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(天竜川・木曽川と水害)
天竜川・
木曽川
と水害について トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト 天竜川・
木曽川
と水害 1 書名 著者名 出版社 出版年 千曲川・犀川,天竜川
木曽川
三峰川 三六災害 じゃぬけ 諏訪湖 大西山 遠山 川 通船 伊那谷の土石流と満水:三六災害,三峰川の変遷 5 書名 天竜川の災害年表(語りつぐ天竜川) 1/2 天竜川・
木曽川
/ 天竜川・
木曽川
と水害
善光寺道名所図会
(○筑摩 洗馬)
の方にあり、太田村の内な り、木曽義仲馬をあらひしより、今に此名あり、是より十八丁西に元洗馬あり、
木曽川
,にあづま橋をわたせり、古道といふ、]
木曽川
[是は中山道の
木曽川
にあらず、水 源は鳥居峠に濫觴して,として枝葉を払ふ 事を制せられ、其辺百坪ほど除地なりといふ、 是より桔梗が原にて、東ハ塩尻辺、西ハ
木曽川
端
パスファインダー
(信州の通船(川の道))
江戸時代後期から明治、大正時代 にかけて木材や各種物資、さらに人を大量に運ぶ手段として千曲川、犀 川、天竜川、
木曽川
,千曲川 千曲川通船 松代藩川船 塩 運賃 犀川通船 天竜川通船 渡船 榑木流し
木曽川
尾張藩 木曽式伐木運材法,江戸時代後期から明治、大正時代にかけて木材や各種物資、さらに人 を大量に運ぶ手段は千曲川、犀川、天竜川、
木曽川
,と榑木(語りつぐ天竜川) 村瀬典章/著 建設省中部地方建設局 天竜川上流工事事務所 1993.3
木曽川
,は語る(川と人の関係史)
木曽川
文化研究会/著 風媒社 2004.4 木曽木材と川、渡船から橋への変遷
善光寺道名所図会
(○筑摩 洗馬)
ここから18町いった西に元洗馬がありますが、
木曽川
にあづま橋を渡していて古道といわれています。 ,ここを流れる
木曽川
は、中山道の
木曽川
ではありません(いまの奈良川)。,ここから桔梗が原で、東は塩尻あたりまで、西は
木曽川
端まで、北は松本のあたりまで広い広野が続きます。
犀川を下る記
(はじめに)
長野県は日本列島の中央高地を占め、高山に源を発する大河は「流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川 南に
木曽川
天竜川
木曾山林学校
(◎小川木山祭を視(み)る)
此上松から小川へ行くには道も細いし、其上
木曽川
が流れて居(お)りますから誠に之からの道が困難なのである,それに
木曽川
には橋がないから舟で越さんければならない。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(読書村)
かきぞれ) 山: 伊勢山/愛宕山/寺山/袖山/柿其(かきぞれ)山/南木曽(なぎそ)岳 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(山田村)
/塚野入/牧平/麻生/上村/下村/大畑平/南野/八重島 山: 立野山/箭立岳/田立岳 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(新開村)
/中入り/中条/上条/西洞(にしぼら) 山: 駒嶽/道貫山/幸沢山/相図ヶ峯/地蔵嶺 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(木祖村)
柴原/細野/大平/栗屋/岩淵/原村/神出 山: 鉢伏山/味噌川山/笹川山/中山/鳥井峠 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(駒ケ根村)
山室/王滝/留/高倉/横手/大畑/新田/藤久保/小路方/床/松原/荻原 山: 駒ケ岳 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大桑村)
阿寺山本谷/北沢山/長通り山/木賊山/大鈴ヶ山/小川本谷山/ニ之沢山/一之沢山/薬師ヶ沢山 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日義村)
/西山/御馬沢/山吹山/水沢山/渡沢山/古池山/大棚山/池浦山/向山/姥神(うばがみ)峠 川:
木曽川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(福島村)
関所山/十六棚赤林/永田山/菅沼山/児野沢(ちごのさわ)山/和合山/矢窪峠/合戸(あいど)峠 川:
木曽川
信濃名勝詞林
(更科紀行)
【注7】 木曽街道最大の難所で、上松町・木曽福島町の間の
木曽川
の崖っぷちに掛けてあった棚橋。,巨岩に
木曽川
の急流が激突して水飛沫を上げていたらしい。木曽街道きっての観光名所であった。
木曾山林学校
(1.木曽ノ天然)
木曽谷を貫流するもの之を
木曽川
となす。,
木曽川
は源を鉢盛山に発し木曽山谷の水流を併せ滔々(とうとう)西南に流れ去る。
信濃名勝詞林
(かけはしの記)
此ほとりよりぞ
木曾川
に沿ふて下るなる。,このあたりは
木曾川
の幅稍々(やや)廣(広)く草木綠に茂りたる洲など見らる。,(改頁) 37 妻籠(つまご)通り過ぐれば三日の間寸時も離れず馴れむつひし岐蘇河(
木曽川
)に別れ行
木曾山林学校
(3.木曽と産業)
帝室林野管理局は年々之を伐採して運材に便なる
木曽川
の流れを利用して狩り出し、或は近年開通せる中央線の便
木曾山林学校
([注記])
1615年から尾張藩の管轄になり、
木曽川
を筏に組んで流送されてきた木曽材が、いったん伊勢湾に出てから堀川
木曾山林学校
([注記])
(注60)黒川の清流~駒ヶ岳:黒川は演習林の真下を流れる
木曽川
の支流。駒ヶ岳は木曽駒ヶ岳のこと。
木曾山林学校
(11.実習)
前者は福島停車場の西方
木曽川
に面する山腹に在り、全部落葉松(からまつ)を新植し一部分は既に10余年生に
木曾山林学校
(◎殖林(しょくりん:植林)の急務)
之れに反して当
木曽川
を御覧なさい。
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
かけはし:上松町)の名所に休憩したが、此の処(ところ)は鬱蒼たる御料林が左の側に繁茂し、右方脚下には
木曽川
信濃奇談
(信濃奇談 上)
16 いはな 伊那郡の人、或時木曽へ行とて萱平といふ所を通りけるに、すゝ竹いくらとなく生ひ茂り、
木曽川
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
旅人もしはしは足をぬは玉の 寝醒の里にとゝめこそすれ 少し西に下りて、
木曽川
に臨みたる所,沓掛といへる所にて、
木曽川
を渡り、西岸 に沿ひて越立峠を過き、黒田渡所に至りて、御嶽川の辺に出つ、橋,
木曽川
の早瀬の浪の砕けても 猛き名社は世にひゝきけれ 此辺古跡多し。
違作書留帳
([翻刻])
豆腐十二丁 きらず壱斗程有 (改頁) 右申年陽気次第 大しけ年にて雨天勝、
木曽川
水, 天保八丁酉年 年徳あきの方 亥子の間 大筋 当酉年一統田方 宜候得ども、
木曽川
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
上ヶ松の上、福嶋の下ハ
木曽川
御岳川合流の所にて、名たゝる木 曽の棧道ハ此所の断厳にかゝれり
違作書留帳
([現代訳])
この申年(天保七年)は、季節によっては、大しけ(暴風雨が続くこと)の年で、雨天がちだった、
木曽川
, 天保八丁酉年(一八三七) 年徳あきの方、亥子の間、大筋、 当酉年は、みな田方はよかったが、
木曽川
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
上松の上、福島の下は
木曽川
と御岳川が合流する所で、有名な木曽の棧(かけはし)はここの断崖に架かっている
むしくら日記
(1巻 元)
様子承合候処、高嶋御城下ハ穏之 様子ニ付引返し、再松本へ罷出、夫より栗尾山江罷越候、途 中田川・
木曽川
むしくら日記
(1巻 元)
途中の田川・
木曽川
・梓川。
地震後世俗語之種
([翻刻])
其水上は
木曽川
にして 山国谷間を流れいでゝ平地に至れば、河原 (改頁)
地震後世俗語之種
([現代訳])
その犀川の川上は
木曽川
で、山中の谷間を流れて平野に至るので、川原がたいへん広く、浪は荒く流れが速くて、
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