
支庁へ勤務していた。,明治40年(1907)7月農科大学卒業、同41年12月から44年4月まで
木曾
山林学校在任。,(注60)黒川の清流~駒ヶ岳:黒川は演習林の真下を流れる
木曽
川の支流。駒ヶ岳は
木曽
駒ヶ岳のこと。
木曾山林学校
(廿周年記念号の終に)
木曾
山林学校 / 大正10年10月 編集員に代て 甲 氏(注53)
木曽
山林學校位置圖 (注 これについての
木曾山林学校
(◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説)
木曾
山林学校 / ◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説 9 諸君は
木曾
山林学校へ入学して居るのであるが、御承知の如(ごと,殊に此(この)山林学校と云ふのは、我国に於ては
木曽
を以て創始とします。
木曾山林学校
(◎農業実習地)
木曾
山林学校 / 4月29日 大宝 4合 田立村 同 川合坊主 3合 福島町 同
木曽
錦
木曾山林学校
(◎開校一周年紀念祝賀運動会)
木曾
山林学校 / 内来賓には「
木曾
山林学校一周紀念」と染め抜きたる手拭(てぬぐい)一通づゝを配り、正午より生徒校友一同にて
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