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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (『平家物語』と木曽義仲)

『平家物語』と木曽義仲 トピック(テーマ) 『平家物語』と木曽義仲 ねらい,『平家物語』『源平盛衰記』等の中で木曽義仲や信濃の地名や人名はど のように描かれたのか。,キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 木曽義仲 巴御前 葵御前 山吹 源義賢 木曽義高,木曽で育った木曽義仲。,2 書名 著者名 出版社 出版年 木曽義仲に出会う旅 伊藤悦子/著 新典社 2012.7 / 『平家物語』と木曽義仲
パスファインダー (『平家物語』と信濃)

と信濃 トピック(テーマ) 『平家物語』と信濃 ねらい 朝日将軍と称えられる木曽義仲,キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 木曽義仲 , 諏訪 藤 沢 巴御前 瀬田 滋藤(しげとう)の弓 鬼葦毛(おにあしげ) 粟津の 松原 平家物語・木曽義仲,の光芒 武久堅/著 世界思想社 2012.2 1154年から84年に至る30余年、木曾義仲の夢,木曾義仲復権の書。
パスファインダー (木曽の文学)

中山道 木曽路 兼好法師 和宮 木曾義仲 菊池寛 恩讐の彼方に 芭蕉 更科紀行 幸田露伴 風流仏 泉鏡花,3 書名 著者名 出版社 出版年 旭のぼる:木曽義仲の生涯 塩川治子/著 河出書房新社 1997.12,従兄の源頼朝に先んずること8年、時代を動かして征夷大将軍の地位 内容紹介 についた木曽義仲。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日義村)

八幡宮/若宮八幡宮/諏訪社/愛宕社/秋葉社 寺: 徳音寺/林昌(りんしょう)寺 古跡・名勝: 木曽義仲城跡,/陣屋跡/陣屋跡/木曽義仲神拝の御手洗の水/木曽宣公旧里碑/巴ヶ渕(ともえがふち)/蛇切渕/明星岩/能婦
松代まちあるきマップ (19白鳥山證蓮寺)

伝承では、滋野一族の流れを汲む海野小太郎幸親の子で、木曾義仲の祐筆だったとも伝わる。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (三里村)

: 法雲寺/七蔵寺/傳福寺/瑞光寺 学校: 辰野学校/中三里学校/三里学校 古跡・名勝: 木曽義仲城地
善光寺道名所図会 (○筑摩 洗馬)

天照太神を崇祀る、] 義仲馬洗水[太田の清水といふ、洗馬訳を出て、左の方にあり、太田村の内な り、木曽義仲馬
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (大桑村)

日前社 寺: 定勝(じょうしょう)寺/天長院/妙覚寺/竜泉院/池口(ちこう)寺 古跡・名勝: 木曽義仲
善光寺道名所図会 (○小県郡田中)

「源平盛衰記」に木曽義仲が丸子の依田城で挙兵し「信濃・上野両国の勢催集メ、二千余騎ヲ相具シテ、白鳥川原
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (市川村)

内山紙(うちやまがみ) 民業女: 農桑(のうそう)/内山紙(うちやまがみ) その他特記ワード: 木曽義仲
善光寺道名所図会 (○筑摩 洗馬)

木曽義仲が馬を洗ったので、この名がついています。
パスファインダー (長野市鬼無里地区)

白髯神社 鬼無里神社 加茂神社 木曽殿アブキ 奥裾花ダム 虫倉山 虫倉神社 荒倉山 小川村 白馬 村 木曽義仲
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

木曽義仲がこの地で平家を討とうとし、火を放ちました。梵閣金殿は兵火にみまわれ、灰燼となりました。,信濃の住人木曽義仲は父義賢とはちがい、古今稀なる勇将でした。,天子様代々の祈願寺で、木曽義仲が勝手に寺領を滅ぼすとは、傍若無人である。,木曽義仲は丸子の依田城を根拠地としていましたので(『平家物語』)、丸子地域には義仲居館跡と推定される地
パスファインダー (村上義清と村上氏)

1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 1 書名 著者名 出版社 出版年 村上盛清 木曽義仲
パスファインダー (長野市篠ノ井地区)

会 横田 小松原 岡田 石川 二ツ柳 正和 小森 杵淵 山布施 有旅 篠ノ井追分 横田河原の戦い 木曽義仲
パスファインダー (善光寺の物語・紀行文・文学)

郷土出版社 出版年 1995年 内容紹介 十返舎一九の信州への道中記 1 論題名 木曾義仲説話
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

当山領となし給ふ、猶此里に別業を造営し、別 所と呼たまひしより里の名となれり 扨も年暦数百歳を経て、木曽義仲此地,にて、寺領も淳和・ 清和両帝より御寄附にして武家より賜る所にあらず、 天子御代々御願寺たる所に、木曽義仲我意
小諸繁昌記 ([解説])

第三節 領主と城下町建設の歩み  小諸太郎光兼は木曽義仲の一部将であり、横田河原の戦いから越後への転戦
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

此所      いにしへ治承の末、木曽義仲と越後の住人城太郎資平合戦ありし古戦場なり。      ,[木曽義仲の御内に博学広才、しかも能書の聞へ高く、越中砥並山にて義仲が願書を書き、八幡宮へ納めたりし大夫坊覚明,是ハ木曽義仲の家臣、今井四郎兼平が      古郷也。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

ここは昔治承の末、木曽義仲と越後の住人城太郎資平(助職)の合戦があった古戦場である。,(木曽義仲の側近で博学多才、しかも能書家として名高く、越中砺波山で義仲の願書を書き、八幡宮へ納めた大夫坊覚明,これ木曽義仲の家臣、今井四郎兼平の古郷である。
信濃名勝詞林 (かけはしの記)

【注4】 この碑は、文化10年(1813)尾張徳川領の木曾代官伊勢守山村良由が木曾義仲(1154~84
信濃奇談 (信濃奇談 下)

[春湊浪語に載する木曽義仲か男義高が歌読けるよし。また近き比飯田城主脇坂侯歌よみ給へる名こそ高けれ。
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

暦応年中より木曽義仲の裔(えい)、讃岐守原家村建武の功に依て之 を領し、子孫九代之を襲ひ、天文の始め,妻籠に来る、此に木曽義仲の出城の跡と云ふ所あり。 午時美富野に逹す。
善光寺独案内 ([現代訳])

木曽義仲の臣、落合五郎兼行の閑居した所である。そのため五郎ヶ沢という。
善光寺独案内 ([翻刻])

木曽義仲の臣落合五郎兼行の  閑居せし処なり。故に五郎ヶ沢と  いふ。
北向山霊験記 戸隠山鬼女紅葉退治之伝 全 ([翻刻])

ト稱ス 平資永 越後守 養和元年六月上平太定盛ノ適流平相國清盛ノ指揮ニ從ヒ信州横田河原 ニ於テ木曽義仲
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